河野談話を守る会のブログ2

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西岡力氏の言い分の問題点

以下は西岡力氏が雑誌SAPIOに書いた文章です。
問題点を指摘しておきましょう。
は私の反論です。
 
 


 
慰安婦性奴隷説”を言い出したのは職業的反日日本人の男

 

 慰安婦問題が広く知られるようになって20年以上が過ぎた。第2次世界大戦時、日本軍が慰安婦を強制連行したとの「説」はその後の調査研究によって、事実ではないと結論が出た。
 
慰安婦を強制連行したとの「説」はその後の調査研究によって、事実ではないと結論が出た。」
まずこれがすでに間違った認識である。
「強制連行したとの「説」が事実ではないと結論が出た」のではなく、吉田清治の証言が信用できないという結論が出ただけである。
歴史修正論者はこのような、細かい言い換えをしながら、間違った論理を展開するので注意が必要である。
 
しかし、残念なことに、勉強不足から慰安婦問題については韓国側の主張が「正しい」と信じている日本人も少なくない。東京基督教大学教授の西岡力氏が慰安婦問題の捏造について語る。ここでは慰安婦性奴隷説について解説する。
 * * *
 慰安婦性奴隷説を最初に言い出したのは誰かという点から確認したい。それは吉田清治という職業的反日日本人だった。韓国から出た話ではないのだ。
 
1,従軍慰安婦に限らず、日本の「公娼制度」自身が人身売買を伴う「性奴隷制度」であった。
 
2,吉田清治は、「性奴隷制度」という言葉をいつ使ったのだろうか?
 
 1948年に就任した韓国の初代大統領は独立運動家出身の李承晩博士だった。李政権は日本と国交正常化交渉を持った。その際、出来るだけ多額の戦後補償金を日本から取ろうとさまざまな名目で請求した。そのリストが8項目の「対日請求要綱」(1951年)だった。
 そこには「戦争による被徴用者への補償金」は挙げられていたが、慰安婦に対する補償は入っていなかった。大多数の韓国人が植民地時代の実態を知っているその時期には、いくら反日政策を掲げる李承晩政権でも、慰安婦に関して外交交渉でカネを取るなどということは考えなかったのだ。
 
バカを言うな。
性に対する考えが日本よりはるかに厳しい韓国社会において、「自分は何百、何千人もお客をとった慰安婦でした」などと言って名乗り出るには、相当な勇気が必要だっただろう。
彼女達の多くは、心の傷を抱えながらひっそりと暮らしていたのである。
従って軍を経験した一部の人々は、知っていたとしても、被害者が名乗り出なければ、賠償も何もありえないのは当然である。
 
 
 
 性奴隷説は1965年の日韓国交正常化のときも出てこなかった。1983年に吉田清治が『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房刊)という本を出して初めて性奴隷説が誕生する。吉田は1943年に軍から朝鮮人女子挺身隊動員を命令され、済州島で日本軍人らを引率し、若い未婚女性や赤ん坊を抱いた母親を駆り立ててあたりかまわずトラックで連行し、レイプしたという「体験」を語ったのだ。吉田の著書は1989年に韓国語で翻訳出版された。
 実は現地の『済州新聞』の女性記者が現場を取材したところ、住民らが口をそろえてそのようなことはなかった、吉田は嘘をついていると語っていると1989年8月14日同紙に書いている。しかし、済州新聞の記事はほとんど注目を集めず、日韓の歴史学者反日運動家らの中で性奴隷説が静かに拡散していった。これが前史だ。
※SAPIO2012年8月22・29日号
 
吉田清治の名前を今日まで持ち出して来るのは、右翼だけである。
この分野で第一人者である吉見義明氏の著作にも、吉田清治の証言を殊更に重視したものは一つもない。様々な証言、体験談、資料が存在しており、吉田清治の証言はその中のごく一部に他ならないのである。
そして歴史学はたえず資料批評を行いながら真相に近づいて行く。
 
また、アメリカ下院決議などは、アメリカ側の資料を元にしており、吉田清治の証言の影響を見ることはできない。
 
吉田証言は確かに信用のできない証言だが、それが「捏造である」と述べると同時に拡大解釈し、「軍慰安婦全体に存在していた強制性」を「捏造だ」と述べるのは、まさに「歴史修正論」のやり方であると言える。ただのイチャモン論法である。
 
 

 
全体として西岡氏の論説は、歴史学の基本事項さえ踏まえておらず。慰安婦論争の経過を極めて恣意的に書いている。そもそも彼は、慰安婦達の証言など読んでおらず、読んでいるのは秦郁彦氏の著作ぐらいではないかと思われる。