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「慰安婦募集」広告の意味

 
先回の 【転載記事】 のこの写真だが、少し予備知識を書き加えておこう。
 
① この「慰安婦募集」広告は最初、高校教諭高橋信らが発見した。
 
② 募集広告は、総督府御用新聞である『毎日新報』に掲載された。(44年、10月27日)
(当時、戦時総動員体制下で東亜日報』『朝鮮日報』などの一般紙はすでに1940年には強制廃刊させられていた。ゆえにこの時期の新聞は全て、御用新聞であった。
 
③ 小林よしのりは『ゴー宣』で、これを業者が合法的に慰安婦募集した証拠としているが、それはあり得ない。
 
④ なぜなら、この新聞は御用新聞であり、読者は政府(総督府)関係者、警官、面長、あるいは皇民化政策を推進して来た組織の人間だったからである。
 
当時、朝鮮の日本化を進めるために「創氏改名」「神社参拝」「東方遥拝」などが強要され、それを推進する組織が作られた。
緑旗連盟、思想報国連盟、皇道学会、大東一進会、軍事後援連盟、木曜会、尉中会、国民会、愛国婦人会、国防婦人会、婦人問題研究会、朝鮮文人協会、農業報国青年会・・・・などである。
そしてこれらを束ねる
国民精神総動員朝鮮連盟の下に「愛国班」と称する網の目が全国に設けられていた。(約30万人 (42年) 

⑤ さらに、当時朝鮮女性はの識字率は、29パーセントに過ぎない(1942年)上に、新聞の発行部数も少なかった。(44年の正確な部数は分からないが、1939年度は96000部発行)
 
つまり、貧乏な朝鮮の女性が読むような、新聞ではなかったのだ。
 
では、この募集広告は、どのような目的を持ってなされたのであろうか?
 
それは、上記の政府(総督府)関係者、警官、面長、あるいは皇民化政策を推進して来た「愛国班」の者達へのメッセージなのである
 
当時すでに多くの女性が駆り出され、悪評もあり、なかなか集まらなくなっていた。
そこで業者は、「愛国班」のツテで集めようとしたのである。
つまり、総督府公認の業者が「慰安婦募集してますから、候補者がいたら教えてください。連れて来てください。」と言うメッセージを、総督府御用新聞を使って発信していたのである。
それがこの新聞広告の意味である。
 
これは、慰安婦の徴集に総督府が深く関与していた事を教えている。
敗戦のラジオ放送が流れ、総督府の職員達に全ての証拠書類を消去するように、命令がなされた。こうして、占領軍が来るまでの約一週間の間、総督府周辺に煙が漂い続けた。
 
朝鮮総督府の臨時雇いであった長田かな子は、1945年8月15日、「玉音放送」を聞いた後、総督府の「中央ドーム真下」の部屋に戻って呆然としていた。そこへ「本課から職員が来て、「燃やして燃やして」とせっかちにいう。気がつくと、庁舎の各階の窓からポンポンと書類を投げ下ろし、油をかけて焼却している。抜けるような青空に、無数の灰が粉雪のように舞った。黒い煙が太く立ちのぼった誰も無言で、ただ機械的に書類を中庭に投げおろした」と記している。こうして敗戦の詔勅の放送と同時に、重要書類の焼却が始まった。
(長田かな子「45年8月15日」『季刊三千里』1982年秋号より)

【日韓歴史共通教材】   日韓交流の歴史 先史から現代まで 掲載資料による)
 

このようにして、公文書を処分する必要があったのは、様々な悪事に関与していたからであろう。