河野談話を守る会のブログ2

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桜井よしこ氏を動かしている情念  「血と土」ーレコンキスタ

        「私の血の中から疑問を感じた」のだと言う
 
櫻井よし子氏は慰安婦問題に関わりはじめた初期の頃、こう述べている。

慰安婦に関して来年の教科書には*これについては下に書きます強制連行と書いたところ匂わせたところがあるが、強制連行ではないというのが私の信念である」
「私の両親と同じ世代の、良い人々が、南京大虐殺や強制連行をするはずがない。私の血の中から疑問を感じた。2つの事件は日本の学校で誤って教えられている。36年間の朝鮮支配はやむえなかったと思います。」

(1997,10/3【横浜市教育委員会】教文センター主催の教職員の国際理解を深めるための研修会での講演にて) 

なるほど、感性がある人ではある。
ちゃんと自分の述べる事が事実探求以前に存在している”感情”なのだと分かっているのです。
 
私の両親と同じ世代の、良い人々が、南京大虐殺や強制連行をするはずがない のだと言う。

彼女の中に「軍慰安婦」「南京大虐殺」などへの反発の感情がある。
「血と土」から、湧きあがる感情です。
それで、「そんな事があったはずがない」と思う。
 

 

証拠に関して知的に考える前に
「私の両親と同じ世代の、良い人々が、南京大虐殺や強制連行をするはずがない」
・・・・と言う感情の結論が先にあり、「血の中から疑問を感じた」
 
  
これは多分、桜井氏だけではなく、彼ら(右翼、ネトウヨ)に共通する心理なのでしょう。
しかしジャーナリストとしては、その時点で失格していると思いますが。
「日本軍慰安婦」について書くのならば、慰安婦についてたくさん取材してその成果を報告すれば、それはジャーナリストとして”真実の探求”に貢献する事ができたのに。
今の櫻井氏は〔歴史事実委員会〕〔国家基本問題研究所〕に参加し安倍元総理と連携しながら、政治的プロパガンダ日本会議の広告塔です。
 
 
 
 
            当時の教科書を調べてみる
 
 さて当時の中学歴史教科書に
 
 強制連行と書いたところ 匂わせたところがある」
 
 と言う事ですが、当時の中学歴史教科書で「強制連行」と書いたものは一つもありませんでした。もっとも近い表現は、東京書籍の「従軍慰安婦として強制的に戦場に送りだされた若い女性も多数いた」ですが、吉田清治の書いたようなものではなくても、「強制」があった事はこのブログの中に多くの第一次資料を提示しています。この表現にまったく問題が無い訳ではありませんが、「従軍慰安婦として、騙され強制的に戦場に送りだされた若い女性も多数いた」としておけば、より正しい表現だったと思います。
 
以下
清水書院ー「朝鮮や台湾の女性の中には戦地の慰安所施設で働かされた者もあった」
日本書籍ー「また、女性を慰安婦として従軍させ、ひどい扱いをした」
大阪書籍ー「朝鮮などの若い女性を慰安婦として戦場に連行しています」
教育出版ー「多くの朝鮮人女性なども従軍慰安婦として戦地に送り出された」
帝国書院ーほとんど記述がない。「これらの地域(朝鮮、台湾)の出身者のなかには、従軍慰安婦だった人々、広島や長崎にいて原爆で被爆した人々・・・・がいた。」と書かれている。
日本文教出版ー「慰安婦として戦場の軍に随行させられた女性もいた」
 
(『慰安婦問題と教科書攻撃』添付資料 俵義文 著 を全体として参考としている)
これに関連して「つくる会」の藤岡教授のエピソードを書いて置きましょう。
 
 
 
 
 
           教科書に「強制連行と書いてある」と言えなくなった藤岡教授
 
 韓国からの留学生の高氏が質問した。

「(日本の)どの歴史教科書にも(慰安婦について)『強制連行』という文言はないのに藤岡氏が『強制連行』と書いてある と繰り返して述べているのはなぜか?」

という質問に対して、藤岡氏は

「日本語の解釈としてそのように読める」 と答えた。

*藤岡氏はそれまで、「中学歴史教科書に慰安婦を記述として『強制連行』などと書くのはけしからん。自虐史観だ」と述べていたのだが、そのような記述はどこにも無かったのである。結局は、オーバーに言う事で無知蒙昧な人達を騙して、自分の主張を通そうとしたのである。
(1996年 11月26日 東大教育学部学生「歴史と教育の会」主催での討論会で )


≪後日談≫
この話には後日談がある。
1996年、12月2日、文化人、言論人が集まって『新しい歴史教科書を作る会』を創設し、都内に記者会見を開いた。
この時、呼びかけ人の発言と質疑があったのだが、藤岡氏は従来の主張を微妙に変え、「全部の教科書が強制連行をにおわせ、推測させる記述になっている」 と述べている。

しかし、他の呼びかけ人は「慰安婦が拉致されたような記述は、事実として確定していないし、教科書に取り上げるのは好ましくない(坂本多加雄氏)、「慰安婦強制連行などはあやしい」(西尾幹ニ氏)などと述べていた

( 『正論』1997、2月号、(『慰安婦問題と教科書攻撃』 俵義文 著 )
つまり藤岡教授は、それまでの主張を微妙に変化させたのである。

坂本多加雄氏や西尾幹ニ氏の述べた拉致されたような記述強制連行という記述が無かったことは上の資料から分かるはずである。
 彼らはこのように事実を微妙に変えて表現するので注意深く見なければならない。
 
 
 
〔編集後記〕
 〔血と土〕に関して
 だから、議論していて不利になってくると、「チョンだろ」とか侮蔑を始めるのは、ウヨの特徴ですが、それは彼らの感情が反発している。それで関係ないような事を非難したりするのです。小林よしのり氏が上杉聡氏の『脱・ゴーマニズム宣言』に反論できなくて、著作権侵害で訴えたようなものです。論説が間違いであるというのなら反論すればいいのですが、上杉氏は頭いいし、他人に資料を教えてもらって書いただけの小林氏にはそんな能力がある訳がない。しかし、指摘された事を認めたりはしないのです。指摘された”事実”を認める代わりに他の手段で圧迫しようとする。しかし”真実”というものは異常に強いものなので、たとえ右翼団体が教科書会社に押しかけたり、右翼政治家が文部省に圧力をかけても結局は、浮かび上がってくるのです。だからウヨがいろいろやって「慰安婦問題」を潰そうとしても、いずれは反作用で強い反発が引き起こされて行く。そういうもんだと思います。
昔、左翼の歴史学者達は、「歴史記述は、当時の権力者によっていいように書き換えられている」と言っていたのですが、それは何の根拠もないのですね。例えば、1830年代の「大塩平八郎の乱」がありましたが、幕府はこれについて記録を燃やし、庶民には語ることさえ禁じましたが、庶民はちゃんとこれを後世に伝えたのでした。幕府が倒れるのはそれから30数年後でしたから、その間ずっと伝えられていたのです。だから今私達はこれを知ってるのですね。すると時の権力者が記録を塗り替えようとしても、変えられない”真実”があるのだろう・・・と私は思っているのです。ちょっと関係ない話になりましたが。