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間違ってないか? 秦郁彦


このブログでは、「慰安婦問題」について秦郁彦の著述の問題点を指摘してきた。

他の著作である『陰謀論』などはそれなりにいい仕事だったが、ことが「慰安婦問題」になるととたんに記述がおかしくなる。

慰安婦問題では、慰安婦の被害はなるべく少なく想定し、「強制」を否定し、いくつかの捏造も見られ、その人数も矮小化、朝鮮人慰安婦の比率もより少なく想定しているのが『慰安婦と戦場の性』である。

先日の在特会の抗議文では「慰安婦問題の第一人者」と持ちあげていたが、同僚の歴史学者達から引用される事も少なく、むしろ批判されている。


さて以下は永井和京都大学教授(近現代専門)による批判である。


☆-1
 
2008-04-02秦郁彦氏の慰安婦数推計法の誤謬について(1)
 
☆-2 2008-04-05秦郁彦氏の慰安婦数推計法の誤謬について(2)  


昔、秦氏は「適正比率」を慰安婦1人あたり50人として推計していたが、途中から150人に変更しており、この大幅変更の理由としている「3000万の遊客」は「三業の婦女約20万」の接客サービスを利用した客の人数とみなす」のがおかしいし、秦氏が利用した元の統計戦前期の内地公娼関係統計では、そうなっていない。
実際には、秦郁彦の計算の2,3倍になってしまう。

次にこれは「1937年における日本内地公娼1人あたり年間平均接客数(上記の「遊客」数を「娼妓」数で割った数値)と1944年時点での軍慰安所での慰安婦1人あたり年間平均接客数が同じである」という前提を元に成り立っているが、この前提が成立する保障はない。

そしてここには次のような重要な指摘もなされている。
統計が残っておれば、こんなに苦労して慰安婦数を推計する必要もないはずなのに、それが残っていないので、あーだ、こーだと言っているわけです。このことは、統計がそもそも最初から作られていなかった(慰安婦の登録制度が存在していなかった*1)ためなのか、あるいは作られていても敗戦時にすべて破棄されてしまったために残されていない(慰安婦登録名簿や統計は残しておくと問題であると、軍が考えていたということですが)からなのか、そのいずれかによるのだと考えられます。
いずれにしろ、そのこと(慰安婦数について統計が残っていないという事実)は、軍慰安所制度が単純な公娼制度の延長ではないことを意味しているのだとみていいでしょう。



つまり、記録が残されていない事自体が「慰安婦制度は単に公娼制度ではない」という事。公娼制度なら、娼妓は警察に届け出て登録する義務があり、その名前、年齢、人数等が把握されていた。しかしそのような把握自体がなされていない、またはそのような記録を破棄したのは、慰安婦制度が単なる公娼制度ではなかったことを意味しているのだという事である。
の遊客」は「三業の婦女約20万」の利用客

ところで、慰安婦の数を計算で出そうとする場合、日本人慰安婦や酌婦と朝鮮人慰安婦との待遇の違いにも考慮しなければならない

広田和子の書いた『証言記録従軍慰安婦・看護婦』に登場する菊丸という美貌の芸妓上がり日本人の従軍慰安婦は,「あたしたちは将校用だったため」に「慰安婦としては恵まれていた」「1日1人の相手をすればいい」と証言している。
日本人慰安婦でも鈴本さんは「1日,何人もの相手をしなければならない,いわゆる回しをとらなければならなかった」立場に置かれていたそうだ(p51-52)
つまり将校用が多かった日本人慰安婦と回しばかりの朝鮮人慰安婦のばあいは、かなり人数の違いがあり、その違いを考慮しながら計算する必要があるだろう。