河野談話を守る会のブログ2

ヤフーブログ閉鎖のため移住しました

「強姦」から見た大東亜戦争史(2)

資料名  独立攻城重砲兵第2大隊第2中隊「陣中日誌」
 1938年3月3日・3月14日・3月16日

解説 慰安所開設後も強かん事件が絶えない
吉見義明編『従軍慰安婦資料集』(大月書店)「資料40」

しかし、このように兵士の行動をしばっても、慰安所をめぐる問題がしばしば生じたことを、同大隊第二中隊「陣中日誌」が示している。「金は必ず支払うこと」(三月三日)、「慰安所に於ては行動を慎み、暴行など行わぬこと」(三月一四日)などと注意があるのは、そのような事態があったことをうかがわせる。また「城内にて強姦、掠奪各々一件あり」三月三日)、「城内外にて婦女子に暴行を加えんとせし者あり」「濫りに民家に立入り婦女子を探す者あり」(二月一六日)など、慰安所開設後も依然として強姦事件が発生していた(『資料集』40)。

*「陣中日誌」は軍の日常を記録した公式資料です。


資料名 深田軍医少佐蘭印衛生状況視察報告(「陸軍省業務日誌摘録」金原節三)


解説 日本軍が占領地に軍慰安所を計画的に設置したことを示す記録
深田=深田益男、軍医少佐、開戦直前オランダ領東インドインドネシア)を視察、40年9月~41年6月バタビア(現ジャカルタ)で行われた第二次日蘭会商に参加したと思われる(吉見P59)
金原節三=陸軍省医務局、医事課長(41年11月8日までは医事課員)

現在土人は愛撫し、誠実をもってわが方に信頼感を抱かしむる様言動に留意する要あり。多く回教徒にて一夫多妻の点もあるも、貞操感も強し。かりそめにも強姦等を行い日本軍紀に不信を抱くことなき様、厳重注意の要あり。一方、原住民は生活難のため淫売するもの多し。しかし、バンドンその他性病多きをもって、村長に割当て、厳重なる検黴の下に慰安所を設くる要あり。(「深田軍医少佐蘭印衛生状況視察報告」)
 




資料名 1942年2月12日陸軍省課長会報(「陸軍省業務日誌摘録」金原節三)


解説 東南アジア方面での日本軍の強姦状況
課長会報=課長たちの会合

富集団=第25軍富集団において、敵前逃亡一一二、強姦三、略奪三の事例あり。……比島〔フィリピン〕方面でも相当強姦(一四名)あり、下士官の夫人障害事例もありたり。
 



資料名 1942年5月2日陸軍省局長会報(「陸軍省業務日誌摘録」金原節三)


解説 第25軍の不軍紀に関する大山文雄法務局長と田中隆吉兵務局長のやりとり
局長会報=局長たちの会合


(法務局長)25A〔第二五軍〕の独立速射砲第一連隊〔大隊の誤り〕の現役大尉がクアラルンプールにおいてマレー人の妻女を強姦、その時計五~六個を掠奪し、更にジョホール第三王女をだまし、写真機を詐取し、強姦、掠奪、詐取の犯罪を犯かせるものあり。
(兵務局長)25Aはクアラルンプールに来る迄は兎角の評判ありしも、この事件を契機として爾後面目を一新せり。
(法務局長)比島方面においても強姦多かりしが、厳重なる取締をなしたる結果、犯罪激減せり。
(兵務局長)比島は他の地域に比し比較的多かった。しかし、支那事変に比すれば少ないといえる。



資料名 1942年5月9日陸軍省局長会報(「陸軍省業務日誌摘録」金原節三)


解説 強姦事件の深刻化
局長会報=局長たちの会合


南方軍の犯罪件数二三七件。大体において支那事変に比し少し。14A〔第一四軍〕には強姦多し。女が日本人向きなるを以ってなり。
 



資料名  1942年8月12日陸軍省局長会報(「陸軍省業務日誌摘録」金原節三)

解説 多発する強姦事件
局長会報=局長たちの会合


南方の犯罪六一〇件。強姦罪多し。シナよりの転用部隊に多し。慰安設備不十分、監視監督不十分に起因す。拘禁所には何処も二〇〇名収容しあるが、何れも三、四名の法務官が処理しあり。
 

資料名 『飯沼守日記』 1937年12月11日

解説 陸軍の慰安所要請
飯沼守=当時、少将、上海派遣軍参謀長
南京戦史編集委員会編『南京戦史資料集』

このように、日本軍人が犯す強姦事件は何より治安維持のうえで重大な問題だと考えられていた。上面から南京にむけて侵攻するなかで、中支那方面軍は一二月一一日、軍慰安所設置の指示を出す。南京攻略戦に参加していた飯沼守上海派遣軍参謀長の同日の日記には、「慰安施設の件、〔中支那〕方面軍より書類来り、実施を取討う」とある(南京戦史編集委員会編『南京戦史資料集』)。ときはまさに、南京占領直前であった。
 
 

資料名 憲兵 軍法会議
元陸軍憲兵曹長 宮崎清隆
 
捜査取調べが進むにつれて、私が最初予期したような簡単な事件として処理するには余りにも稀有の悪質な重大犯罪が隠蔽されていた。すなわち、彼ら三名を首謀者とする一団は、部隊間にあっては、平気で上官暴行、上官侮辱、脅迫等の行為をなし、一歩外に出ると作戦討伐にこじつけ、上官の命令に反して、監視の目を誤魔化し、殺傷、脅迫などの悪虐非道の手段をもちいて、中国婦人や姑娘を平然と強姦または輪姦していたのである。
 またこれに付随して、無辜の中国良民の家屋に放火し破壊して、金品衣類などを掠奪したり、詐欺、横領、恐喝、窃盗の手段によって相当多額の金品を手に入れ、これをすべて賭博、飲酒、あるいは慰安遊興費に使っていたことが判明したのであった。
 これを称して『朱家埠事件』という。
(P122)

『戦地憲兵
 
水上警察元南派遣所長 井上源吉

私たちが流域の村落を巡回してみて判明した日本軍用船乗組兵たちによるこれまでの悪行は、枚挙にいとまがなかった。豚、ニワトリなど農畜産物の掠奪はほとんど連日のように行なわれ、水牛などは用もないのに面白半分に射殺されていた。住民たちがとくに恐れていたのは、婦女子にたいする暴行で、現地で強姦するばかりでなくときには船中へ拉致して連れ去り、用済みになると遠方の江岸へ上陸させて置き去りにすることもあった。このなかの数人はついに帰還しなかったという。戦争というものがいかに人間をくるわせ、狂暴化させるものか、思うだに悪寒をおぼえるものだった。

(P144)
 
 
 
 
 
 
 
日本軍の「強姦」の多さは有名であり、 右翼政治家の御用学者として有名な秦郁彦でさえも 英米両軍が日独ソ軍のような大量レイプ事件を引き起こしていないのは確かである」(『慰安婦と戦場の性』P159) と書いているほどである。
 
つまり「日独ソ軍は大量レイプ事件を引き起こしていた」のである。
 
「日本軍は強姦魔ではありません!
私たちのお父さん、お祖父ちゃん、ひいお祖父ちゃんの名誉を傷つける嘘は止めなさい! 」
・・・なんていう嘘はやめなさい。見苦しい!





           ー続くー