河野談話を守る会のブログ2

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日本軍と政府は慰安所の設置、募集(駆り集め)、移送などに深く関与していた

慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たった」と述べた河野談話の正しさをここで追ってみよう。
 
 
 
陸軍省が各部隊に通牒した
 
支那事変の経験より観たる軍紀振作対策」 (四〇年)
 
の中では


「事変地に於ては特に環境を整理し慰安施設に関し周到なる考慮を払ひ殺伐なる感情及劣情を緩和抑制することに留意するを要す」として、「環境が軍人の心理延(ひ)いては軍紀の振作に影響あるは贅言(ぜいげん)を要せざる故に兵営(宿舎)に於ける起居の設備適切にし慰安の諸施設に留意するを必要とす特に性的慰安所より受くる兵の精神的影響は最も率直深刻にして之が指揮監督の適否は士気の振興、軍紀の維持、犯罪及性病の予防等に影響する所大なるを思はざるべからず」


と、軍部の統制のもとで「性的慰安所」を設置・運営すべきことを謳っている。
 
 
 
 
軍の関与という事に関しては、様々な資料があるが、「南方派遣渡航者に関する件」(1942 昭和17年)も、その一つである。
 


国立公文書館、アジア歴史資料センターhttp://www.jacar.go.jp/より
「南方派遣渡航者に関する件」 昭和17年 「陸亜密大日記 第22号 2/3」 レファレンスコード:C01000379100

本年三月台電第六〇二號申請陸亜密電第一八八號認可ニ依ル「ボルネオ」ニ派遣セル特種慰安婦五十名ニ関スル現地著後ノ實況人員不足シ稼業ニ堪エザル者等ヲ生スル爲尚二十名増加ノ要アリトシ左記引率岡部隊發給ノ呼寄認可證ヲ携行歸台セリ事實止ムヲ得ザルモノト認メラルルニ付慰安婦二十名増派諒承相成度・・・・



秦郁彦氏は「文部省食堂」に例えだが、台湾軍参謀長が慰安婦「二十名増加」を諒承してもらいたいと要求しており、そんな理屈が通るわけがないだろう。

こうして軍や政府の内部で、「どこそこに慰安所を作る」とか「何名送れ」という文書が行き来しているのだから、どんなに詭弁を用いても、軍や政府が主体的に関与しなかったと言い張る事は不可能である。
 

次の文書も主体的な関与を肯定している。



支那渡航婦女に関する件」 内務大臣決裁書類・昭和13年(下) レファレンスコード:A05032044800

支那渡航婦女ニ関スル件伺本日南支派遣軍古荘部隊参謀陸軍航空兵少佐久門有文及陸軍省徴募課長ヨリ南支派遣軍ノ慰安所設置ノ為必要ニ付醜業ヲ目的トスル婦女約四百名ヲ渡航セシムル様配意アリタシトノ申出アリタルニ付テハ、本年二月二十三日内務省発警第五号通牒ノ趣旨ニ依リ之ヲ取扱フコトトシ、左記ヲ各地方@ニ通牒シ密ニ適当ナル引率者(@主)ヲ選定之ヲシテ婦女ヲ募集セシメ現地ニ向ハシムル様取計相成可然哉 追テ既ニ台湾総督府ノ手ヲ通ジ同地ヨリ約三百名渡航ノ手配済ノ趣ニ有之(後略)




解説しよう
「申出」の主体は「南支派遣軍古荘部隊参謀陸軍航空兵少佐久門有文及陸軍省徴募課長」である。すなわち、内務省が軍からの要請に基づき、業者に慰安婦を募集させ、現地に向かわせようというのである。



ざっくばらんに言えば、中国の部隊の少佐が、「慰安所を作るから慰安婦を送ってくれ」と言うので内務省が動いた・・・・という話である。

そんな風にして軍部と省庁が連携しながら慰安所が設置されるのであり、又、宇品から慰安婦を運んだパシフィック丸のような話もある。


『戦塵にまみれた青春』 若八会九州支部編 1977,8 

マニラ 1942、43

陸軍経理学校幹部候補生隊(第八期)の生存者
山口栄一・船舶工兵第一連隊

船はパシフィック丸という7千トンの貨物船
出航地は宇品
1942年5月ころ

駆け寄ってきた参謀から声をかけられて
「丁度よかった。今、お前達を呼びに行くところであった。命令を伝達する。この船に娘子軍200人を乗せているので、マニラまで、その輸送指揮を命ずる」というのである。


 
 

これらの1次史料は、日本軍や政府が慰安所の設置、募集(駆り集め)、移送などの深く関与していた事を表している。

慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たった」
 
まさにその通りであり、何の問題もないのである。