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ウソばっかりの〔thefacts.〕  事実3の検証

まるでスマランだけが例外みたいに書く〔事実3〕のウソ

文中の赤は私
 
事実3
しかしながら、規律違反の例があったことも確かである。
例えば、オランダ領東インド(現在のインドネシア)、スマラン島
 
 スマランは島の名前ではなく都市名 
 
では、ある陸軍部隊がオランダ人若い女性の一団を強制的に拉致し「慰安所」で働かせていた。
しかし、この事件が明らかになった時点で、この慰安所は軍の命令により閉鎖され、責任のある将校は処罰された。
 
ほとんど処罰されていない。その後昇進している。首謀者の一人である野崎清次少将は1944年には旅団長になり、45年3月には中将となっている。どこに処罰した跡があるんだ?

これらの戦争犯罪に関与した者はその後オランダ法廷で裁判にかけられ、死刑を含む重い判決を受けた。
 
 
(まで)


以下解説である

 

スマラン慰安所事件は、すでに有名なので、さすがに無視する事はできなかったらしい。
この事件は、オランダ抑留所の女性24人余を連行し、強姦した上売春を強制した事件である。その後逃げ出した2名は警察につかまり連れ戻されている。1名は精神病院に、1名は自殺未遂、1名は妊娠中絶したことが分かっている。
しかし、スマランはけっして例外ではない。
 
事実3 では、この事件が唯一の例外みたいに書いているが、日本軍の強姦・監禁はしばしば起こった事件であった。
 
 
 
                  1、 オランダ政府報告
 
1994年のオランダ政府報告書によると、インドネシアには他に6件の強制慰安婦問題(監禁+レイプ)が起こっている。
ブロラのケース
マゲランのケース
スマラン→スラバヤ(フローレス島)ケース
シトボンドの憲兵による4人監禁強姦事件(2名は自殺をはかった)
ボンドウオソのホテルのケース
マランのケース(憲兵が監禁)
 
また以下は東京裁判の際にオランダが提出した資料である。
 
日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオニ於ケル強制売淫行為ニ関スル報

 1943年ノ前半ニ「ポンチァナツク」(Pontianak、日本語表記は、ポンチャナックとも)海軍守備隊司令海軍少佐ウエスギ・ケイメイ/UESUGI KEIMEI/、(同人ハ1943年8月頃日本ニ帰国シタリ抑留ヲ要求シ置ケリ)ハ、日本人ハ、インドネシア或ハ中国ノ婦人ト親密ナル関係ヲ結ブベカラズ、トイフ命令ヲ発シマシタ。当時、全テノ欧州婦人ト、事実上全テノ印度系欧羅巴婦人ハ、抑留サレテ居マシタ。彼ハ同時ニ公立性慰安所ヲ設立スルヤウ命令ヲ出シマシタ。是等ノ性慰安所ハ、2種ニ分類スルコトニナツテ居マシタ。即チ3ヶ所ハ海軍職員専用5,6ヶ所ハ一般人用デ其ノ中ノ1ヶ所ハ海軍民政部ノ高等官用ニ当テラレマシタ。

 海軍職員用ノ性慰安所ハ守備隊ガ経営シマシタ。司令ノ下ニ通信士官海軍大尉スガサワ・アキノリ/SUGASAWA AKINORI/ガ主任トシテ置カレ、日常ノ事務ハ当直兵曹長ワタナベショウシ/WATANABESHOJI/、ガ執ツテ居マシタ。日本人ト以前カラ関係ノアツタ婦人達ハ鉄条網ノ張リ廻ラサレタ是等ノ性慰安所ニ強制収容サレマシタ。彼女等ハ、特別ナ許可ヲ得タ場合ニ限リ、街ニ出ルコトガデキタノデシタ。慰安婦ヲヤメル許可ハ、守備隊司令カラ貰ハネバナリマセンデシタ。海軍特別警察(特警隊)ガ、其等ノ性慰安所慰安婦ヲ絶エズ補充スルヤウニ命令ヲ受ケテヰマシタ。此ノ目的ノ為ニ特警隊員ハ街デ婦人ヲ捕ヘ強制的ニ医者ノ診察ヲ受ケサセタ後、彼等ヲ性慰安所ニ入レマシタ。是等ノ逮捕ハ主トシテ、ミヤジマ・ジュンキチ/MIYAZIMA ZYUNKIKTI/、コジマ・ゴイチ/KOJIMA GOICHI/、クセ・カズオ/KUSEKAZUO/、イトウ・ヤスタロウ/ITO YASUTARO/、各兵曹長ニヨツテ行ハレマシタ。

 一般人用ノ性慰安所ハ、南洋興発株式会社支配人ナワタ・ヒサカズ/NAWATA HISAKAZU/、ガ経営シマシタ。守備隊司令ハ民政部ニ命ジテ、之ヲ監理サセマシタ。民政部ハ此ノ経営ヲ報国会(日本人実業家ノ協会)ニ依嘱シ、ナワタ/NAWATA/、ガ報国会ノ厚生部ノ主任デアツタノデ、是等一般人用ノ性慰安所ノ主任ニ任ゼラレマシタ。彼ハ帳簿ヲツケタリスルヤウナ事務的仕事ニハ、彼ノ会社ノ使用人ヲ使用シマシタ。毎朝夜間ノ収入ハ南洋興発会社ノ出納係キタダ・カゲタカ/KITADAKAGETAKA/、ニ引渡サレマシタ。是等ノ慰安所ニ対スル婦人達モ亦、特警隊ノ尽力ニヨツテ集メラレマシタ。其等性慰安所ニ充テラレタ家屋ハ、敵産管理人カラ手ニ入レ、家具ハ海軍用慰安所ニアツテハ海軍ガ支給シマシタ。遊客ハ原住民デアル傭人ニ(海軍ノ場合ニハ其ノ階級ニ従ツテ)金ヲ支払ハネバナリマセンデシタ。又ソノ傭人ハ、其ノ金ヲ毎日当直兵曹長、又ハ南洋興発ノ出納係ニ引渡シマシタ。両者ノ場合共三分ノ一ハ諸経費、家具、食物等ヲ支弁スル為保留サレ、三分ノ二ガ当該婦人ノ受取勘定ニ繰リ入レラレマシタ。此ノ中カラ婦人達ハ随時彼等各自ノ用ニ充テル為、其ノ一部ヲ引出スコトガ出来マシタ。毎月ノ計算書ハ、民政部ノ第一課ニ提出セネバナリマセンデシタ。

