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強姦から見た大東亜戦争史(15)南京虐殺の際の強姦その3


 南京陥落当時、金陵大学病院で患者の治療に当たった医師、ロバート・O・ウィルソンが家族に宛てた手紙から日本軍の強姦を見てみよう。気分が悪くなる事は受け請う。吐き気がする人は吐いた方がいい。


  (「南京安全区国際委員会」を結成して中国人の保護に当たっていた10人(ラーベ、スマイス、マ    ギー、ベイツ、ミルズ、フォースター、ヴォートリン、ウィルソン、フィッチ、マッカラム)はそれぞれ当時   の経験に関する手記を残している。特にラーベ日記、ヴォートリン日記は日本でも出版されている。)


医師ロバート・O・ウィルソンの手紙

十二月十九日 日曜日だと思う

夕飯に家に戻ると、ブラディのコックと徐さんが来て、二人は現在、去年の夏私たちがいたところに住んでいる、彼らのところにいる女性が全員強姦されているので誰かに行って止めてもらいたい、と言うのだ。ベイツとスマイスそれにフィッチが行って、地下室で事の最中であった兵隊三人を捕まえて追い払った。これもまた、三人がいなくなればすぐに戻ってくるのだろう。

 日本兵はいたるところにはびこっていて、町の中では、私たちの住居を除いたら、病院だけが強姦されない唯一の建物ではないかと強く信じているのだが、四階で兵隊一人が見つかるまでに、強姦されたものが一人もいなかったといえる確信はない。

 後に記録を見ると、この兵隊は服を脱いで三人の看護婦とベットに入ったそうだが、看護婦が悲鳴をあげるたびに、あわてて服を着て、誰かやって来ないかどうかを見に外に出て行ったそうだ。私が行った時は三人目だったので、たぶん間に合ったと思う。



最近アメリカ国旗が少なくとも四旗引き裂かれた。きょうヒルクレスト学校で国旗が降ろされて、地下室で女性が一人強姦されてから銃剣で刺された。

十二月二十一日

きのう午前中、一七歳の少女が赤ちゃんと一緒に病院にやって来た。前の晩の七時三〇分に日本兵二人に強姦されて、九時に陣痛が始まり、彼女にとって初めての子供が一二時に生まれた。

一昨日ヒルクレスト学校で、妊娠六ヵ月半の一九歳の少女が、ばかなことに二人の日本兵の強姦に抵抗した。顔に一八ヵ所、足に数ヵ所裂傷を負い、腹部に深傷を受けた。


十二月三十日木曜日

憲兵たちは夜間はずっと忙しいようだ。今夜マックと私が病院から帰る途中、二度も銃剣をつきつけられた。おとといの晩は、聖書教師養成学校の門番兵が難民の中の女性を一人要求した。一人も手に入らなかったので、昨晩断わりもなく一人を強姦した。


一七歳の少女が、ある晩陣痛が始まる直前の一時間半前に強姦されて、今は明らかに淋病の症状が進んできている。一時は体温が四〇度五分まで上がり、見通しは暗い


比較的静かな日が続いていたが、新たな強姦が発生した大学の宗教担当理事王博士の家に三人の兵隊が押し入り、一人が外に監視役で立ち、二人が中で一人の無力な少女を凌辱した。

晩餐が終わった途端に誰かが二人を呼びにやって来た。二人が現場に着いた時は、一人の少女は強姦され、もう一人は激しく抵抗したため殴られたあとだった。

一九三八年一月三日

四〇歳くらいの女性が来て話すところによると、表向きは将校たちの衣類を洗濯するというのが目的で、難民キャンプから十二月三十一日に連行されたという。六人が連れ出された。昼間は衣類を洗濯させられ、夜は強姦されたという。五人は一晩に一〇人から一二人の相手をさせられ、残りの一人は若くて美人だったので四〇人の相手をさせられたそうだ。

 三日目に兵隊二人がこの女性をみんなのいるところから連れ出して人気のないところに連れて行き、首を切り落そうとした。一人が四回も首切りを試みたが、うしろ首の筋肉をやっと背骨のところまで切断することができただけだった。


(『南京事件資料集 1 アメリカ関係資料編』所収)


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日本軍は、どうしてこんなに多くの強姦をしたのか?考え始めたらキリがない。
とにかく大量の強姦がなされ、そしてここには載せていないが、強奪と殺害も山のように行い、たくさんの人を苦しめた。
他人を不幸にするのは不幸な人である。だから日本軍人自身が不幸な人々であった事はいうまでもない。そこでなぜ彼らはこれほど地獄の住民であったかを考えなければならない。軍隊内には私的制裁(イジメ、リンチ)が横行し、略奪と強姦に満ちていた天皇の軍隊とは一体何者だったのか?もちろんどのような軍隊にも「私的制裁と略奪と強姦」があるに違いない。しかしここまで酷い大量レイプは近年では、ドイツ兵とソ連兵、そして旧ユーゴ内戦の民族浄化ぐらいのものだろう。
この旧ユーゴ内戦の大量の強姦が起こったので「戦時性暴力」が解決すべき課題として国連の中で話し合われるようになった。その頃日本では「従軍慰安婦問題」が勃発した。それから20数年、いまだに未解決な課題である。