慰安婦問題の討論・秦郁彦vs吉見義明、秦郁彦は歴史家の名を利用するのやめたらどうだろう
Transnational History さんからの転載
■[慰安婦][歴史修正主義]慰安婦問題の討論・秦郁彦vs吉見義明、秦郁彦は歴史家の名を利用するのやめたらどうだろう http://d.hatena.ne.jp/images/b_entry_de.gif http://b.hatena.ne.jp/entry/image/http://d.hatena.ne.jp/dj19/20130703/p1 http://r.hatena.ne.jp/images/popup.gifhttp://s.hatena.ne.jp/images/comment.gifhttp://s.hatena.ne.jp/images/add.gifhttp://s.hatena.ne.jp/images/star.gifhttp://s.hatena.ne.jp/images/star.gifhttp://s.hatena.ne.jp/images/star.gifhttp://s.hatena.ne.jp/images/star.gifhttp://s.hatena.ne.jp/images/star.gifhttp://s.hatena.ne.jp/images/star.gifhttp://s.hatena.ne.jp/images/star.gifhttp://s.hatena.ne.jp/images/star.gif
6/13、TBSラジオ番組で秦郁彦氏と吉見義明氏による「従軍慰安婦」問題について15,6年ぶりの討論があった。取り上げるのが遅くなったが秦郁彦氏の誤魔化しや詭弁があまりに酷いので批判しておこうと思う。
●2013年06月13日(木)「秦郁彦さん、吉見義明さん、第一人者と考える『慰安婦問題』の論点」(対局モード)- 荻上チキ・Session-22
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まず視聴した感想を書くと、「慰安婦」として動員された女性たちは貧しいのが通例であり、経済的にも社会的にも弱い立場にあったわけだが、こうした女性たちに対する秦郁彦氏の蔑視と冷淡さは相変わらずひどいものだった。
19:05 ~内地の公娼制をね、これ、奴隷だということになってくると、そうすると、現在のオランダの飾り窓だとか、ドイツも公認してますしね、それからアメリカでも連邦はだめだけれどネバダ州は公認してるんですよ。これは皆、性奴隷ということになりますね。それは、人身売買によって女性たちがそこに入れられているわけですか?人身売買がなければ奴隷じゃないわけですか?志願した人もいるわけでしょ。高い給料にひかれてね。セックスワークをどういうふうに認めるかということについてはいろいろ議論があって難しいわけですけれど、少なくとも人身売買を基にしてですね、そういうシステムが成り立っている場合は、それは性奴隷制というほかはないじゃないですか。自由志願制の場合はどうなんですか?それは性奴隷制とは必ずしも言えないんじゃないでしょうか。公娼であっても?20:15 ~日本の身売りというのがありましたね。それで身売りというのは人身売買だから、これはいかんということになってるんですね、日本の法律でね。いつ、いかんていうことになってるんですか?人身売買、自体はマリア・ルス(マリアルーズ)号事件の頃からあるでしょ、だから。それはあの~確かにあるけれど、それは建前なわけですよね。建前にしろですね、人身売買ってのは、だいたい親が娘を売るわけですけれどね。売ったという形にしないわけですよね。要するに金を借り入れたと、それを返済するまでね、娘が、これを年季奉公とか言ったりするんですけどね、その間、その~、性サービスをやらされるっていうことなんでね。それで、娘には必ずしも実情が伝えられてないわけですね。だからね、しかし、いわゆる身売りなんですね。(着いてみたら)こんなはずじゃなかった、という手記が残っているわけですね。う~ん騙(だま)しと思う場合もあるでしょう。ね。(中略)だからね。これは、う~ん、なんていうかな、自由意志か、自由意志でないかは非常に難しいんですね。家族のためにということで誰が判定するんですか。いや、そこに明らかに金を払ってですね、女性の人身を拘束しているわけですから、それは人身売買というほかないじゃないですか。ちょっと時期は違いますけれどもね、『吉原花魁日記』とか『春駒日記』とかっていう、昔の大正期などの史料などでは、親に「働いてこい」と言われたけど、実際に働いてみるまでそのことだとは思わなかったケースもあったりすると。うん、そうそう。それは、親も敢えて黙っていたかもしれないし、周りの人も「いいね、お金が稼げて」と誉のように言んだけども、内実を周りは知らなかったっていうような話は色いろあったみたいですね。実際にはあれでしょ、売春によって借金を返すというシステムになってるわけでしょ?今だってそれはあるわけでしょ。それは、それこそ人身売買であって、それは問題になるんじゃないですか?じゃぁ、ネバダ州に行って、あなた、大きな声でそれは弾劾するだけの勇気がありますか?もしそれが人身売買であれば、それは弾劾されるべき。志願してる場合ですよ、自発的に。自発かね、その~どこで区別するんですか?何を言ってるんですか、あなたは?え?
