歴史音痴、西岡力が解説する『よくわかる慰安婦問題』の謎
この著作がまったくバカげているのは、少し読んだだけでも分かる。例えば「第3章、慰安婦問題のウソ」P87からの「東京で家5軒が買えるほどの貯金」の節にはこう書いてある。
(ここから引用)
「92年、名乗り出た元慰安婦、文玉珠さんが訪日し、軍事郵便貯金の払い戻し請求を行ったという新聞報道があった。文さんは1942年から44年までビルマで慰安婦生活をしたが、その間に軍人からもらった現金などを現地部隊の軍事郵便局に預けた。・・・・・その後、・・・92年5月11日に軍事貯金の原簿が発見された。原簿によると、1943年6月から45年9月まで12回の貯金があり、残高は26145円となっていた。本来ならこの金額の大きさが大ニュースだった。なにしろ当時の26000円である。その頃、5000円あれば東京で家一軒買えたというから、彼女の貯金は家5軒分なのだ。」
「彼女の貯金払い戻しを実現しようという・・・・・マスコミが批判せずに報じている。」
「これらの報道を見て、私は、慰安婦問題の詐欺劇は行きつくところまで来たと嘆くばかりだった。」
(以上引用ここまで)
繰り返して強調する西岡力
「金額の大きさ」
「26000円」
「5000円あれば東京で家一軒買えたというから、彼女の貯金は家5軒分」
「なんと2万6000円」
「でなんと2万6000円以上の大金を手にしていた」
と短い文章の中で繰り返している。これがこの人物のやり方で、何度も繰り返して強い印象を与えようという『洗脳法』の初歩みたいなものだ。ヒトラーの洗脳術でも研究したのだろうか?
いづれにせよ、捏造論説と言える。
さすがは、まったく歴史を調べようともしない西岡力である。「私を含む一部専門家」 (P3)なんて書いて、自分を『専門家』と呼んでいるが、こんなにトンチンカンなのに一体何の専門家なのだろう?
自分を権威つけて嘘を書くのは、やめて欲しいものだ。
ネトウヨの反応
しかし、ついでだから、この主張を何の疑いもなく唱えているウヨのブログを検索して紹介しておこう。
【ぽんすけ】
ごていねいに、当時の総理大臣の月給(800円)まで書かれている。
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【思考研磨】
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【マスコミが報道しない真実】
このブログは、自分たちの創作神話を捏造して加えている
「平成四年に二万六千百四十五円の郵便貯金返還の訴訟を起こして敗れている。」だそうだ。
嘘付きだな!!そんな訴訟なんてないだろ。あったとしたら、どの裁判の話かちゃんと示せ。
ネトウヨの嘘論説の一つである。
元慰安婦、文玉珠さんはお金持ちだったか?
この種明かしは簡単である
当時、軍は侵攻した地域に軍票を乱発したので、急激なインフレが起こった。
文玉珠さんのいたビルマのインフレは激しく、小林英夫早大教授によると、43年からインフレが起こり、1945年のビルマの物価は、東京と比較すれば1000倍以上に達していた。つまりビルマの2万円は、東京の20円にしかならないのである。
ゆえに歴史学者の太田常蔵は「マンダレー失陥後の軍票はほとんど無価値であった」と述べている。(『ビルマにおける日本軍政史研究』)
そこで要らなくなった軍票をチップとしてもらって貯金したわけだ。文さんは”しっかりもの”だね。
こうして2万6000円になったのだ。
ビルマと東京の物価変動を統計で見ると
年 月 ビルマ(ラングーン) 東京
出典:日本銀行統計局編『戦時中金融統計要覧』同局、1947年
(ビルマの通貨はルピー、1ルピーは1円とされていた)
年 月 ビルマ(ラングーン) 東京
1941/12 | 100 | 100 |
1943/12 | 1,718 | 111 |
1944/12 | 8,707 | 130 |
1945/8 | 185,648 | 161 |
出典:日本銀行統計局編『戦時中金融統計要覧』同局、1947年
(ビルマの通貨はルピー、1ルピーは1円とされていた)

さてついでだから書いておきたいが
もし本当に彼女たちがお金持ちならどうして「生活に困る」のだろうか?
この部分を小林よしのりが掲載していないのは、おそらく意図的であろう。
捕虜尋問49は、他の史料とはまるで違うので、吉見教授たちは「この史料は、慰安所の経営者の尋問によるものだろう」と述べている。経営者が自分の罪を軽くしようとして、慰安婦の生活をことさらに楽しそうに伝えたのかもしれない。
この部分を小林よしのりが掲載していないのは、おそらく意図的であろう。
捕虜尋問49は、他の史料とはまるで違うので、吉見教授たちは「この史料は、慰安所の経営者の尋問によるものだろう」と述べている。経営者が自分の罪を軽くしようとして、慰安婦の生活をことさらに楽しそうに伝えたのかもしれない。
もっとも、文玉珠さんによれば、「(他と比べれば)これまでよりはるかに自由に週に一度か、月に二度外出することができた・・・」「マーケットで買い物をする」生活の楽しみもラングーンではあったようだから、「居心地は人により、場所により千差万別であったろう」と秦郁彦は書いており(『慰安婦と戦場の性』P276)、この点だけは秦に賛同しよう。
いろんな人がいたのは、事実だからだ。
しかし、こうして多少の収入や自由が与えられたりした慰安婦はごく少数であった事もまた複数資料から言及しうる事実であろう。
いずれにせよ西岡力の歴史音痴ぶりは、こうして明らかになったわけだ。こんなのに洗脳されるのは相当なおバカだけである。