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強姦から見た大東亜戦争史(19)「強姦強盗は日本軍のつきものですよ」



戦後、間もないころだった。連続強姦殺人で死刑になった小平義雄という人がいた。非常に有名だったが、彼は中国からの帰還兵であり予審調書の中で自分が仲間と戦時中やった数々の強姦を証言した。仲間は4,5人いたという。民家に押し入り父親を縛り上げ、娘を出させる。
「強姦強盗は日本軍のつきものですよ」と言う。「銃剣で突きさしたり、妊娠している女の腹に刺して子供を引きづり出しました。私も4,5人やりました。相当残酷な事をしたもんです」と本人談。 (『新評』1971年8月)

こうした事が常識として知られていた時代が終わってやがて歴史修正論者が暗躍しはじめた。戦争を知るたくさんの人々が死んだのをいいことに、「アジアの解放」だの「栄光の日本軍」だの軍国主義的な考え方が広まって行った。1970年代、やはり反米主義の学生運動が力を失った頃、庶民の知らないところで反米主義に立脚した「東京裁判史観」という言葉が論壇に登場した。「侵略や残虐はお互い様」という論理や「日本が先に手を出したように見えるが実は挑発を受けて行った自衛戦争だ」という理屈で、どちらも今日まで信奉者がいる。(陰謀論

この方面の開拓者は江藤淳だろう。『日米戦争は終わってない』(1987)ではアメリカが押し付けた”平和””反核””民主主義””基本的人権”に反逆する自由はなくなった」と嘆いた。

すると”民主主義”基本的人権”は江藤にとっては押し付けられたもの、否定したいものらしい。
安倍の「戦後レジームからの脱却」もこうした文脈から捉えなければならない。

こうして大東亜戦争はいまだ継続している」とか 「侵略されたのは日本の方だ」などと言ういうレトリックの王様のような極端な被害妄想理論を見かけるようになった。江藤が””民主主義””基本的人権”に反逆する自由はなくなった」と嘆いた延長上に今日の自民党憲法案やの考え方が存在している。



(2012-12-07 12:37:08)

「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。」と片山さつき総務政務官自民党参院議員)は述べたが、それは江藤が望んだ基本的人権への反逆である。ちなみに片山さつきネット右翼の論説をそのまま鵜呑みにしたり、ネット右翼に向かって「みなさんは素晴らしい愛国者です」とのたまうたのでも有名である。


日本軍はどんな軍隊だったか?
右翼やウヨがいうように、「世界一軍紀正しい軍隊だった」のだろうか?
そんなことを言うのは無知な連中だけである。なるほど人は理想を持つことによって人生を有意義にできる。しかし、真実の姿を覆い隠し、理想化してしまえば、それは恋愛に似た幻想である。長淵が歌ったように 「  お互いを知って愛が終わる 」 というものだ。

「強姦強盗は日本軍のつきもの」だった事は本カテゴリに書いた他の人たちの証言からも知る事ができるだろう。そしてそのような日本軍を造り出した大日本帝国は、決して安倍首相や片山さつき議員が夢想するような理想国家ではなかった事が明らかである。
人権意識の乏しい時代を理想化して基本的人権を否定し「国体」を復活させようという不思議な人々である。