河野談話を守る会のブログ2

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「強姦」から見た大東亜戦争史(1)

これは去年の今頃、〔チャンネル桜〕が主宰して行った

『韓国水曜デモ1000回への 抗議行動 & 集会 』
慰安婦の嘘は許しません! なでしこアクション2011』

の宣伝ビラですが、こういう人の何が間違っているか?というと一言で言えば全てが間違っている。
特に大きな間違いは「日本軍は強姦魔ではありません! 」です。
 
とりあえず読んでください。
   ↓




http://sakura.a.la9.jp/japan/?page_id=435

12.14水曜デモ1000回への抗議行動&集会 『 慰安婦の嘘は許しません!なでしこアクション2011』ツイート

12.14 韓国水曜デモ1000回への
抗議行動 & 集会
慰安婦の嘘は許しません!
なでしこアクション2011』

慰安婦は強制連行された性奴隷というのは真っ赤な嘘です!もうとっくにバレています!
慰安婦に日本政府は謝罪も賠償もする必要はありません!
慰安婦への新たな基金は必要ありません!
日本政府と外務省は毅然とした態度をとって下さい!
水曜デモに参加する日本の国会議員よ 恥を知りなさい!
日本軍は強姦魔ではありません!
私たちのお父さん、お祖父ちゃん、ひいお祖父ちゃんの名誉を傷つける嘘は止めなさい!
これが普通の日本女性の思いです!
韓国水曜デモ(*)が1000回を迎える2011年12月14日水曜、日本政府に謝罪と賠償を求める慰安婦支援者達が、外務省を「人間の鎖」で取り囲むデモを行います。詳細は下記【参考サイト】をご覧ください。

いわゆる従軍慰安婦問題の嘘に、私たち日本女性はもう我慢できません。
外務省前で行われる水曜デモ「人間の鎖」に向けて直接抗議行動と、『慰安婦の嘘を許すな! 集会』を開催します。同じ思いの女性はどなたでも参加できます。一緒に声を挙げませんか?! 慰安婦問題、水曜デモに対して怒りをもつ男性もご参加ください。
水曜デモ側は、慰安婦支援団体だけでなく、日本のあらゆる左翼団体が結集して動員をかけてます。
今回のなでしこアクションに東條由布子様 ・ 増元照明様(拉致被害者「増元るみ子」様の実弟) ・山際澄夫様(ジャーナリスト)より激励のメッセージが届きました。
日本の名誉を護るため、私たちの抗議行動に賛同いただける方、一人でも多くのご参加をお待ちしております。
* 水曜デモ とは、1992年1月8日から始まり、毎週水曜日に韓国の日本大使館前にて、戦時中の元慰安婦とその支援者が集まり、時には日本の売国国会議員まで参加して、日本を罵りながら日本政府に謝罪と賠償を求める街頭活動です。 

12.14韓国水曜デモ1000回アクションIN TOKYOへの 抗議行動 & 集会
慰安婦の嘘は許しません!なでしこアクション2011』
< 抗議行動 >
【日時】
平成23年12月14日(水)
集合11:30 抗議開始12:00~13:00頃まで

 
さすが妄言テレビー「チャンネル桜」主宰のデモ集会です。むちゃくちゃですが。
ひとつひとつ解説してみましょう。
が私です。
 

 
慰安婦は強制連行された性奴隷というのは真っ赤な嘘です!もうとっくにバレています!
 
強制連行をわざわざ「狭義の強制」と「広義の強制」に分けて「狭義の強制はなかった」と述べた安倍元総理の器用な談話の事ですかね?逆を言えば「広義の強制」は認めたとも取ることができるのですが・・・・河野談話アメリカ決議などは、そんな器用な事をしておらず、全体として「強制的」であったと述べている。
それが正しい認識である。

慰安婦に日本政府は謝罪も賠償もする必要はありません!
慰安婦への新たな基金は必要ありません!
 
頑な意見ですね 
「謝罪を永久公文化」し、「歴史教科書で教える必要」があると思いますが・・・・。
もうこれ以上、妄言が飛び出さないように。
 
妄言する度に、中国や韓国が怒って、また謝るといった事をやってましたが、いいかげんにそのパターンは厭きました。

日本政府と外務省は毅然とした態度をとって下さい!
水曜デモに参加する日本の国会議員よ 恥を知りなさい!
日本軍は強姦魔ではありません!
私たちのお父さん、お祖父ちゃん、ひいお祖父ちゃんの名誉を傷つける嘘は止めなさい!
 
日本軍の強姦の多さは、かなり有名であり、歴史の真実である・・・と言えます。
そもそも、「軍慰安所」が生まれた経由自体が、「日本軍の強姦が多すぎる」からでした。
今さら 「日本軍は強姦魔ではありません! 」 なんて言ったって、史実がそれを完全否定する!
「おじいちゃんの名誉」とか言ったって、それが事実ならしょうがないのではなかろうか?
 
以下、解説しましょう。
 

  『岡村寧次大将資料第一 戦場回想編』
 
1970年、302-303頁

 昔の戦役時代には慰安婦などは無かったものである。斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創設者であ   る。昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、同地海軍   に倣い、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである。
現在の各兵団は、殆んどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。第六師団の如き  は慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である。
 
 
 
 つまり、「強姦があるので、慰安婦を連れて来た。それが習慣となったがやっぱり強姦は多くあった」と言うのである。
 
 
 国府陸軍病院付中尉早尾乕雄軍医もこう記録しています。
 

 
「軍当局は軍人の性欲は抑えることは不可能だとして支那夫人を強姦せぬようにと慰安所を設けた、然し、強姦は甚だ旺(さか)んに行われて支那良民は日本軍人を見れば必ず是を恐れた」
 


以下掲載されているのは、↓の本です。






結局のところ、慰安所を作っても、強姦防止にも性病防止にもならなかったわけです。
次の回想資料も強姦の多発を伝えている。





『湘桂公路』 坂本楠彦 1986 筑摩 P66,67
独立混成第八八旅団経理部の元見習い士官の回想

 作戦中見つけた中国女性は必ず強姦して殺すといわれていたある軍曹が、1944年12月、貴州省独山で   捕らえた女性を強姦しようとしたところ、この女性は、日本語で「やめて」と叫んだ。びっくりした軍曹がわけ    を聞くと、中国人と結婚した横浜育ちの女性だった。その時、この軍曹はもはや「やれなくなった」だけでな    く、それ以来、人柄がすっかり変わり、女に興味を持たなくなった、と言う。
 

『滑火』岡村俊彦著、1961、軍医、(P201)

7時出発、冷たい空気が気持ち良い、部隊本部の落伍者に会う、部落に入るたびに女の悲鳴と豚、鶏の叫び声、これが戦争だと目をつぶる、私には行軍が精一杯なのだ。残念だが仕方がない。

さて、資料を並べておきましょう。
 
・・・・・次ページに続く