河野談話を守る会のブログ2

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1937-38資料から理解できる警察と業者の癒着関係

前回記事の
 
長崎県水上警察署長への長崎県外事課からの返信で
 
   「右要領ニ依リ施設ヲ急キ居ル処既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並朝鮮方面ニ旅行中ノモノリ     今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ    記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度」(前掲38頁)
 
 
と言う資料があった。
 
読めば分かるように
 
「朝鮮に慰安婦を探して旅行中の者がいて、今後も必要なので、本人に外事課お墨付きの身分証明書を持たせるから、いろんな便宜供与をはかってくれ・・・・」
 
という文章である。

こうして、軍の威力を背景にして、ちゃんと身分証明書を持った業者が朝鮮半島で暗躍するようになった事が分かる訳だ。
 
しかし、このお墨付きの連中、日本国内でもすでに見てきたように、誘拐まがいの手段で慰安婦を集めようとして警察に捕まったのだから、朝鮮半島でも同じようにしたと考えられる。と言うよりも2級日本人として蔑んでいた朝鮮人に対しては容赦なく駆り立てたものと思われる。余りに悪どいので日本でも、人の心を忘れた「忘八」と呼ばれたのが日本の売春業者であった。
 
さてそれよりかなり前の話だが、日本が朝鮮半島を支配しはじめた1905年、伊藤統監時代から急速に増えたのは、日本人の遊郭(女郎屋)経営と花柳病の蔓延であった。http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/63570811.html
 
1906年から10年までの間に1万5千人以上の遊女が朝鮮半島に渡り、「合併」を機に、さらに日本各地から女郎屋が多数乗り込んで行った。こうして朝鮮半島にも女達を遊郭に売る女衒という職業が生まれたのである。日本の女衒もそうであったが、この職業は要するに女性をあの手、この手でかどわかし女郎にするわけだが、その手段は
 
①誘拐する
②女性を騙す(就業詐欺)
③親に金を渡し女を買う。(この場合にも親には、「工場で働く」「女中奉公」などと騙して前借金を渡していた)
 
つまり、かどわかし、騙し、人買い・・
などであった。
 
 
この内で一番儲かるのは、言うまでもなく「誘拐」である。元でがかからないからである。
 
 
1930年代の朝鮮半島では、若い女性をかどわかす女衒が暗躍していた・・・・その様子を示すのが、以下の逮捕記事である。

http://blog-imgs-49-origin.fc2.com/k/u/r/kurokango/sinbunn11.jpg
 
上の東亜日報の記事は、左は「誘拐」右は「就業詐欺」取締りである。
 
ところが、この逮捕記事、1938年以降急速に無くなって行く。
しかし朝鮮人慰安婦達がいなくなった訳ではない。
上記事と同じように「騙されて連れて行かれた」女性がこれ以後もたくさんいた事は、ここでも書いている。
 
では、どういう事かと言うと、警察が理解したと言うことなのである。
何を理解したのか?
 
それは「軍の要求によって慰安婦が集められているのだから、便宜をはかるべきである」と警察は理解したのである。それが、この資料から読み取れる事なのだ。

 

 
さてそれで最初の述べた身分証明書を持って朝鮮半島に出向いた業者たちは、どう行動しただろうか?
 
韓国語に堪能でない彼らがやった事は、おそらくはすでに半島に存在していた朝鮮人の女衒達に「女一人につきいくらいくら」と金を渡し、女を集めさせる事であっただろう。もちろん遊郭のボスの中にはすでに半島に遊郭を経営している者もいたのであり、なじみの女衒を抱えていた者達もいただろう。
 こうして朝鮮半島では女衒たちが活発に働くようになるのだが、この頃から女衒の逮捕は急速に減っているのである。とりわけ1941年太平洋戦争が始まり総動員体制が朝鮮にも敷かれると女衒を逮捕した記録がほとんどなくなってしまう。
 
それはどいいう事かと言うと、「慰安婦にする女を集める事が軍の要求である」事が総督府警察に広く浸透したと言う事だ。なぜなら軍や政府のお墨付きの身分証明書を持った業者が居たからである。そこで、だんだん逮捕されなくなるのである。
 
総動員体制になり、軍が日本国内でも完全に支配する軍国主義の中、朝鮮半島でも軍の要求は何でも通すようになって行った。軍が米をよこせと言うとそれは朝鮮の農家に割り当てられたし、鉄が必要だと各家庭にフライパンまで出させた。そんな風に軍の要求が主役になっていた時代なので、女性を集める事も軍の要求として既成事実化していたのである。
 
だから警察は 「田辺警察署は取り調べ中の三名を1月10日に釈放している」http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/63654131.htmlのである。
それは朝鮮半島でも同じであり、女衒達が多少、手荒く女性を集めていても、「それは軍の要求だから」と考え、看過し、ほとんど逮捕しなくなったと言う事だろう。
 
最近もアメリカの新聞広告を掲載した桜井よしこ氏達の『歴史事実委員会』は、FACTの中で、「警察は違法な業者を摘発した」と述べているが、それは1938年頃までの話であり、それ以後逮捕しなくなる(少しだけある)どころか自分達も慰安婦集めに加わっている。
だから事実は時期が違うと警察の行動も変化したと言う事であり、軍国主義が進むと逮捕が少なくなったのである。それどころか41年の関特演においては、総督府、面組織、警察などが軍の命令によって「慰安婦」を集めている。つまり朝鮮の女性を集めることは公務の一部になっているのである。関特演に関しては近い内に整理しておこう。