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議員達の現代妄言集

最近、政治家による歴史修正論が盛んに唱えられている。中山議員や西川議員にみられるような歴史修正論の様々な主張はアジア各国からの反発と不信を招き、同盟国アメリカからさえも懸念が表明されている。彼らの唱える歴史修正論は一部の(専門でない)学者達の熱烈な支持を受けてはいても、近現代専門の学会に属する歴史学者のほとんどに不信されている。ではなぜ支持されていないのか?それは総合的に資料を見れば論説に偏りがあるからだ。資料は多く存在するのにごく一部でしかない自分の好みの資料を用いて偏向した歴史理解を展開しているのである。
そして「南京事件はなかった」「創氏改名は強制ではない」だとか「従軍慰安婦に強制性はなかった(商売だった)」などと述べ、これに関する歴史教科書の記述に文句をつけるという不思議な事をしてきたし、現在もしている。
中山議員は「併合下の韓国の道議会議員8割が韓国人であった」という主張をしていたが、当時韓国の道議会や道知事がほとんど何の権限ももっておらず、朝鮮人参議で構成された中枢院は単に総督の諮問機関でしかなった。(『日本の植民地支配』水野直樹著P17)さらに総督府における韓国人職員の比率は年々減少傾向にあり、とりわけ高級官僚であった勅任官などは1910年には75パーセントであったものが、40年代になると20パーセント台になっている。ろくに実権もない議員や官僚の8割が韓国人であるという主張に何の意味があるだろう?(『日本の植民地支配』水野直樹著P17)また総督とその下の政務総監、局長クラスもほぼ日本人が占めており、警察局長や道警務部長には朝鮮人を登用しないという不文律があった。(同書P16)
このような体制では「強制連行」などしようがないというのだが、韓国の元慰安婦達の証言からは、強制連行は2,3割はあったと言える。その多くは業者によるものであったにしても強制連行しなくても「工場で働く」などと騙して連れて行ったあげく強制的に慰安婦した例は多く、軍の責任はまぬがれない。そして中国やインドネシアなどではまさに「強制連行」がなされた。
中山議員は、1940年までしか無い女衒の逮捕記事を大きく掲げていたが、女衒の逮捕は軍が慰安婦を徴集している事が広く知れ渡ったが38年から急速に減り41年以降は存在しない。これは警察が便宜を図るようになったからである。この間軍国主義は急速に進み、戦争に反対するような人達は「非国民」として取り除かれ、国民全員が軍のために行動しなければならなくなった。企業もすべて軍と連動するようになり朝鮮半島の人達も人的資源として徴用、徴集され、鉄製品、米、金なども多く奉げさせられた。こうして全てが軍中心になったので軍が求めた慰安婦をたとえ女衒が暴力的に徴集しても逮捕しなくなった。警察が便宜を謀ったのである。もはやあらゆる不法がまかり通る時代となっていたからだ。
 
確かに官憲に対して「強制連行しろ」という公文書による命令書は発見されていない。しかし我が日本の官僚たちは、敗戦とともに公式文書の多くを燃やして証拠隠滅を謀ったのである。8割燃やしたという。自ら証拠を隠滅しておいて「証拠を出せ」とは、いかなる了見であろうか ?道徳教育を言うならば、自ら範を示すべきだろう。「証拠隠滅」はどんな道徳教育なのだろうか?
 
 
さらに西川議員は、「南京虐殺従軍慰安婦について書いた高校歴史教科書はデタラメだ」と述べていたが、デタラメなのは自分の理解している歴史の方なのだという事を考えるべきである。
「いわばこのいわゆる従軍慰安婦という言葉自体、これがまぁ、朝日新聞その他のマスメディアが作ったいわば戦後の造語でありまして、そしてそういう組織はなかったですね。」
と述べてるが、そもそも歴史事実を表す用語は、後世に作られるのが当たり前である。古墳時代の人々は「前方後円墳」とは呼ばなかったし、江戸時代の人は「幕藩体制」などと呼ばなかった。しかし後世においてはその事象に「前方後円墳」「幕藩体制」という名前をつけたのである。
 
政治家がこうした自己流の間違った歴史認識を唱え、文部省検定に圧力をかける事で歴史教育は危険にさらされ近隣アジア諸国アメリカから非難と懸念の声が上がっており、辻本議員が述べたように外交問題にまで発展しているのである。少し考え直したらどうか?
 
