保守は寛容か?
日本の保守の中には「保守」「右翼」という言葉を理想化して
「嫌韓・反韓・反米が保守とか右翼とかを冠するのはおかしい。安倍総理が言うようにヘイトスピーチは日本の保守主義が持つ寛容性に反する。先人が目指したアジアの連帯とも逆を行く全く新しい思想。それは保守の歴史的な伝統から離れたものだ」
などと唱えて、在特会などのヘイト団体と自分達の距離を置こうとする人々がいる。
しかしそれは、間違った見解である。
日本の歴史の中で「保守」=「国粋主義」の中核部分は、常に 排外的であった。
古代の物部氏による仏殿の焼却や尼僧の監禁の理由は「我が国は神々の国だから」というものだった。
「日本は神々の国だから」=つまり「国体思想」である。
この国体思想がもっとも広まり、かつ活性化したのが太平洋戦争の時代だった。国体明徴が発表され、国体に反する宗教・思想が全て弾圧されて行った。
ゆえに今日保守陣営に「反韓」「反米」の排外思想が盛り上がるのも、予想外ではない。日本にはそういう病んだ部分があるからだ。
そういう病んだ部分がある国なのだと理解しておくべきである。
人は誰でも、何かを美化したり理想化したりしている。
日本の「保守」を理想化したい人たちは、 「保守は寛容だ」とか「神道は自然にやさしい」とか述べる。
しかしそれはどちらもまったく証明されていない。
どのような主張をするのも勝手だが、その主張が正しいと思うならぜひとも証明していただきたいものだ。