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吉見―秦対局  その2

 
秦 は
「ちょっと私それはね、同意しかねますね。内地の公娼制をね、これ奴隷だということになってくると、
  そうすると今現在オランダの飾り窓のね、女性たちだ、ドイツも公認してますしね、それからアメリカでもね、
  連邦はだめだけれども、ネバダ州は公認してるんですよ。これみな奴隷、性奴隷てことになりますよね。」と言っているが、
 
ネバダ州には、いまだに人身売買があるのだと言いたいのか?
だいたい日本の公娼制度は、「人身売買」有りの「騙して連れて行く」有りの「かどわかし」有りのだったが、警察はほとんど取り締まらず放置していたので、市民運動が起こって、「廃娼運動」が盛んになったのである。
 
昔の日本の公娼制度とネバダ公娼制度を同一視する秦郁彦の論説には謎が多い。

  
 
対局
 

吉見  両者に関連があるということは言えると思いますけれども、明らかに別のものだと思うんですね。
  
荻上  公娼と慰安婦制度というものは。
  
吉見  ええ。それを何故かっていうと、内地にある公娼というのは民間の業者が全部運営してるわけですよね。
  軍の慰安所というのはそうではなくて、軍が作りですね、軍が例えば建物を接収して、
  業者に使わせる場合もありますけれども、女性を集めるのも、軍が直接やる場合、それから軍が選定した業者に
  集めさせる場合もありますけれど、軍がやってるわけですよね。
  それから慰安所の、規則も料金も軍が決めてるわけですよね、それから実際にそこを利用するのは、
  軍人、軍属に限られてるわけ、民間人はそこを使えないわけですから、明らかに違う、ということだと思うんですね。
  それからもう一つは、内地の公娼制度も、僕は性奴隷制度だと思いますけれども、
  それはなぜかっていうと、要するに人身売買を基礎にして成り立っているわけですよね。
  確かに、人身売買は公認されていて犯罪ではなかったわけですけれども。
  慰安婦制度の場合はですね、その公娼制度よりももっと、なんていうんですかね、性奴隷制度の性格が強い。
  それは例えば、内地の公娼制度の下ではですね、自由廃業という規定があったわけですね。
  これ自由廃業っていうのは娼妓をやめようと思えば、すぐに辞められる権利なんです。
  ただこれは実際は、紙の上の権利でしかないわけですけれども、まぁ一応そういうものがあったわけですが。
  
荻上  公娼で携わっていた女性の告発とか日記とか見ても、やめさせられないという文章も当時もありましたですし。
  
吉見  そうですね。
  
荻上  今もね、風俗などもやめさせてくれない店などあったりしますけれどもね。
  
吉見  まぁ建前としては辞められる、自由廃業の規定があったわけですけども、軍の慰安所では自由廃業の規定すら
  ないわけですよね。それは明らかに違うと思うんです。
  
荻上  なるほど。元々の公娼制度も今から考えたら性奴隷的だと取れるし、ましてや軍の関わった慰安所に関しては、
  公娼よりもさらに進んで酷いという評価は妥当だろうということですかね。
  
吉見  それからもう一つはですね、国内で人身売買は犯罪ではなかったわけですが、当時の刑法で。
  国外に連れて行く場合はですね、国外移送目的人身売買罪というのがきちんとあるわけですよね。
  女性たちが人身売買で、海外に連れてかれてですね、慰安所に入れられたとすれば、これは犯罪なわけですよ。
  
荻上  これは日本政府が犯罪だとしていたと。
  
吉見  そうですね。当時の刑法でそれは3年以上の懲役、という非常に重い刑罰を科すことになっていたわけです。
  で仮に、人身売買をされて、慰安所に入れられたとすればですね、慰安所っていうのは軍の施設ですから、
  そうすると、そこで女性たちを、いわば使役し続けるわけですから、軍の責任が生じてくる、
  犯罪に加担してると言われてもしょうがないということになるわけですね。
  それは明らかに違うと思いますね。
  
荻上  秦さん吉見さんの今の意見どうですかね。
19:05  
秦  ちょっと私それはね、同意しかねますね。内地の公娼制をね、これ奴隷だということになってくると、
  そうすると今現在オランダの飾り窓のね、女性たちだ、ドイツも公認してますしね、それからアメリカでもね、
  連邦はだめだけれども、ネバダ州は公認してるんですよ。これみな奴隷、性奴隷てことになりますよね。
  
吉見  それは人身売買によって女性たちがそこに入れられてるわけですか?
  
