河野談話を守る会のブログ2

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国連に重視されているアムネスティによる独自調査報告書を読もう

















【Q&A1】「政府は、強制性を示す資料はなかった」

→政府自身が認めています。河野談話で「甘言や強圧など」の強制があったと。政府は、証拠がなくて認めることはありません。また林教授論文によれば、極東裁判で強制性を示す文書が多数提出され、サンフランシスコ講和条約では裁判を受け入れました
Amnesty_Japan 2013-05-28 19:39:48

【Q&A2】アムネスティは何故肯定するのか

→05年に55人以上の生存者にインタビューし、独自の調査を行い、報告書を発表。その結果、あらゆる段階で、日本軍・政府の組織的関与があり、強制的な連行、詐欺による誘拐、奴隷労働が存在したことを確認。その実態は当時の国際法において明確に違反。
返信 RT お気に入り Amnesty_Japan 2013-05-28 19:52:12

【Q&A3】証言に信ぴょう性はあるのか

→丁寧かつ慎重に行った証言を否定するのであれば、日本でも裁判自体がなりたたなくなります。その実態は、残された公文書、兵士の証言や手記からも明らかです。証言を否定する発言は、勇気をもって証言された被害者への、さらなる攻撃、侮辱です。
Amnesty_Japan 2013-05-28 20:14:36

【Q&A4】政府の賠償は終わっているはずだ

サンフランシスコ講和条約や二国間条約で解決済みと言うが、謝罪と賠償を求める被害者の権利は、救済も解決もされていない。条約では、性奴隷制被害者の被害は考慮されていなかったし、個人の賠償請求権は、国際法上、厳然と存在する。
Amnesty_Japan 2013-05-28 20:24:43

【Q&A5】何故日本だけ批判されるのか

→個人的な意見ですが、過ちは相対的な比較で判断されるものではありません。他はどうであれ、我々は自ら犯した過ちを認める度量や矜持はないのでしょうか。知らないこと、気に食わないことを否定する前に、まずは自ら事実を客観的に確認しませんか。
Amnesty_Japan 2013-05-28 20:55:47



若林さんは、別に慰安婦問題の専門家というわけではないが、妥当な受け答えをしていると思う。しかし「政府は、証拠がなくて認めることはありません」と述べているので、この部分に文句をつける人がいそうだ。私が答えておこう。

 確かに「政府の公文の証拠は見つからなかった」がそれは当たり前の事で、政府や軍が「無理やりにでも連れて来い」とか「強制して連れて来い」とか言う命令をする訳がないし、たとえそのような命令があっても公文書には残さないだろう。事実日本政府は敗戦と同時に公文書の多く(約8割という)を焼却した。これは残しては都合の悪い文書があったから証拠隠滅したのである。ゆえに最初からこうした命令文書が現在残っているとは考えられないのである。しかし現在でも防衛研究所で隠ぺいされ公開されていない史料の中に存在する可能性はある。

 政府と軍の責任は、首謀者責任がまず存在している。軍が発案し、命じて慰安所を造ったからだ。占領地では軍人が自ら強姦したあげく慰安婦にした例や軍事力を背景に占領した町の長に命じて女性を差し出させた例が多くあり、また植民地で女衒や遊郭業者が違法な行為をして少女を”かどわかした”ような場合には、これに慰安婦募集を命じた責任や渡航許可を与えた責任が軍や政府に加えられる戦前の刑法第33章の『略取及び誘拐の罪』の第226条「国外移送罪」)

下に記載したアムネスティ報告の中李玉善ハルモニのような強制連行が例え、業者による犯罪であったとしても、責任を免れる事はできない。
また当時慰安所を経営した業者は、「軍属」扱いであった。
こうした軍属が慰安婦の給与を不法に搾取したような場合、(それは日本の遊郭ではよくあることだったが)それにも責任がある。慰安所の利用規則は軍が造っており、軍属を監督していたからである。

 そしてこれらの事は、公文書や元軍人の回想記からも、元慰安婦たちの証言からも総合的に伺い知る事ができる。ゆえに証拠として存在している。



クリック↓して全文を読んでみよう。日本ではまだ勢力が小さいが、アムネスティ報告は国連では高い評価がされている。

・・・・・・・日本軍はこうした女性や少女を調達するために、凶暴な手段を取ることも珍しくなかった。「女性への暴力に関する特別報告者」はその報告書で、大規模な強制連行と暴行はまるで「奴隷襲撃」26のようだったと述べている。フィリピンのナルシサ・クラヴェリア(74 歳)は父親が拷問され、母親が強かんされるのを目撃したとアムネスティに語っている。また彼女は弟たちが銃剣に刺し貫かれたのも目撃している。ナルシサは腕をへし折られ、3 キロほど離れた駐屯地まで 2 人の妹たちとともに引きずられていった。中国に連行されたとき、韓国人サバイバーの李玉善(イ・オクスン、79歳)はまだ16歳だった。李玉善は戦後も帰郷できず、そのまま58年間中国に留まった。李玉善はアムネスティに次のように語っている。

「私はそのとき、奉公先の家にいました。その家の主人の使いで外に出てし、その途中で捕まったのです。2 人の男は日本人と韓国人で、見たこともない男たちでしたが、私をトラックまで引っ張っていき、腕と足をつかんで中に放り込みました。トラックには、他に 5 人の少女たちがいました。私は大声を上げて逃げようとしましたが、捕まって縛り上げられました。そのときは自分がどこに連れて行かれるのかわかりませんでした。着いてから初めて、そこが中国だということがわかったのです。」





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