河野談話を守る会のブログ2

ヤフーブログ閉鎖のため移住しました

「16人の証言の裏付け」とは何を意味しているのか?


「16人の証言の裏付け」とは何を意味しているのか?

ーー最初から不可能なことに”イチャモン”をつけている「日本維新の会」ーー


        河野談話の「16人の証言」に対する攻撃

最近、右翼サイド=特に「日本維新の会」と「新しい歴史教科書をつくる会」などによる「河野談話攻撃」が盛んである。

その中で「河野談話の元となった元慰安婦16人の証言には、裏付けがとられていないから、(これを)再検証すべきだ」という主張がなされている。この主張は昔から西岡力などが書いていたことだが、「裏付け調査」が何を意味しているのか、彼らは分かっているのだろうか?
もちろん、証言の中で語られた慰安所がどこにあったか?正確な年齢や期間などの情報は必要であり、そういう意味で裏付け調査をする事には何の問題もありはしないのである。


だが、彼らの言う「検証」はそういう意味では無いだろう。
なんとかして、その証言の有効性を否定したいのである。
そして河野談話の中の「総じて・・強制」のくだりを消したいと思っている。

しかし、慰安所には様々な「強制」があったのが事実である。

インドネシアのコタラジャの慰安所には周囲に有刺鉄線があった。まるで囚人だが、これは奴隷状態の一つの証明となる。「強制」でなければどうしてトゲトゲ鉄線が必要なのか?フィリピンのイロイロ市や沖縄の慰安所規則には、外出は基本不可、散歩の時間も場所も規定されていた。オランダ政府が公表したスマラン以下7件の例は言うまでもなく、強制動員して女性の悲鳴が飛び交ったアンボンの例や憲兵が強姦した上に慰安婦にしたという元将校の証言があり(信陽の例:(「ふるさとへの道 皇軍兵士の歴史認識」)、縛りつけて慰安をさせたり、非常に多くの例が慰安婦に対する「強制」を物語っている。

これらはみな、元慰安婦の証言ではなく、元日本兵による証言や公文から分かる事である。
河野談話は、1993年の時点で分かっていた公文や兵士の日誌なども参考として造られている。ここから、「強制」を消すのは歴史事実を全て無視しない限り不可能である。


             強姦証言

そして各被害者の証言の最も重要な部分は目撃者もいない慰安所の一室や戦場でなされた、暴行、搾取、強姦などである。これをどう「裏付け調査できる」というのだろうか?

男性として言わせてもらうと「強姦」について書くのは気が引ける。
その恐怖や苦痛は男には理解しがたいからだ。しかし、夜中に一人で歩いている女性が後ろから近づいて来る足音に不安げな表情をするのは理解できる。

慰安婦問題で、苦しめられた彼女たちの証言の中核にあるのは、「強姦」である。自ら望んでもいない性行為を強要されている。
フィリピンや台湾、インドネシアの名乗り出たほとんどの元慰安婦が、強姦された事を証言しており、韓国の元慰安婦たちに関しても『強制連行された朝鮮人慰安婦たち』(1993)では19人の内11例が「強姦」を証言している。

これをまさか「目撃者がいないから認めない」としたいのだろうか?

現代においても、強姦は衆目の中でなされているのではなく、おおむね密室でなされており、目撃者はいない事がほとんどである。ましてや戦時下の前線の密室でなされるような出来事に目撃者がいるとは、到底思えない。
また、公文命令書に「女たちは、お前たちの自由に強姦してよろしい」などと書かれるはずがない。
さらに、強姦した軍人本人が名乗り出てくる可能性もほとんど皆無である。
つまり、この面において実質的に個別事例における裏付け調査など不可能であると言える。

          歴史学的アプローチ

では、まったくアプローチが不可能なのか?と言えばそうではない。
個別事例における調査は不可能だが、ここでは歴史学的なアプローチが可能である。
つまり、「日本軍には強姦が多かった」事は歴史学資料によって明らかだからである。
陸軍の依頼によって、上海や南京で多発する強姦を報告した陸軍病院付中尉早尾乕雄軍医の十五年戦争極秘資料集 補巻 32 〔第4冊〕 戦場心理の研究 第4冊』をはじめ、約3500冊という元兵士の書いた記録・回想文書の多くに強姦の情景が語られている。