秦  人身売買がなければ、奴隷じゃないわけですか。志願した人もいるわけでしょ?高い給料に惹かれてねぇ。
  
吉見  それはまぁセックスワークがどういう風に認めるかということについてはいろいろ議論があってですね。
  それはむつかしいわけですけれども、少なくとも、人身売買を基にしてこういうシステムが成り立ってる場合は、
  それは性奴隷制というほかないんじゃないですか。
  
秦  自由志願制の場合どうなるんですか?
  
吉見  それは性奴隷制とは必ずしも言えないんじゃないでしょうか?
  
秦  言えない、公娼であっても。
  
吉見  まぁそれは本人が自由意思でですね、仮にそういうことを性労働をしているのであれば、
  それは強制とは言えないし、性奴隷制とも言えないでしょうね。
  
秦  だからね、日本の身売りっていうのはありましたね。身売りっていうのはこれは人身売買だから
  これいかん、てことになってるんですよ、日本の法律でね。ですから、
  
吉見  いつ、いかん、てことになってるんですか?
  
秦  人身売買自体をほら、マリールイズ号事件の時からあるでしょう。ね?だから、人、
  
吉見  それはだけど、たしかにあるけれども、それは建前なわけですよね。
  
秦  建前にしろですよ?それでね、建前にしろですね、人身売買ていうのはだいたい親が娘を売るわけですけれどもね、
  売ったという形にしないわけですよ。要するに金を借り入れたと、でそれを返済するまでね、娘が、
  これを年季奉公と言ったりなんかするんですけどね?その間その性サービスをやらされるってことなんでね。
  それでね、娘には必ずしも実情が伝えられてないわけですね。
  だからね、しかし、いわゆる身売りなんですね。あれ昭和、
  
荻上  行ってみたら、こんなはずじゃなかったというような手記が残っていた場合もあるわけですよね。
  
秦  騙しと思う場合もあるでしょう。だから1936年のね、調査っていうのはあるんですが、
  こういう売春婦達のですね、調査をやったところなぜなったかということについてですね、
  家庭の事情というのがね、96%なんですよ。つまり娘達は親が自分を売ったということは思いたくないし、
  でそうであってもですね、これは言うに忍びない。これは朝鮮の場合も同じだと思います。
  だからそうするとね、娘たちは、騙されたと感じるのもあるでしょう、親も言いそびれますよね。
  だからね、これはね、自由意思か自由意思でないかっていうのは非常に難しいんですね。
  やはり家族のためにということですと、これ誰が判定するんですか!
  
吉見  いやそこに明らかに金を払ってですね、女性の人身を、拘束してるわけですから。
  それはもう人身売買というほかないんじゃないですか?
  
荻上  ちょっと時期は違いますけれども吉原花魁日記とか春駒日記とかの大正期の資料なんかには、
  親に働いて来いと言われたけど実際に来てみたらこのことだとは知らなかったと。
  このようなケースもあったりするわけですよね。それは親もあえて騙していたかもしれないし、
  周りの人もお金が稼げていいね、と誉のように言うんだけれど、内実の話は周りもしらなかったっていうのは
  話はいろいろあったりしますよね。
  
吉見  まぁ実際にはあれでしょ。売春によって借金を返すっていう、そういうシステムになってるわけでしょ。
  
秦  今だってそれはあるわけですよ。
  
吉見  それは、それこそまさに人身売買であって、それが問題になるんじゃないですか?
  
秦  じゃあなたネバダ州に行ってあなた大きな声でそれを弾劾するだけの勇気がありますか?
  


 
歴史学の議論を「ネバダ州で大声で弾劾する勇気があるか?」という話にすり替えてしまう秦郁彦。歴史事実を追及するか?ではなく「弾劾する勇気があるか?」という論争をしたいのだろうか?
こういうところがウヨだなと思う。
話を全然関係ない事にするのが、安倍からネトウヨまで、共通した論争法なのである。それはもう逃げだしたのだから、その時点で吉見氏の勝ちである。