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強姦から見た大東亜戦争史(20) 強姦が増えた事に対するWamのみごとな説明


「強姦と慰安所の関係」についてWamの説明が見事だったので紹介いたします。

日本軍が「慰安婦」制度を作った理由の第1は将兵が性病に罹るのを防ぐためでした。「慰安婦」を慰安所に閉じ込め、軍医が定期的に性病検査をおこなって性病を防ごうとしたのです。しかし日本軍の特徴は第2の理由によく示されています。それは1937年の日中全面戦争が始まってからの日本軍将兵による強かんの多発でした。上海から上陸して南京に向かう途中での強かんの多さは特に有名ですが、それ以外にも中国各地で強かんが頻発したのです。1938年6月に北支那方面軍の岡部直三郎参謀長の名前で指揮下の部隊に出された通牒「軍人軍隊の対住民行為に関する注意の件」があります。このなかで「各所に於ける日本軍人の強姦事件が全般に伝播し」と強かんが頻発していることを認め、そうした強かんや略奪、家屋の焼却など日本軍の非行が「深刻なる反日感情」を引き起こしている点に注意をうながしています。そしてこうした強かんなどを減らすために「性的慰安の設備を整」えるように指示しているのです。日本軍将兵の強かんのあまりの多さへの対策として大規模な慰安所制度の導入があったと言えるでしょう。

ほかにも理由を挙げるとすると、第3に、いつ終わるかもわからない、しかも何のために戦っているのかもわからない大義名分もない戦争で、兵士の精神はすさんできます。しかも休暇制度もなく兵士たちは長期間、戦場にとどめられます。こうした兵士たちはむやみやたらと略奪強かん、殺人をおこなうようになります。そうした兵士をなだめようとしたことも一つの理由としてあげられるでしょう。もう一つ、4つ目の理由としては将兵が民間の売春宿を使うと軍の情報がもれる恐れがあると考えて、軍慰安所を設けて「慰安婦」を隔離し情報統制に努めたことがあげられます。つまり軍の機密保持という理由です。
ところでこうした意図は慰安所設置によって解決できたのでしょうか。強かん防止について言えば、慰安所設置後も強かんは跡を絶ちませんでした。将校や下士官慰安所に入り浸っているのに、下級の兵士は時間的にも金銭的にも慰安所に頻繁に行けなかった代わりに、作戦で出動してはタダでできる強かんをくりひろげました。また慰安所は主な都市にしか設けられなかったので、小さな町や村に駐屯した部隊は村長に強制して女性を提供させたり、拉致してきた女性を監禁し輪かんをおこないました。日本軍が慰安所を堂々と設置したことによって、かえって日本軍の隅々にまで強かんをはびこらせることになったのです。



我々が日本軍と慰安婦問題を調査する際に、もっとも悩まされるのはここの部分である。
というのは、強姦を減らすために慰安所を折角造ったのに強姦は一向に減らないからだ。
37,8年当時、日中戦争の戦場にいた国府陸軍病院附軍医中尉早尾乕雄は日本軍軍人が「内地では到底許されない強姦も敵地の女だから自由にしてもいいのだ」と思っていた様子(『戦場心理ノ研究」』第八章 「戦争ト性欲」)「中支那方面軍の兵士の多くが予備役兵・後備約兵で、妻子を残しての出征であった。上海戦が終われば帰還できると思いきや、そのまま南京攻略戦に駆り立てられた不満や憤りが兵士間に燻っていた。それらの不満の捌け口として、軍の上官たちは性的蛮行を「兵の元気をつくるに却って必要といった理由で黙認する風潮があった事」を報告している。早尾は「中国女性を征服し」「力ずくで女をものにする」という戦場の役得としての婦女凌辱行為が兵士を南京攻略に駆り立てるために黙認された。」(『戦場に於ける特殊現象と其対策』P.71~P.72)と書いている。
慰安所を造っても強姦はむしろ増えたのではないか?と思われるほど強姦の記録、証言は多いのはこのカテゴリ記事からも分かるはずである。
しかしだからと言って、「日本人の全てが根っから性犯罪者の素質を持っていた」とは考えられない。そのような素質は他の国、他の民族と大差ないはずである。ではどういう風に考えればいいだろうか?
いかなる説明が可能か?
この問いに答えるのが、本カテゴリの目的の一つだった。
なぜ日本軍の強姦はこれほど多いのか?
結論を言えば、それは「慰安所を造ったがために、強姦を誘発したのであろう」という事だ。それを見事に述べているのが以下の文章である。
「日本軍が慰安所を堂々と設置したことによって、かえって日本軍の隅々にまで強かんをはびこらせることになったのです。」
慰安所がむしろ強姦を誘発したのである。