河野談話を守る会のブログ2

ヤフーブログ閉鎖のため移住しました

強制連行の定義 弐 山田昭次による強制連行の定義

山田昭次教授による『強制連行』の定義(解説)

 今日、戦時下の朝鮮人強制連行といわれるものは、かなり広範囲な内容を指しています。まず労務動員を挙げることができます。朝鮮人強制連行の研究も労務動員の研究から始まりました。この労務動員にも、いくつかの種類があります。

 第1は、1938年4月1日公布、同年5月5日施行の「国家総動員法」に基づく「労務動員実施計画」によって、1939年から1945年にかけて「募集」、「官斡旋」、「徴用」という法の形式で朝鮮から日本へ朝鮮人を連行した労務動員です。

 第2は、在日朝鮮人に対する1939年7月8日公布の「国民徴用令」による労務動員です。これは1942年10月に初めて行われましたが、以後については不明です。

 第3は、官斡旋や徴用による軍要員(軍属、軍夫など)としての朝鮮内部、日本、「満州」、中国、南方等への動員です。これは実質的には労務動員と考えてよいでしょう。

 第4は「女子挺身隊」の動員です。法的には1944年8月23日公布、同日施行の「女子挺身勤労動員令」によります。しかし、実質的には「女子挺身隊」の日本への送出は同令施行以前から行われていました。

 今日では朝鮮人強制連行は、上記の労務動員以外に志願兵制度や徴兵制度による兵力動員、それから軍や炭鉱、鉱山等事業所のいわゆる「慰安婦」、つまり性的奴隷としての女子動員まで含めて考えられるようになりました。

山田昭次『戦時下の朝鮮人労務動員』-強制連行、強制労働、民族差別(ICJ国際セミナー東京委員会編『裁かれるニッポン―戦時奴隷制 日本軍「慰安婦」・強制労働をめぐって』、日本評論社、1996年、168~169ページ)


1938年ごろから始まった朝鮮半島での強制動員は最初、「募集」形式でなされた。
ところがこの募集形式ではなかなか人が集まらないので、「募集」と言いながらも警官や面(村)役人による「
官斡旋
」方式での募集がなされていた。
 
官斡旋
 
」と言えば聞こえがいいが、要するに警察権力を使った強制である。これについて東京大学外村大教授は、「劣悪な労働条件でも働いてくれる人材を調達するため」「寝込みを襲ひ或は田畑に稼働中の者を有無を言はさず連行する等相当無理なる方法を講し、徴用令の令状を交付した。ゆえに朝鮮において国民徴用令が発動が遅かったのは”より寛大な方法”での動員が続いていたのではなく、要員確保の実態は日本内地での徴用よりも厳しいものであった」という。
外村大『朝鮮人強制連行』P63P~76)

「寝込みを襲ひ或は田畑に稼働中の者を有無を言はさず連行する」ような事がなされていたのであり、それは人狩りに他ならない。 山田昭次教授による強制連行の定義もこうした事を踏まえているのである。山田昭次教授による『強制連行』の定義
 

ところで、何を血迷ったか、池田信夫がこの「616万人が軍需工場などに徴用されたが、厚生省によれば、そのうち朝鮮人はわずか245人(終戦時)だった」と書いている。

彼はもちろん、専門家でも何でもないのだが、デタラメな数字を並べるのはやめていただきたいものである。