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「歴史修正主義の主張の矛盾や欠陥を列挙して「論破」すること」の意味

 

 

(このツイートは考える材料になりました。)

 

    歴史修正主義の主張の矛盾や欠陥を列挙して「論破」することに意味がない」という意見について

 

歴史修正主義に対して、「彼らの主張の矛盾や欠陥を列挙して「論破」することに意味がない」という意見がある。

理由は「彼らは合理性のルールの枠外にあるため、真の意味では論破できないから」だという。

なるほど、「論破できない」というよりも、たとえ論理の上では打ち破っていても、彼らにそれを認めさせる事は難しいだろう。歴史修正主義は心の迷路ようなものだからだ。信念の病と言うべきだろうか。ただし彼ら自身に認めさせる事は必要でさえない。必要なのは、まだ入り込んでいない人や浅い人に、これ以上広まらないようにする事だからだ。

歴史修正主義の主張の矛盾や欠陥を列挙して「論破」することには意味がない」という意見は欧米では多分その通りだろう。だが我が国ではそうではない。それは日本では歴史修正主義言説の方が、政府の主張や行動になっているからである。我々の知らない内に我が国政府は「歴史戦」とやらにうつつを抜かしているのだ。ゆえに我々の方が政治権力への抵抗者なのである。

そのために「論破」はしておく必要がある。「合理性のルールの枠外」にいる彼らには通じなくても、まだ今のところは「合理性のルールの枠内」にいる人にメッセージになるからである。

日本の歴史修正主義は、約40年前は右翼団体神社本庁の機関紙の中だけで叫ばれていた小勢力だった。それは彼らの信奉する世界観の産物だからだ。

1997年、〈新しい歴史教科書をつくる会〉、〈教科書議連〉、〈日本会議〉などの団体が誕生し、羽佐間社長の売り上げ戦略の下〈産経新聞〉が完全にそっち側に行ってしまった時点でも、まだ日本の言論空間を大勢に占めるには至らなかった。彼らの歴史論説は幼稚ではあったが、執拗であり、「反日」「自虐史観」罵倒を駆使しながら政治活動を繰り広げていた。教科書問題では右翼団体による暴力的な脅迫さえなされている。そしてやがてインターネットを媒介に広まり、教科書から「慰安婦」記述が消え、そして歴史改竄のために暗躍していた安倍晋三が総理大臣の地位につき、政府自体が歴史修正主義化していくという事態に陥るのである。要するに公的な言論空間を占めているのだ。

彼らは今日どんな活動をしているだろうか?

 

       「政府主導で”歴史戦”を 戦えるようになった」

安倍晋三などに親しい西岡力麗澤大学麗澤大学客員教授 公益財団法人モラロジー研究所歴史研究室長)はこう自慢げに述べている。

西岡力   私はかねてから、歴史問題は 外務省に任せるのではなく、政府に 担当部署をつくるべきだと提言していました 。すると二〇一二年 、 第二 次安倍政権が発足し 、官邸で政治家 として首相補佐官衛藤晟一木原稔) が歴史問題を見ることとなり、内閣官房の副長官補室(二〇〇一年 、中央官庁再編以前は外政審議室)が実務を担当することになった 。外務省 出身の兼原信克副長官補が長らく担当していました 。ユネスコの「世界の記憶遺産」に南京事件の資料が登録されたという”失策”はあったのですが 、安倍前総理 が激怒してすぐに外務省の担当者を 更迭し、それにより一層 、歴史問題 での副長官補室のリーダーシップが 強まった 。「世界中に慰安婦像が建ったらどう するんだ」と政府主導で”歴史戦”を 戦えるようになったんです 。こうし て記憶遺産に慰安婦の資料が登録さ れようとしたとき 、徹底抗戦して防ぐことができました 。 もちろん官房長官として内閣官房のトップは菅総理が務めていました。今回の毅然とした対応は 、 まさしく”安倍路線の継承″といえます。

(『WILL』2021年7月号 「従軍慰安婦はこうして抹消された」西岡力 馬場伸幸 対談)

 

 


今年4月に「従軍慰安婦」という言葉を否定する閣議決定がなされ、歴史教科書に「従軍慰安婦」という言葉が消えることになった。キッカケをつくった質疑をした馬場伸幸議員とともに凱歌をあげているのがこの対談である。