これは当時の公娼制度に関連したやり取りだが、秦氏が当時の日本での人身売買を基礎にした公娼制度と、現在の様々な法令によって女性の人権がある程度、保護されたうえで公認されている売春を同列に語っていることにまず驚く。このやり取りを聴いただけでも、秦郁彦氏が「自由売春」と犯罪である「強制売春」の区別がついていないことは明らかだろう。いや、わかっていてわざとそこに触れないよう回避していると見るべきか。
そもそも秦氏は1999年の著書『慰安婦と戦場の性』のなかで、公娼制度とは「まさに「前借金の名の下に人身売買、奴隷制度、外出の自由、廃業の自由すらない二〇世紀最大の人道問題」(廓清会の内相あて陳情書)にちがいなかった(同書p.36)」と公娼制度が奴隷制度であることを認めていた。
この論理なら、「公娼制度の戦地版」である慰安婦制度も同様に奴隷制度という認識になるはずである*1。ところが今回の吉見義明氏との討論では、最後まで公娼制度や慰安婦制度が奴隷制度であることを認めることはなかった。
とはいっても秦氏はこの後(後段の文字起こし部分)で、朝鮮半島から慰安婦として動員された女性たちの「大部分」が「誘拐や人身売買」の被害者であることまで認めた。そして、身売り=人身売買の被害者は「借金を返す」までの期間、身体を拘束され性行為を継続的に強要される状況にあったことも認めている。これは暗に奴隷状態であったことを認めているに等しい。
国際的な定義では、こうした他者の支配下に置かれ、自分のことを自由に決定する権利が奪われ所有物として扱われる地位や状態は奴隷状態であり、こうした状況で継続的に性行為を強要される状態を性的奴隷状態と定義しているのだから。(こちらを参照:性奴隷の定義を無視し「慰安婦は性奴隷ではない」と叫んでも反論になってない - Transnational History http://b.hatena.ne.jp/entry/image/http://d.hatena.ne.jp/dj19/20130604/p1)
36:26 ~前提としてそういったふうに(連れて行かれた女性が慰安所での性行為を拒否し)イヤだイヤだといった場合は、帰る自由といったものはあったんですか?借金を返せばね。借金を返せば何も問題ないわけですよ。え~つまり、借金を返すまで何年間かそこ(慰安所)に拘束されるわけです。それが性奴隷制度だっていうこと。そうすると親がね、返さなきゃいけんのですよ。親が売ったのが悪いでしょ。秦さんがわかってないのそこですよ。どうして?借金を返せば解放されるというのであれば、それは人身売買を認めてることになるじゃないですか。
53:35先ほど言いましたように略取とか誘拐とか人身売買で連れて行くのがほとんどだったわけですよね。そうして朝鮮半島で誘拐や人身売買があったということは、え~、秦さんも認めておられるわけですね。当然ですよ。それが大部分ですよ。それでたとえ業者がそういうことをやったとしても、その業者は軍に選定された業者である。で実際に被害が生じるのは慰安所ですけど、その慰安所というのは軍の施設である。軍がつくった軍の施設であるわけですね。そこで女性たちが誘拐とか人身売買で拘束をされているわけですね。当然、軍に責任があるということになると思う。
このやり取りでは吉見氏が、人身売買により身体を拘束された女性たちが借金を返すまでは解放されず性行為を強制されるシステムは性的奴隷制度であると指摘するが、秦氏は「親が売ったのが悪い」と親の責任にして話を逸らしている。
しかしこの後で秦氏は朝鮮半島では「誘拐や人身売買」のケースが「大部分」だったことを認めており、そうであるなら貧困により生活が困窮し娘を売った親も、その多くは偽りの説明を告げられ騙されていたと推測するのは難しいことではないだろう。
ビルマでの尋問調書『日本人捕虜尋問報告 第49号』には次のように記述されている。
1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南 アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵 を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地――シンガポール――における新生活という将来性であった。このような偽りの説明 を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡金を受け取った。日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日