 特警隊ハ、婦女ヲ捜スニ当リ、民政部及日本人商社ノ全婦人職員ニ特警隊ニ出頭スルヨウニ命ジ、ソノ婦人達ノ何人カヲ真裸ニシ、日本人ト関係シテヰタトナジリマシタ。次イデ、医師ガ検診ヲシマシタガ、数人ハ処女デアツタコトガ判リマシタ。是等ノ不幸ナ婦人達ノ中何人ガ性慰安所ニ強制的ニ送ラレタカ確実ニハ判リマセン。婦人達ハ性慰安所カラ敢テ逃ゲ出サウトハ致シマセンデシタ、ト言フノハ、彼女等ノ家族ガ特警隊ニ依ツテ直チニ逮捕サレテ非道ク虐メラレルカラデシタ、/例トシテ此ノ様ナ事ノ為、当ノ少女ノ母親ガ死ンダ事ガアリマス。幸ニモ占領期間中引続キ診療ニ従事スルコトヲ許サレタ在ケタパン/KETAPANG/、ノインドネシア人軍医ルフリア/LUHULIMA/、博士ハ特警職員ノ命令デ、彼ノ行ツタ是等婦人ノ検診ニ関係シ、宣誓陳述ヲスル事ガ出来マシタ、
 彼ノ証言ニ依ルト婦人達ハ強制的ニ売淫サセラレタノデアリマス。
 上記ノ報告ハ日本人戦犯者ノ訊問カラ得タ報告ト、本件関係者ノ宣誓陳述トカラ輯録サレタモノデアリマス、
 私ハ、上記事実ハ真実ニ上述ノ報告書ニ相違スル点ノナイ事ヲ、情報将校及日本語通訳トシテ誓ツテ断言致シマス、
   バタビア 1946年7月5日
   /署名/ジェー・エヌ・ヘイゲブロエク陸軍大尉/署名/J・N・HEIJBROEK capt/
   蘭印軍情報部
    (T・N・on the 'certificate is written J・N・HEYBROEK)

東京裁判-性暴力関係資料』吉見義明監修、内海愛子・宇田川幸大・高橋茂人・土野瑞穂編(現代史料出版)より
資料24「書類番号5330 日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオニ於ケル強制売淫行為ニ関スル報告(J・N・ヘイブロツク[オランダ軍大尉検事]の報告書、日本軍常習的戦争犯罪の概略)Ex1702」
 
慰安婦がまさに「性奴隷」であったことを示す内容とともに、「海軍職員用ノ性慰安所ハ守備隊ガ経営シマシタ」というような記述もみられる。
 
 
 
 
             2、 中国山西省の裁判ケース

軍人による慰安婦の強姦・監禁という点では、山西省の3件の慰安婦訴訟のケースが有名である。請求は破棄されたが、いづれ裁判所による事実認定を受けている。詳しい内容は『黄土の村と性暴力』。 裁判記録は
 
 
以下のいずれのケースでも強姦と監禁を認めている。
 
中国人慰安婦損害賠償請求訴訟(第一次)
期間:1995年8月~2007年4月
東京高裁判決山西省の4名の女性の被害について事実認定が行われた。
判決では「日本軍構成員らによって、駐屯地近くに住む中国人女性(少女も含む)を強制的に拉致・連行して強姦し、監禁状態にして連日強姦を繰り返す行為、いわゆる慰安婦状態にする事件があった。」(東京高裁 2004年12月15日)と認定した。
 
中国人慰安婦損害賠償請求訴訟(第二次)
期間:1996年2月~2007年4月
地裁高裁判決で被害の事実認定が行われ、最高裁でもこの事実認定を認めた。さらに、現在までPTSDの被害を受けていることも認定された。
「訴えていたのは、山西省出身の郭喜翠さん(80)と故・侯巧蓮さんの遺族。一、二審とも軍が15歳の郭さんと13歳の侯さんを連行、監禁、強姦(ごうかん)した事実を認定したが、請求を棄却した。最高裁も、この事実認定自体は「適法に確定された」と認めた。」
(2007年04月27日付 朝日新聞「戦後補償裁判、4訴訟請求権否定 最高裁で敗訴」
 
中国山西省性暴力被害者損害賠償等請求訴訟
期間:1998年10月~2005年11月
地裁高裁判決で被害の事実認定が行われた。地裁では山西省の10名の女性の被害事実について、1940年末から1944年初めにかけての性暴力被害の状況をほぼ原告の主張通りに認定し、東京高裁もこの認定を踏襲した。さらに、地裁高裁立法的・行政的な解決が望まれる旨の付言がなされた。

 
スマランだけが、例外ではなかった事は明らかである