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日韓基本条約と李明博大統領パフォーマンス解釈について

『錯乱気流』さんから部分転載

 
 
日米の問題や日中韓の問題を授業で話すことがあるが、その経験からくる実感として申すなら、「日本無罪論」というべきか、「強い日本待望論」というべきか、その根拠となる情報をほとんどネット上から得ている類の学生は、10人に2~3人くらいはいるという感じである。それで、そういう学生は、ある意味政治に興味があったり、物凄く真面目だったりして、私から見れば、好感のもてる学生である場合が多い。だから、彼らは、日本が、本当に「不当に貶められている」と信じているわけである。ネット上で右的言論を展開する不特定多数には、彼らも含まれているのだろうな、とふと考えたりもする。
 
そういう学生に出会った時、私は、「お前の考えは間違っている」とは決して言わない。なぜなら、それはそれで、ひとつの考えであるから、その限りにおいては尊重してやりたいという気持ちがあるからだ。でも、一応、私なりの意見は言う事にしている。例えば、日韓の戦争責任の問題は「日韓基本条約で解決済み」という学生がいたら、私は、次のように訊ねる。
 
日韓基本条約を読んだことがありますか?」
 
すると、「え、読んでません」という答えが来る。あれは物凄く短いものであるから、読もうと思えば、10分とかからない。ネット上に全文でている。読んでもいないのに、なぜ「解決済み」という答えだけが簡単に出てくるのかと言えば、それはそういう言論に接しているからである。そもそも、政府もメディアもそういう言説を繰り返している。そこで、私は次のような質問をする。
 
日韓基本条約が結ばれたのは、何年で、その時の日韓の首脳は誰でしたか?」
 
だいたいが知らない。日韓基本条約が結ばれたのは1965年だが、交渉自体は1951年から開始されているから、この条約に関わった日本の首脳は、吉田茂から佐藤栄作までであり、締結時の首相は佐藤栄作である。その間の、韓国の大統領は、李承晩、朴正煕の二人であり、締結時は後者である。そこで、私は次のような質問をするわけだ。
 
日韓基本条約が結ばれた当時、韓国内で条約締結反対を主張する学生や市民の運動があり、それを当時の朴政権が弾圧し、多数の死傷者が出たことを知っていますか?」
 
もちろん、知っている学生は少ない。とういか、いない。そこで、私は、当時韓国内で日韓基本条約反対運動があったのは、あれが、冷戦構造の中、日韓米の政治的意図を反映した、経済援助紐付き条約であり、『日韓の』戦争責任、及び日本の植民地支配の問題を曖昧にする妥協案であったことを一応説明する。『日韓の』というところが重要である。私は、ここで次のような質問をする。
 
「朴正煕が、日本統治時代に、帝国陸軍中尉であり、日本の統治機構をそのまま受け継いで権力を掌握した『親日派』であったことを知っていますか?」
 
ここで重要なのは、「親日派」と言う言葉である。盧武鉉が政権について以降、韓国では、「真実・和解のための過去史整理委員会」や「反民族行為特別調査員会」が立ちあがり、植民地統治機構の一部として、強制動員に協力したり、戦後民衆を弾圧したりした自国民を糾弾する動きが出てきているが、その対象となるのが「親日派」であり、この言葉には大変ネガティヴなイメージが付きまとっている。韓国では、過去を清算し、日本との関係を前進させたいと言う思いで、日本との関係を重視しているリベラルは「知日派」と呼ばれている。つまり、「親日派」と「知日派」とは違うのである。このことを知らない日本人は多い。そこで、私としては、次のように問わざるを得ない。
 
「朴正煕はその強権的な政治手法から、国内で何度も窮地に立ち、国際社会からの批判も大きかったが、そのたびに、彼を救ったのは、アメリカをバックにした日本政府(自民党政権)だったのを知っていますか?」
 
