「慰安婦は金儲け」と言いはじめた元憲兵たち
ネトウヨたちがよく言う、「慰安婦は金儲け」という心無い発言の初出はコレだ。
(『憲友』1992年春号編集後記、つまり編集者の考え。憲友会は靖国奉賛会員、後に奥野誠亮も「慰安婦は商行為」と発言したが、その奥野が1988年に暴言し国土庁長官を辞任した際、その発言を支持したのが憲友会であった)
『憲友会という組織とその機関誌「憲友」』
http://blog.livedoor.jp/kounomamoru/archives/1058401616.html
http://blog.livedoor.jp/kounomamoru/archives/1058220518.html
1993年の『昭和史の謎を追う』から、1999年の『慰安婦と戦場の性』までの間に秦郁彦の「慰安婦」観、「慰安婦」に対する感情は大きく変化したが、それは『憲友』と元憲兵の話に影響を受けたからではないか、と考えられる。
「覚醒」しちゃう人々①
宗教運動で「覚醒」はつきものだろう。
それは大抵の場合、それなりに深淵な哲学、哲理を示している。
ほとんど資料なんて漁ったこともなければ、内容は甚だ拙いにも関わらず・・・だ。
歴史なんて「覚醒」しちゃうものではないだろうに。歴史は研究され、事実に近づいていかねばならないものである。
そういう過程を経ないで目覚めちゃう歴史とは何か?
不思議すぎる。
それは研究された歴史に基づかず、国粋主義的感情によるのである。
ところが本ブログが述べてきたように、この政治運動は神社界を中心とした疑似宗教運動でもあるのだ。
こうして「自虐史観から覚醒」する人々は、疑似宗教の信者みたいになって行く。それがいわいるネトウヨである。拙い知識で歴史を唱え、ヘイトスピーチをしたり、嫌がらせのような事を述べたりして迷惑がられているが、本人は自分の言っていることが正しくて、それが分からないおまえらがおかしいのだと言うことらしい。
その「覚醒」とやらの記録を一部、残しておこうと思う。
<覚醒しちゃう人々の記> ツイッターから


「反日と自虐におさらば」したいそうで
ねこさんプロフィにも「覚醒」とか書いてんだよね。

一番、経営悪化に陥っているのは、君たちの味方・産経新聞だよね

ネカマさんらしい。


第一、君中身「男」でしょう?

「全日本人を覚醒」?
余命デマで?

一党独裁かウヨク独裁を目指しているらしい。


デマを信じて覚醒したいのか?
(つづく)
藤岡信勝の主張の背後
1映画『主戦場』を巡るやりとり
最近、映画『主戦場』に登場した右派たちがミキ・デザキ監督と映画配給会社「東風(とうふう)」を告訴した。
しかし、テザキ監督は、最初から一般公開する可能性があったことをメールで伝えていたと証拠付きで述べている。https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_4752/
藤岡らは【「映画で『歴史修正主義者』『性差別主義者』などのレッテルを貼られ、名誉を毀損(きそん)された」】という主張もしているのだが、かなり噴飯ものである。そもそも『歴史修正主義者』『性差別主義者』は評価に過ぎないし、彼らへの評価として適切である。参加者の一人は、「フェニミズムを始めたのはブサイクな人たちなんですよ。ようするに誰にも相手されないような女性。心も汚い、見た目も汚い。こういう人たちなんですよ」と暴言を吐いている。こうした暴言の主を「性差別主義者」と評価しない方がおかしいのではなかろうか。https://lite-ra.com/2019/04/post-4682.html
2、藤岡信勝と右翼組織
さて当会では、ここで話題の藤岡信勝が中心となって造った<自由主義史観研究会>に右翼団体・日青協(日本青年協議会)の機関誌の投稿者やその傘下団体<日本教育研究所>の一員が多く参加していたことを論証してきた。

3「善玉・悪玉史観」という言葉

その藤岡には『「近現代史」の授業改革双書 近現代史教育の改革―善玉・悪玉史観を超えてー』藤岡信勝著/96年3月/明治図書)という著作があるのだが、この中の「善玉・悪玉史観」というフレーズは、かなり古い日青協の機関誌『祖国と青年』に書かれていたフレーズである。
昭和50年11月号の『祖国と青年』の中で、日教組を批判しながら土橋史郎はこう書いている。

