「慰安婦募集」広告の意味
先回の 【転載記事】 のこの写真だが、少し予備知識を書き加えておこう。
① この「慰安婦募集」広告は最初、高校教諭高橋信らが発見した。
当時、朝鮮の日本化を進めるために「創氏改名」「神社参拝」「東方遥拝」などが強要され、それを推進する組織が作られた。
緑旗連盟、思想報国連盟、皇道学会、大東一進会、軍事後援連盟、木曜会、尉中会、国民会、愛国婦人会、国防婦人会、婦人問題研究会、朝鮮文人協会、農業報国青年会・・・・などである。
そしてこれらを束ねる国民精神総動員朝鮮連盟の下に「愛国班」と称する網の目が全国に設けられていた。(約30万人 (42年) )
緑旗連盟、思想報国連盟、皇道学会、大東一進会、軍事後援連盟、木曜会、尉中会、国民会、愛国婦人会、国防婦人会、婦人問題研究会、朝鮮文人協会、農業報国青年会・・・・などである。
そしてこれらを束ねる国民精神総動員朝鮮連盟の下に「愛国班」と称する網の目が全国に設けられていた。(約30万人 (42年) )
⑤ さらに、当時朝鮮女性はの識字率は、29パーセントに過ぎない(1942年)上に、新聞の発行部数も少なかった。(44年の正確な部数は分からないが、1939年度は96000部発行)
つまり、貧乏な朝鮮の女性が読むような、新聞ではなかったのだ。
では、この募集広告は、どのような目的を持ってなされたのであろうか?
当時すでに多くの女性が駆り出され、悪評もあり、なかなか集まらなくなっていた。
そこで業者は、「愛国班」のツテで集めようとしたのである。
それがこの新聞広告の意味である。
朝鮮総督府の臨時雇いであった長田かな子は、1945年8月15日、「玉音放送」を聞いた後、総督府の「中央ドーム真下」の部屋に戻って呆然としていた。そこへ「本課から職員が来て、「燃やして燃やして」とせっかちにいう。気がつくと、庁舎の各階の窓からポンポンと書類を投げ下ろし、油をかけて焼却している。抜けるような青空に、無数の灰が粉雪のように舞った。黒い煙が太く立ちのぼった。誰も無言で、ただ機械的に書類を中庭に投げおろした」と記している。こうして敗戦の詔勅の放送と同時に、重要書類の焼却が始まった。
(長田かな子「45年8月15日」『季刊三千里』1982年秋号より)
(【日韓歴史共通教材】 日韓交流の歴史 先史から現代まで 掲載資料による)
(長田かな子「45年8月15日」『季刊三千里』1982年秋号より)
(【日韓歴史共通教材】 日韓交流の歴史 先史から現代まで 掲載資料による)
このようにして、公文書を処分する必要があったのは、様々な悪事に関与していたからであろう。