この文脈で、最も大きな役割を果たしたのは池田勇人であったろう。重要なのは、「真実・和解のための過去史整理委員会」や「反民族行為特別調査員会」は、強制動員や戦後の民主化運動の弾圧が起こったのは、日本やアメリカなどの外国の責任だけではなく、自分達の側にもあったのだという自己反省と、民主化弾圧の犠牲になった人々の名誉回復も視野に入れた社会運動であるということである。しかし、この「親日派」と言う言葉は、韓国社会を分断しかねない活断層のようなものであることは頭に入れておいた方が良い。つまり、この件について、韓国社会は一枚岩ではないのである。単純に言えば、この自己批判を重要視する市民連帯の立場に立つ政治家は、韓国内では「リベラル」であり、これに積極的でないのは「保守」である。現大統領の李明博という人物は、日本の政財界と深いパイプを持つ人物だが、彼が政権の座に就いた時の言葉をご記憶だろうか。「過去の事にとらわれず、未来志向で、日韓関係を前進させたい」。これは、如何にも、「保守」の立場の発言である。その李明博が、任期の最後に来て、竹島に上陸したり、突然慰安婦問題を表に出し、天皇の謝罪にまで言及したのは、日本の政財界とのパイプを持つ兄が窮地に陥ったり、土地購入疑惑やらで、彼の国内での立場が危うくなったため、国内世論を味方につけるパフォーマンスを行う必要があったためである。つまり、李明博は、「親日派」と糾弾されかねない事態に危機感を募らせたと言う事だ。まあ、このあたりまで来て、私の最後の質問は以下のようになる。
 
「来る韓国の大統領選挙で、与党セヌリ党の候補朴槿恵が、朴正煕の娘であることを知っているか?」
 
知らない人が多いのではないだろうか。少なくとも、私の学生で、この事実を知っている者はいなかった。というか、それ以前の問題があるわけだが。「親書をつき返したり、天皇を侮辱したりする韓国にガツンと行って欲しい」と言うが、そんなに単純に物事を見てもらってはやっぱり困る。教員としての私の立場から言えば、何を主張しようが、それはその方の自由だが、最低限の情報は頭に入れたうえで、感想なり結論なりを出して欲しいと願うばかりだ。日韓関係は私の専門ではないけれど、基本文献を読む労を惜しまなければ、以上のようなファンダメンタルなことは、簡単に頭に入るのである。で、「出身国を問わず」、私は学生にいつも言う。
 
「意見は尊重する.。自分も勉強不足なのは重々自覚の上で言うが、結論を出すのは、もうちょっと勉強したあとにしてくれないか」・・・と。
 
(ここまで転載)

 
「(李明博大統領が)竹島に上陸したり、突然慰安婦問題を表に出し、天皇の謝罪にまで言及したのは、日本の政財界とのパイプを持つ兄が窮地に陥ったり、土地購入疑惑やらで、彼の国内での立場が危うくなったため、国内世論を味方につけるパフォーマンスを行う必要があったためである」という意見には賛成できないが、他はだいたい賛成である。
「国内世論を味方につけるパフォーマンスを行う必要があったためである」というのはただの憶測にすぎないからだ。「兄の窮地」は「状況」に過ぎず「理由」ではない。
「理由」は、日本側の慰安婦問題の対応が進展しなかったからである。
 
「いや、そうではない。慰安婦問題はただのパフォーマンスで、それは窮地脱出のためなんだ」と言う人もいる訳だが、大統領任期が切れる人間がパフォーマンスして人気をとって一体何になるのか?よくわからない。
突然慰安婦問題が再び表に出たのは、例の韓国裁判の判決が大きいだろう。そこで去年の終わりごろから李明博大統領は日本政府をせっついていた。野田総理は会談では「善処する」と述べたが実際には何もしなかった。さらに日韓の軍事協力を推進しようとしたが、韓国国内には「日本との事実上の同盟」を「独島、慰安婦」問題で反対する人々がいた。
こうして軍事協力は立ち消えてしまったのである。
 
天皇の謝罪」が飛び出したのは、その後の話である。
パフォ-マンスというよりも本心であっただろう。
 
日本人は、本音と建前の精神構造をもっており、賢い人は何でも「裏がある」と考えがちである。しかしこれは「パフォーマンス」なんていう言葉で解釈するべきものではない。
つまり憤懣の心情が自然に出た行動だと思われる。