昭和50年11月『祖国と青年』
藤岡の理屈の多くが右翼人士の使う理屈の焼き直しに過ぎなかったのである。
映画『主戦場』<杉田水脈の吐き気がするような言い訳>
あまりの醜さに吐き気がする
【海外にいる同胞の日本人が被害をこうむっています。こういった像が実際に建ってしまうんですよ。子供たちがいじめに遭ったりとかするような問題も実際に出ております。】
ところが映画『主戦場』の中では、日系人と役所の人(正確な肩書は覚えていない)のインタビューがなされ、日系人は「私は碑がある公園の近くに住んでいるが、そんな話は聞いたこともない」と答え、役所の人も”そんな事はない、相談に来てくれ”と言う意味のことを述べていた。
これに対する杉田水脈の言い訳
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これに対する杉田水脈の言い訳
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開始35分くらいから
「それはその時は具体的にお母さんたちの話というのは実は聞けなくって、前に行った人達の話なんかを基に、後まあ説明してくださった方のお話を基に書いたのですが」
「私はだから「これが真実だ」と書いたわけじゃなくて、お話が聞けなかった、だから代弁者の内藤さんから話を聞いただけ、代弁者の内藤さんの話はこうだったという内容を書いただけ」
ナレーションでは、杉田水脈が国会で、「子供たちがいじめに遭ったりとかするような問題も実際に出ております。」と断言するシーンが映しだされていた。
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togetterまとめでの杉田の発言
「実際に嫌がらせを受けた在米邦人の方が証言されたのをご存知ないのですか?」というのも、まったくの嘘なのである
韓国併合史の中の征韓論者たち1
併合に向かう流れ 明治初期から中期にかけてのまとめ
《征韓思想とは、「朝鮮が天皇に服属すべきものであり、その天皇を中心とした体制が日本の本来の姿、国体であるとする理念であって、王政復古して国体を顕現するからには、朝鮮は服属の礼を示さねばならなず、朝鮮側が拒否する場合には武力をもってそれを実現すべし」という思想 (〇吉野誠『明治維新と征韓論』p227)》

佐田 白茅(さだ はくぼう)は1868年(明治初年)には「朝鮮は応神天皇以来、(朝貢の)義務の存する国柄であるから、維新の勢力に乗じ、速やかに手を入れるがよろしい」という建白書を政府に提出。
1870年(明治3年)3月、その佐田 と森山茂は釜山に派遣され、書契問題で紛糾していた朝鮮との予備交渉。この過程で朝鮮側の態度に憤激した佐田は、同年4月に帰国したのち政府に征韓を主張する報告書を提出した。
1870年(明治3年)3月、その佐田 と森山茂は釜山に派遣され、書契問題で紛糾していた朝鮮との予備交渉。この過程で朝鮮側の態度に憤激した佐田は、同年4月に帰国したのち政府に征韓を主張する報告書を提出した。
琴秉洞によれば、明治維新後政権の中枢に入り込んだ吉田松陰の弟子で征韓論を唱えた中心人物は木戸孝允だったが、それを草の根に広げ日本中を熱狂させたのが佐田白茅であり、初年以後3度にわたって建白書を提出している。佐藤信淵にならって朝鮮征服は「30大隊あればことが足りる」と述べており、琴秉洞は「朝鮮従属を早くから提唱した佐田白茅の朝鮮蔑視の根は深い」と評している。(琴秉洞『日本人の朝鮮観』p52-p55、明石書店 2006)

これが日本側の外交官だったわけだ。侵略主義者が外交官なんだから、まともな外交になるわけがない。
おいおい。
1873年 閔妃と高宗が大院君を追い落とし高宗の親政を始めると日本に対する姿勢を軟化した。日本政府は、天皇が外交を司る以上朝鮮は日本に服従しなければならないという「朝廷直交」論に替えて、妥協案としてあった「対等」論によって条約を締結しようとした。この時点で日本側は本音を隠して、近づいていく。やがて1900年代に「朝鮮征伐」の夢想をかなえるのだが、それはともかく1873年の話だ。
「対等」論によって条約を締結しようとした日本だが、しかし書契には、「皇上」の文言が使われ、森山茂は儀礼の場で洋服の着用を主張し軋轢を招き不調。いつもそうだが「対等」とか「平等」とかいう言葉は、日本では言葉の中にだけ存在している。
1875年4月、森山理事官は「軍艦を発遣し、対州(対馬)近海を測量せしめ、以て朝鮮国の内訌に乗じ、以て我応接の声援を為さんことを請うの議」という強硬な征韓意見を寺島外務卿に提出した (『韓国併合』海野福寿p15)。

中塚明の『現代日本の歴史認識』p146~によると、長く定説とされていた「飲料水を求めている時に銃撃された」も歴史の偽造だという。井上海軍少佐の報告書には「水」の文字がならんでいるが、この報告書は10日も経て書かれており、事件翌日の報告書<9・29報告書>には、「飲料水を求めて」などとは書いておらず、「分捕り品一覧」まで添えてあるという。また戦闘は3日に渡ったのである(p168~)。これについて後に元帥にまで登りつめた井上は、要約すると「3日もいたとなれば国際法上の問題になるから、国際法上許されている「飲料水をもとめて」と主張したのだ」という意味のことを述べている(p173、大正13年5月22日の海軍大学校の講話)。
つまり「3日間戦闘した」となると国際法上問題なので、「飲料水を求めたら砲撃された」という被害者なりすまし話に差し替えたのである。
ネトウヨはしばしば、<ホントは加害者なのに被害者に成りすます論理>を振り回すが、国家ぐるみの「被害者偽装」に、日本の歴史は彩られている。
つまり「3日間戦闘した」となると国際法上問題なので、「飲料水を求めたら砲撃された」という被害者なりすまし話に差し替えたのである。
ネトウヨはしばしば、<ホントは加害者なのに被害者に成りすます論理>を振り回すが、国家ぐるみの「被害者偽装」に、日本の歴史は彩られている。