河野談話を守る会のブログ2

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ウヨ達がよく言う「慰安婦高額報酬説」の誤り

 
以下の会話は「慰安婦高額報酬説に対する反論である。
 

 
当時の将校よりも多額の給金を受け取っており、仕送りしたり買い物してたり…
アフリカ系の「奴隷」と比べると、ちゃんちゃらおかしい。

確かに、現在と同じように「借金のカタ」に身売りされた女性もいることでしょう。でも、それは軍が関与しているワケではない。
それこそ橋下市長が言うように「借金を抱えて風俗に勤める女性は、監督省である警察や保健所の奴隷なのか?」ということです。
ºï½ü
 
2012/10/29(月)  えのまん 
 
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反論は、のちほどまとめて記事にしたいと思います。しばらくお待ちください。
2012/10/29(月) 午後 4:51
 
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慰安婦訴訟をした19人の内、3人だけが報酬があった・・・と述べた。
その中の文玉珠さんの場合、たまったチップを集めて2万円以上貯金している。

この種明かしは簡単である。
当時、軍は侵攻した地域に軍票を乱発したので、急激なインフレが起こった。
文玉珠さんのいたビルマのインフレは激しく、小林英夫早大教授によると、1945年のビルマの物価は、1940年頃の東京と比較すれば1000倍に達していた。つまりビルマの2万円は、東京の20円にしかならないのである。
ゆえに歴史学者の太田常蔵は「マンダレー失陥後の軍票はほとんど無価値であった」と述べている。(『ビルマにおける日本軍政史研究』)
こうして2万円になったのだ。
ºï½ü
2012/10/30(火) 午後 11:13 [ 河野談話を守る会 ]
 
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次に『ゴーマニズム宣言』が書いているミッチナ史料(捕虜尋問49)だが、小林よしのりが掲載した史料のすぐ後で、「彼女達は生活困難に陥った」と書いてある。
この部分を小林よしのりが掲載していないのは、おそらく意図的であろう。

捕虜尋問49は、他の史料とはまるで違うので、吉見教授たちは「この史料は、慰安所の経営者の尋問によるものだろう」と述べている。
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2012/10/30(火) 午後 11:25 [ 河野談話を守る会 ]
 
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「借金のカタ」に身売りされた女性もいる<
それは軍が関与しているワケではない<

多分な関与があった。

第一に軍が欲して軍慰安所が造られた。
第二に、軍が直接管理した慰安所が存在している。研究者の間では有名な漢口はその一つである。
第3に、逃亡阻止のために軍が見張ったり、散歩の地域を指定し、また逃亡した慰安婦憲兵が探し連れ戻した例もある。
第4に、占領地の女性を強姦し、そのまま慰安婦にした例がインドネシアなどで複数見られる。
第5に、慰安婦の移送、慰安所の設立に軍が直接関与している。

つまり、発案し、建設し、管理したのである。

このような関与がなされたのであり、『武漢兵站』の著者である山田清吉氏は、92年1月の朝日新聞で「当時はこの手の資料はいろいろあったが、今はほとんど残っていない。珍しいものだと思う。私は漢口で慰安所の監督をしていた。軍が慰安所を統制、管理していたのは誰でも知っていること」と述べている。

たとえその女性が売られたとしても、そこに責任がないとは言えない。
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2012/10/30(火) 午後 11:50 [ 河野談話を守る会 ]
 
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借金のかたになった者よりも、騙されて慰安婦にさせられた者が多くいた。

また宋神道さんのように、借金がなくても、運ばれるさいの電車賃や被服代金が借金として負わされ、(かなりの額になった)無理やり借金をさせられた人もいたのである。

こうして騙された女性を良心的軍人が帰してあげた例もあったという話が『ゴーマニズム宣言』に書いてあったが、それは記録の中では一軒しか存在しない極めて例外的な例であり、その記録が書いてあるのは「小説」であり、もちろん実話を基にした可能性もあるにしても・・・だ。
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2012/10/31(水) 午前 0:01 [ 河野談話を守る会