河野談話を守る会のブログ2

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歴史検討委員会の『大東亜戦争の総括』(1995・8.15)を読んで

                  
1993年8月10日、「終戦記念日」を前にして細川首相は、就任記者会見を開き、
「(先の大戦について)私自身は、侵略戦争であった。間違った戦争であったと認識している」 と表明した。

そのため、保守の人たち・・・右翼政治家や右翼団体靖国を含む神社、産経新聞、正論など・・・・から激しい非難が沸き起こり*(1)、翌4月には右翼団体による銃弾撃ち込み事件まで起こったのである。

細川発言の翌日、さっそく自民党内の靖国三協議会(座長;原田憲*(2)は、緊急役員会を召集して、対策を話し合った。この会議の席上で後の首相の橋本龍太郎
「細川発言は・・遺族として耐えがたい。東京裁判に毒された歴史観を立て直し、正しい歴史観を確立してもらいたい」
*(3) と発言している。

こうして23日には「歴史検討委員会」が造られた。
つまり、細川首相の「侵略戦争」発言の是正と撤廃を求めて生まれたのがこの会であるといえる。
 

10月には、子供の頃から反米右翼の小堀桂一郎を講師として招いて「敗戦国史観をつく」と語らせて第一回の委員会を行っている。

第一回目がよりによって小堀とは・・・・やれやれだ。
 
 
 
*8月15日には第7回、戦没者追悼中央国民委員会という右翼グループ が「靖国に祀られている213万の英霊を侮辱するものだ」という抗議の声明文を発表した。産経と右翼団体は非難していたが、これを小堀桂一郎は、
「広く国民の憤激を呼び起こした」などと書いている(P330)。もちろんほとんどの国民にとって「侵略戦争」はあたり前であって、憤激するようなものではない。憤激するのは右翼の自己正当化史観に染まっている連中だけである。
 

*靖国三協議会
「英霊に応える議員協議会」
「遺家族議員協議会」
みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会

*橋本龍太郎発言
歴史検討委員会『大東亜戦争の総括』P433、あとがき
 
 

家永教科書裁判とそれに関連したアジア諸国からの抗議は、80年代中ごろには成果があり、やっと南京大虐殺が中高の歴史教科書に記述されるようになった。「侵略」→「進出」書き変え事件を受けて外務省は駆けずり回り、文部省は、「侵略」の用語や南京大虐殺などの加害記述に検定意見を付けて修正しない、という「近隣諸国条項」を検定基準に付け加える事になった。
こうして日本の教育は、やっと「侵略」を「侵略」と書く事ができる時代を迎えたのだが、これを横目で睨みながらストレスをため込んでいた政治家たちから、”妄言”が飛び出し始めたのもこの時期である。
 

1986年9月5日
藤尾正行文相 による「南京事件より原爆」「日韓の合邦は合意である」発言が飛び出し(実際には文章だが)韓国が抗議し、辞任を拒否したので中曽根首相が罷免した事件。
2年後の88年4月12日には
奥野誠亮国土庁長官が記者会見で、「侵略国家か。白色人種だ。何が日本が侵略国家か、軍国主義か」と発言し、辞任した。

第三次日韓会談の久保田貫一郎を持ち出すまでもなく、公職に復帰した官僚と自民党議員の中には、戦中から続く大東亜戦争肯定史観が根を張っていた。そこで彼らは、「侵略」などと教科書に書かせないように目を光らせていたのだが、ペリーの来航ヨロシク、中国や韓国の抗議を受けてしぶしぶ開国したという訳だ。
こうして子供達には、先の戦争への正しい理解が多少は広まったが、古株の議員や官僚たちは、ストレスをため込み、中韓米への憎悪を募らせていた。

奥野誠亮は、戦中の内務官僚ーつまり特高思想警察の親玉ーであり、これが復権して国土庁長官にまで上りつめて、自分のやったことを省みず自己正統化のための論陣を張ったのである。そしてこの「歴史検討委員会」を引き継いで生まれた「終戦50周年国会議員連盟」(161人)の会長に納まり、安倍に「日本の正しい歴史?」を教えていた訳だ。「終戦50周年国会議員連盟」は、96年6月には「明るい日本・国会議員連盟」へと改組され、バブルがはじけて暗くなった世相をさらに暗くしたのである。
「歴史検討委員会」には当選したばかりの安倍も顔を出している。
 

このあたりが日韓歴史観論争のいわいる”慰安婦問題前史”である。
世の中には「侵略戦争」を「侵略戦争」と言いたくないという人がいて、安倍首相のように「侵略?なにそれ定義ないでしょ。定義をつけるのはオラの仕事じゃねえから」とか言い逃れる詭弁使いが今でもいるのは、こうして「侵略」を「進出」にしたい人たちの血脈であろう。
 
 
 
 
*反米右翼; 現在の日本人はあまり理解していないかもしれないが、日本には伝統的な反米思想が存在しており、今だにペリーの大砲におびえ、大東亜戦争を覇道アメリカとの聖戦として捉えているような人達が存在している。自民党内の靖国三協議会はそういう人たちである。
 
*「侵略の定義はない」『大東亜戦争の総括』P330にすでに「侵略の定義は未定、訳語も問題」と書いている。

 
 

従軍慰安婦」は、高校の日本史教科書で94年度用(中学校は97年度用)から登場した。97年には全中学教科書にも登場する見込みとなった。96年国連人権委員会(小委員会)で採択されたラディカ・クマラスワミ報告は、日本政府に対して「歴史的現実を反映するように教育内容を改めること」を勧告した。
これに対して不満をつのらせる勢力はさらに結集し、歴史検討委員会は「大東亜戦争(アジア太平洋戦争のこと)は侵略戦争ではなく自存・自衛の戦争でありアジア解放の戦争だった」と総括した。これに連動する学者達が音頭をとり、教科書を「自虐史観」だとする攻撃が先鋭化し、藤岡信勝小林よしのりらが96年12月に「新しい歴史教科書をつくる会」を結成する。「自由主義史観」=(自慰史観)に基づく教科書を造り始める。やがて彼等は憲法9条の改正運動と収斂していく。
99年、「首相官邸筋」から教科書会社に対して加虐の事実の記載を「是正」するよう要請があった。この結果、自主規制という形で「従軍慰安婦」の記述は3社に激減した。「南京大虐殺」は、「南京事件」に、「731部隊」「三光作戦」「侵略」の用語は削除され、1社だけになってしまった。
 
我々はこういう世界に生きているのだという事を知っておかなければならない。「侵略」を「進出」に置き換え、「敗戦」を「終戦」と呼ぶ国の中では、真実の価値も疎んじられている。
 
                        (河野談話を守る会論文集1-1)