 
中山(成)委員 そうですね。思い出しますね。私が文科大臣になったときに、政務官でもいいからチームに入れてくれと。私はあのとき、下村さんの教育にかける熱意を本当に感じたんです。その後、官房副長官とか、あるいは教育再生の会議で中心的な役割を果たしておられる。すばらしいことだと思っています。本当に頑張っていただきたいと思います。
 
 ところで、今、韓国も朴新大統領、近々、習近平主席就任ということでございます。首脳会議も予定されていますね。私は、ぜひ北朝鮮金正恩氏とも会って、そして拉致問題を早く解決してほしい、こう思うんですけれども、そのときに常に出てくるのが、歴史を直視して未来志向で、こう言われるんですよね。
 
 きょうは、歴史を直視するというのはどういうことかということを、ぜひ皆さん方と考えてみたいと思うんです。
 
 今度、四月二十八日は主権回復の日ということで、自民党さんも、近現代史を学び直す日にしよう、こういうことを考えていらっしゃるようですけれども、一足先にちょっと話をさせていただきたいと思います。
 
 日本の戦前の朝鮮とか台湾の統治、これは、欧米諸国の植民地主義、いわゆる略奪だけを目的としたそういうものとは違っていたと私は思っております。学校とか病院をつくり、道路や鉄道をつくり、そして、例えば台湾では、嘉南タイシュウといって、八田技師が大変なかんがい事業をやりました。ちょうど私は出くわしたんですけれども、五月八日の日には地域の住民たちが集まって八田技師の遺徳をしのんでいる、そういう場面にも出くわしたことがありました。
 
 そういった中で、私は、朝鮮も同じようなことをしていたんだということを皆さん方に御理解いただきたいと思うんです。
 
 このパネルを見ていただきたいんですけれども、右側にありますのは、「京城に地下鉄」と書いてありますけれども、実は、東京で一番古い地下鉄、銀座線が浅草渋谷の間に開通したのは一九三九年。しかし、翌年の一九四〇年には、もう京城に地下鉄ができているんですね。この一例だけで、いかに日本が当時の韓国の近代化に熱心であったかということがおわかりになるんじゃないか、こう思っております。
 
 その横の朝鮮半島の地図でございますけれども、昭和十二年の時点で、朝鮮の国鉄、私鉄合わせて五千キロメートルの鉄道ができていた。そして、昭和二十年までにはさらに千キロメートル延長したんですね。
 
 この下の写真は漢江の大鉄橋ですけれども、この大鉄橋ができた明治三十二年、一八九九年、我が国が京城と仁川の間に鉄道を敷設するまで鉄道はなかったんですね。だから、すごい鉄道網を短期間につくったということがわかっていただけると思います。
 
 左の方の写真ですけれども、これは京城帝国大学です。これは大阪帝国大学よりも七年早く、名古屋帝国大学よりも十五年も早く、実は建てられているんですね。そして、日韓併合の時点では公立学校はたった百校しかなかった。しかし、昭和五年の段階では公立小学校は千五百校。昭和十七年には四千二百七十一校の公立学校を設置したんです。
 
 しかも、この写真を見てください。鉄筋コンクリートですね。れんがづくりです。私は昭和二十五年に小学校に入りましたけれども、木造のおんぼろ校舎でした。本当に、そういう意味で、私は、日本というのは、台湾もそうですけれども、朝鮮も内地と同じような、そういう統治をしたんだということを御理解いただきたいと思っています。
 
 この一番下の女学校など、今、日本にあったら、これは文化財指定物じゃないかな、このようにさえ思うんですね。
 
 次は、麻生副総理に後でお聞きしますけれども、創氏改名朝鮮人が望んだんだ、こういうふうに東大で講演したら朝日新聞でたたかれた記事でございますけれども、現在使われている高校の日本史の教科書を見ますと、ここに三つの教科書を並べましたけれども、「日本風に改める創氏改名が強制された。」「日本式氏名を強制した創氏改名など、」、創氏改名などを強制した、こういうふうに検定教科書には書いているんです。
 
 ところが、この左の方を見ていただくと、「氏の創設は自由 強制と誤解するな 総督から注意を促す」、こういう記事があります。そして、内地式に変更、締め切り後も変更することができますよと言っているので、決して強制ではない。
 
 真ん中の写真を見ますと、創氏改名に殺到しているソウル市民、こういうふうに書いてあるんですね。
 
 麻生副総理、平成十五年に東大で発言をされたときは、こういう記事を知らなかったでしょう。今、改めて、どういうふうに思われますか。
 
 
中山(成)委員 それでは、下村大臣。
 
 教科書の検定というのは事実に基づいて行われるべきは当然だと思うんですけれども、ここに提示した三つの教科書、いずれも明らかに間違っていますよね。
 
 この教科書で学んだ学生が、例えば大学入試で創氏改名は強制と答えた場合に、これはマルですか、バツですか。非常に大きな問題なんですよ。本来であれば、こういう教科書は回収すべきだと思うんですけれどもね。そうでなくても、これを使っている学校へ正誤表を配付する、そのようなことをしてもいいんじゃないかと思うんですけれども、期待する文科大臣、よろしくお願いします。
 
 自分の間違いだらけの歴史観によってこんな事を言うのだから、国が道を間違うわけだ。