『湘桂公路』 坂本楠彦 

作戦中見つけた中国女性は必ず強姦して殺すといわれていたある軍曹が、1944年12月、貴州省独山で捕らえた女性を強姦しようとしたところ、この女性は、日本語で「やめて」と叫んだ。びっくりした軍曹がわけを聞くと、中国人と結婚した横浜育ちの女性だった。その時、この軍曹はもはや「やれなくなった」だけでなく、それ以来、人柄がすっかり変わり、女に興味を持たなくなった、と言う。



『滑火』岡村俊彦著、1961、軍医、(P201)

7時出発、冷たい空気が気持ち良い、部隊本部の落伍者に会う、部落に入るたびに女の悲鳴と豚、鶏の叫び声、これが戦争だと目をつぶる、私には行軍が精一杯なのだ。残念だが仕方がない。


などいくらでも出て来るのが、戦争中の日本軍兵士による強姦であり、これについては、右派歴史家の秦郁彦でさえ、「英米両軍が日独ソ軍のような大量レイプ事件を引き起こしていないのは確かである」(慰安婦と戦場の性』P159) と書いているほどである。つまり、日本軍はドイツ軍やソ連軍と並び称されるほど強姦が蔓延していた軍隊だったのである。

強姦が多かった日本軍に対して、戦時性暴力の被害者たちによる告発がなされているのが、慰安婦問題の核心部分の一つであり、だからこそ「レイプセンター」と呼ぶ人もいるのである。オイランを金もうけの道具としか見なかった江戸時代の遊郭の伝統的な「廻し」を継承して、入れ替わり立ち替わり男たちがのしかかる事がそれ自体「強姦」であると言える。慰安所を造る事を、指令部によって公認、推奨されていた彼ら(現地の軍人たち)が、やがて自分達でぞくぞくと慰安所を造りはじめ、その際に強姦してから慰安所に放り込んだり、銃剣つまり軍の圧迫により、女性を供出させたりした。まれには、従軍看護婦たちを食事を餌に慰安婦状態にしていた記録もある。
朝鮮や台湾などの場合はおおむね、女衒(業者)が騙して連れて来たものを、逃げられない現地で強姦したのである。

ゆえにその告発は個々の犯人に向けたものではなく、「強姦所」(レイプセンター)を造って兵士の強姦をさせていた日本政府およびに日本軍に対するものである。
なぜなら、個々の犯人の名前も分からないばかりではなく、日本軍による侵略戦争の中で、その侵略の先兵たちによる行為だからである。


           悪事に加担した者は口を閉ざす

日本軍に強姦が多かった事は、すでに歴史的事実として認識されており、専門家の中でこれに異を唱える者はいない。ゆえに歴史学的な「裏付け調査」はすでに終わっていると言えるのである。

では彼らは何を「裏付け調査」すると言っているのだろうか?
まさか、日本国内でも朝鮮でも台湾でも、女性を騙し、かどわかす事を仕事としていた女衒の中から一人でも、証言が取れるとでも思っているのか?
一人でも女衒・業者を探し出せればたいしたものである。おそらくは敗戦直後であっても、その証言を得る事は不可能だっただろう。彼らにとっては「忘八」の悪徳を掘り返されことになるからだ。ポツダム宣言を受諾した直後に日本政府や軍が戦争犯罪の指摘を恐れて公文資料をことごとく燃やし、悪事を闇に葬ろうとしたように、悪事に加担した者は口をつぐむものだ。

昭和史研究は文書や資料で裏付けられた史実よりも、関係者の記憶や証言に頼る事が多くならざるを得なかった  

日本政府及びにその行政機構、軍事機構は、ポツダム宣言を受け入れると決定したあと、すぐに国家機密に関わる資料や文書の焼却を決めている。昭和20年8月14日の夜から15日の朝にかけて、東京永田町の中央官庁からは機密文書を焼却する煙が絶えなかったという。また外地に広がる軍事機構でも焼却を急いだ。そのため以後の昭和史研究は文書や資料で裏付けられた史実よりも、関係者の記憶や証言に頼る事が多くならざるを得なかった。それでもわずかに残された記憶文書と関係者の証言によって、大まかな「事実」は判明して来ている。

保阪正康『検証・昭和史の焦点』P182)

女衒を探し出し、証言させるとか、そんな不可能なことをやれと言っているのだろうか?
最初から不可能な事を「裏付け調査してない」と文句をつけているのが日本維新の会」などである。
「”イチャモン”を付けている」というのが、河野談話攻撃についての正確な表現であろうと思われる。