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反米主義・小堀桂一郎の見る世界


国粋主義民族主義)の究極的な姿は、排外主義である。
江戸末期から明治時代の国粋主義者達は、やってきた外国人を毛唐、南蛮と呼び表し、鎖国を目指してテロを繰り返した。一方、やはり国粋主義が勃興した満州事変から敗戦までの約15年間において、アジア人を蔑視し米英を「鬼畜」と言い現わした。そして戦争を仕掛けたのである。
しかし日本人の中には、自国が仕掛けておいて、実は仕掛けさせられたというよく分からない妄想意見を述べる者もいる。靖国神社遊就館の展示では戦争の起因は米ルーズベルト大統領にあるとしている。こうした中でも小堀桂一郎は飛び抜けた国粋主義者である。

小堀桂一郎は、『東京裁判の呪い』の中で、終戦期小学生ですでに「不潔なヤンキーなどというものの実物はしごく稀にしか」とか「(同世代の連中は)米文化に汚染されている」と感じ、「(講和条約で)汚染源が一掃されるのは祝うべきことであると喜んだ」と言う。
子供の頃から反米主義者だったらしい。しかし「米文化に汚染されていると感じる」という事は、アメリカ型民主主義やキリスト教アメリカ映画などにもはまらなかったのだろうか。

やがて冷戦構造が瓦解するとすぐに、その反米感性を著作しはじめる。
1992『さらば敗戦国史観』1995東京裁判日本の弁明』1996『再検証東京裁判 日本を駄目にいた出発点』1997東京裁判の呪い 呪縛から日本を解き放て』
最近では中西輝政との対談集『歴史の書き換えが始まったーコミンテルンと昭和史の真相』(2007)を出している。

同じような反米感性とは気が合うらしい。とりわけ、田母神がお気にいりらしく、「勉強ぶりにはほとほと感心・・・教科書として使うのにうってつけ」とか述べている。しかし森鴎外の研究が専門の文学者が門外漢の歴史の著作ばかりする必要はどこにあるのだろう?
多分子供の頃の反米感性から長じて「東京裁判に洗脳されている」という東京裁判史観否定論の伝道者になったのだろうが、ドイツのニュルンベルク裁判同様に東京裁判は日本に戦後民主主義が根ずく為に必要な過程であったろう。2000万人以上が死んだあの15年戦争の責任が日本だけにあるとは言えないが、日本の責任が無いとはさらに到底言えない。関係したあらゆる国よりもはるかに大きな責任があったのは当然である。そうした責任を国民が負うことがなく、20数人に負わせた東京裁判はある意味不当な裁判ではあったが、A級戦犯たちもA級たる「平和に対する罪」だけで処刑された人間が一人もいない事を考えれば、それなりの公平性があったと言える。被告には弁護士団がつき裁判の模様は国民に公開された。洗脳と言えば①公正と正義の概念を植え付けてしまった②国民は権力者が裁かれたので自分達には責任がないのだと思ってしまった③国民が(知る権利を含む)基本的人権に目覚めてしまった・・・・・ぐらいの事だろう。アメリカの正義の概念はその後映画などを通して国民に広く流通した。


むしろ、東京裁判から始まるアメリカ文化の導入は日本人の幸福のために必要な”教育”であったと言える。
しかし、この占領を 「日本を無害化するために巧妙に仕組んだ謀略の所産であり、無意識のうちに洗脳された日本人はいまだに属国根性から抜け出していないと説く」(秦『陰謀論p129)陰謀論が台頭し、その「米文化に汚染されている」という反米感性の小堀桂一郎は伝道者となったのである。

1970年代、学生運動が力を失った頃、庶民の知らないところでこれを否定的に捉える「東京裁判史観」という言葉が論壇に登場した。「侵略や残虐はお互い様」という論理や「日本が先に手を出したように見えるが実は挑発を受けて行った自衛戦争だ」という理屈で、どちらも今日まで信奉者がいる。この方面の開拓者は江藤淳だろう。『日米戦争は終わってない』(1987)では「アメリカが押し付けた”平和””反核””民主主義””基本的人権”に反逆する自由はなくなった」と嘆いた。すると”民主主義”や”基本的人権”は江藤にとっては否定したいものらしい。こうして大東亜戦争はいまだ継続している」というレトリックの王様のような言説が飛び出して来る。
最近では「侵略されたのは日本の方だ」などと言う極端な被害妄想理論を見かける事さえある。こうした言説が「防衛のための侵略」という詭弁と軌を一にしていることは言うまでもない。