西岡力について知らない人もいるかも知れないので、説明しておくと第一次安倍政権の際に安倍ブレーン5人組の一人だと報道されていたが、その後つながりは強化されたらしく2018年安倍晋三首相(当時)が強制徴用判決(徴用工)に関して「(徴用されておらず)労働者だ」と妄言したのは、西岡がしむけた事だ。西岡は慰安婦問題や労務動員(徴用工を含む)に対して、まさに「合理性のルールの枠外」にあるような著作を大量に書いている。これが拉致問題とともに安倍晋三との繋がりを濃くしたのだろう。安倍晋三をはじめ自民党議員や維新の議員たちの助言者のようにになっている。また櫻井よしこの「慰安婦」「労務動員」の歴史に関する意見の多くは西岡の主張を模倣している。

インターネットの中では、2002年のW杯のころから、2チャンネルを中心に嫌韓・憎韓と共に小林よしのりつくる会等の主張に影響を受けた歴史に関する主張が多くみられるようになった。2005年に『マンガ嫌韓流』が流行するとネトウヨblogが乱立するようになり、同時に「慰安婦」「南京大虐殺」などのウィキペディアの項目に彼らサイドの記述が目立つようになった。一方で、田母神論文に賞を与えた事で有名なように元谷外志雄アパグループ、DHC、フジ住建などの企業が歴史修正主義者に資金を提供する人々も多く存在している。田母神俊雄は、自衛隊をクビになった代わりに全国で連日のように「あの戦争は聖戦だ」という講演の日々を送っていた。

やがて第二次安倍政権が2012年の終わりころに生まれると、安倍に支配された政府自体が「慰安婦」問題否定や南京大虐殺否定宣伝に前のめりになっていく。2015年には「歴史問題」を含む日本の宣伝のための予算は500億円が計上され、翌2016年には700億円になっている。こうした政府の動きにごく近い位置にいるのが西岡力であり、「首相補佐官衛藤晟一木原稔) が歴史問題を見ることとなり、内閣官房の副長官補室が実務を担当した」という。そして慰安婦像阻止活動などで「政府主導で”歴史戦”を 戦えるようになった」というのだ。こうした事は、彼のフェイクな慰安婦論・徴用工論と異なり、事実なのだろう。内閣官房がどのくらいの予算を使って、”歴史戦”をしているかは分からない。イヨンフンやラムザイヤーに産経新聞自民党や政権の影を感じるのは私だけではないだろう。

 

        公的な歴史見解に影響を与える日本の歴史修正主義

以上、ざっと見てきたように今日では政府が歴史修正主義宣伝に前のめりになっているのだ。

その意味では、欧米の歴史修正主義と日本の歴史修正主義は異なる位置づけと対処が必要である。

なぜなら、欧米の歴史修正主義は何と言っても、マイナーなグループであり、政権をとるにはいたっていないからである。しかし日本の歴史修正主義はついに政権にまで到達しており、政府としての行動にその影響が濃いからだ。対してテレビや新聞はその歴史修正主義を批判するようなものはほとんど存在しない。

こうした状況は極めて危険である。日本国民はかつて、右翼勢力の主張に屈服し戦争になだれ込んで行った経由があるからだ。

言い方を変えれば、日本では、歴史修正主義が既存の主流歴史観歴史認識のようなものになっており、対して歴史学会などが危機感をもって叫んでいる歴史観歴史認識は、正しくてもマイナーなのである。それは歴史学会の主流な主張がテレビや全国紙にまったく取り上げられなかった事からも明らかだろう。

2015年5月25日には、日本の16の歴史団体が声明を出し(その後賛同は20団体に増えている)、「日本軍『慰安婦』強制連行の事実が揺るがない」「性奴隷状態だった」と指摘しているが、現状ほとんど知られていない状態である。https://www.restoringhonor1000.info/p/blog-page_1.html

最近、裁判が終わって刑が確定した自民党参院選広島選挙区の大規模買収事件では、インターネットやSNS対策の業者が「克行先生にネガティブな書き込みがあれば、検索に表示しにくくする、逆にポジティブなことを表示しやすくして、イメージを良くする、そのような業務をしていました」と証言している。https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=691363&comment_sub_id=0&category_id=1167

政府なら、さらにたやすく、そうした操作ができるだろう。あるいは歴史学者たちが造ったサイト<fight for justice>が検索に引っかかりにくいのは、そういう事かも知れないのだ。

ようするに日本では我々の側が権力を持たない挑戦者なのである。

すると論破もしていかなければならないし宣伝しなければならないだろう。すでに述べたように、論破されていても彼らは認めないし「合理性のルールの枠外」にいる彼らには通じない。しかしまだ今のところは「合理性のルールの枠内」にいる人たちが歴史修正主義に感染するのを防ぐ必要があるからだ。

さて、こうして「歴史修正主義の主張の矛盾や欠陥を列挙して「論破」すること」の意味もある事を力説したのにもわけがある。つまりは次回から連続で、有馬哲夫の「慰安婦」論の矛盾や欠陥を列挙してみようと思っているからだ。