秦郁彦論説 慰安婦の数の変遷の歴史
総数は6~9万か?
日米開戦時と終戦時(カッコ内)の外地所在の陸軍兵力を戦域別に挙げると、関東軍75万(50万)支那総軍62万(105万)、南方軍39万(61万)など計176万(216万)で別に海軍が32万(40万)あり、8年間の戦死者が200万人に達する。慰安婦が配置されなかった地域も考慮にいれて、母数となる兵力を300万と仮定しよう。
それから慰安婦問題が白熱化しはじめると自民党内部では、「歴史検討委員会」や「明るい日本国会議員連盟」や「教科書を考える若手議員の会(事務局長=安倍)」などが生まれ、中学歴史教科書の慰安婦記述を消そうと活動し始めるとともに、奥野誠亮(元法相)が「慰安婦は商売」と非難轟々の妄言をした。(秦氏も朝まで生テレビで「慰安婦」を「売春婦」とののしっていた)この妄言を受けて民間でも右翼集団である『日本を守る国民会議』が慰安婦否定キャラバンをしたり『新しい歴史教科書を造る会』が生まれ「教科書の慰安婦記述」を口撃して怪気炎をあげた。
こうした過程を経て、彼らのお仲間である秦郁彦氏も大きくその意見の変遷をみている。
5年後の98年の論文では上の計算を否定し「2万人以下」としている。
・・・・・・所在地数なのか軒数なのかはっきりしない。(『慰安婦と戦場の性』P400)
と頼り無げである。
これについて同じ近現代専門の歴史家、林博史氏に
「“軒”か“所”が「はっきりしない」と言いながらすぐ後に“軒”と見なして計算してしまう。そうすればはるかに少ない数字が出てくるからだろう。」と看破されてしまっている。http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper44.htm
それでもどうしても2万人にしたいらしく、この数字に固執しながらこの『慰安婦と戦場の性』では「平凡だが無難」として再び、適正比率計算に戻っている。ただし今度は兵員総数を300万から250万に減らし、国内の公娼統計(3000万人の遊客に3業の婦女20万人)により150対1の想定に変えて、1万6000人、交代率1.5以下として、やはり2万人という数字にしている。
「1軒あたりの平均慰安婦数は、実例から見ると10-20人だから、400か所に掛けると、4000-8000人(現地人をふくむ)で、ピーク時に1・5倍まで増加したと考えると、6000-1万2000人(うち南方の110か所分が1650-3300人)となる。海軍の慰安所数は不明だが、兵力比から陸軍の約1割と想定して大差あるまい。」「平時の公娼統計(3000万の遊客に三業の婦女約20万で150人対1)を参考にしつつ計算すると、250万人÷150人=1・6万人となる。BCDEの係数も似たりよったりなので、慰安婦の交代(満州・中国では1・5交代、南方は交代なしと想定)を考慮に入れても、狭義の慰安婦は多めに見ても2万人前後であろう。広義をとっても2万数千人というところか。(1999年6月30日「慰安婦と戦場の性」p.406)
*三業とは「娼妓」「芸妓」「酌婦」とのこと。
なかなか、”華麗なる転身”である。
ここで秦氏が使った「平時の内地公娼統計にもとづく推計」については、京都大学の永井和氏により「統計的には無意味な数値を使ったものであるうえ、「実人数」と「延人数」を混同する誤りをおかしており、まったく用をなさない」とその間違いを厳しく指摘されている。http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/19/17 これについては次の項で整理しようと思っている。
【適正比率から計算】50人に1人計算してで6万、女が1・5交代したとして9万となる。↓【慰安所数から計算】↓【適正比率から計算する方法を否定し、慰安所数から計算】1か所当たりの平均慰安婦数は実例から見ると(表2参照)10-20人だから、15人として計6000人、その後、2倍に拡張したとして1万2千人であるCDを併せ考慮し、海軍分を加えても1万数千人と結論して大きな誤りはないと思われる。(「現代コリア」1999年1月・2月号p.34)↓↓【慰安所数から計算し、否定してたはずの適正比率でも計算】1軒あたりの平均慰安婦数は、実例から見ると10-20人だから、400か所に掛けると、4000-8000人(現地人をふくむ)で、ピーク時に1・5倍まで増加したと考えると、6000-1万2000人(うち南方の110か所分が1650-3300人)となる。海軍の慰安所数は不明だが、兵力比から陸軍の約1割と想定して大差あるまい。」「平時の公娼統計(3000万の遊客に三業の婦女約20万で150人対1)を参考にしつつ計算すると、250万人÷150人=1・6万人となる。BCDEの係数も似たりよったりなので、慰安婦の交代(満州・中国では1・5交代、南方は交代なしと想定)を考慮に入れても、狭義の慰安婦は多めに見ても2万人前後であろう。広義をとっても2万数千人というところか。(1999年6月30日「慰安婦と戦場の性」p.398、p.406)*三業とは「娼妓」「芸妓」「酌婦」とのこと。↓【慰安所数から計算】(2002年「世界戦争犯罪事典」p.109)↓【否定していた適正比率から計算】(2006年2月3日「歪められる日本現代史」p.106)
これくらいコロコロと変わられると、今後誰かが「慰安婦の数」について新説を出しても、「それは昔、秦が唱えているので2番煎じだ」と言われそうである。98年以降は計算法はコロコロと変わるが計算結果は、必ず2万人以下にしようとしている。しかもそれは「統計的には無意味な数値を使ったものである」うえ、「「実人数」と「延人数」を混同する誤りを犯しながら、数字は揃えるという奇妙な事をしている」というのだから穏やかではない。
ネットの中には、「秦氏は右翼政治家達に金をもらってるに違いない」という意見も述べられているが、私はそうは思っていない。確かに「自民党 歴史検討委員会」は彼らの趣意に沿う学者に補助金を出すことを決定したが(その内実は分かっていない)、秦氏はおそらく金銭などよりも彼自身の国家主義的指向性によって、その道を選んだのであろう。家永裁判では国側の証人となり、1990年中国新聞の華僑虐殺資料改竄事件の正統化を謀ったり(『正論』1992年8月)、大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判で大江健三郎氏を「反日だ」「被告の人間性が裁かれる」とヒステリックに決め付けた(『歪められる日本現代史』PHP研究所)秦氏は、国家への忠誠を果たしているように見える。それは大蔵官僚として防衛研修所(防衛研究所)教官、防衛大学校講師という輝かしい経歴から生まれたものかも知れない。しかしその指向性は、結局は大日本帝国の正統化に奔走することになり、大日本帝国憲法の復活の道を辿っている。そして いつしか安倍政権と同じ”愛国”と言う名の”亡国の徒”になっているようだ。
現代日本の多様な問題はこうした国家主義者に国ごと乗っ取られてしまったことである。政界ばかりではなく、一般の雑誌まで”愛国者”の主張とかいうものが氾濫している。ゆえに外交問題が多発するばかりではなく、おそらく経済的にも行き詰まり、実体経済がまったく伸びない中で株価バブルを招いているアベノミクスは近い将来、必ず第2のバブル崩壊を引き起こすであろう。我々が今日見ているこうした戦前回帰憲法設立の国家的ペテンの中で秦氏はいかなる役割を負っているのであろうか?それを解明するのが本論文の目的の一つである。