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ああ、勘違い!大師堂経慰氏



からの続き

       大師堂経慰氏の慰安婦強制連行はなかった』

作家の豊田氏の著作『韓国が危ない』を取り上げて来たが、「挺身隊」=「女子勤労挺身隊」の勘違いをしている著作として、大師堂経慰(たいしどうつねやす)氏の慰安婦強制連行はなかった』がある。サブタイトルに「河野談話の放置は許されない」と書いており、河野談話攻撃のために1996年に書いた論文を基に加筆したようだ。
大師堂経慰氏は、大正6年生まれ。京都帝大から1942年、末期の朝鮮総督府の役人になり、江原道地方課長を経て、総督府農商局事務官になる。引き上げ後、経済企画庁に。(後略)
という経歴である(同著者紹介より)。

当時、朝鮮半島に駐在した日本人には珍しく韓国語も話せたようだし、韓国人の友人もいたらしい(P98~P110)。
大師堂経慰氏は、この本の”あとがき”にこう書いている。

最近では日本人との交流、交際も随分広がって来ている。韓国の人達と個人的な交際を続けている日本人も多い。その人達は韓国の人達の民族性の良い側面に気づいていると思う。秀れた知性、相手に対する細やかな気遣い、心配り、そして相手の困難には、自分を犠牲にしてでも援助の手を差し伸べる温かい心情、義理堅く友情を大切にする美しい気質。韓国の人達を相手にこのような体験をした人も多いのではないだろうか。
個人対個人ではこんなに信頼しあい、親しくできるのにどうして国民対国民では反日嫌韓なのだろうと考え込む日本人は多いと思う。



そこで私が答えを書いてあげよう。

日韓の国家関係が破壊されているのは、大師堂氏のように、自分が大きな”勘違い”をして置きながら、相手が間違っているのだと思い込んでいる自称”愛国者”がたくさんいるからである。歴史観の問題、とりわけ慰安婦問題では、右派の妄想としか言いようのない慰安婦論説が蔓延しており、その結果韓国どころか、アジア諸国アメリカ、国連との関係さえ狂って来ているのが今日である。
ゆえに本論文の目的はその迷妄を解く事にある。

さて、大師堂氏の著作で扱っている「挺身隊」はもろに勘違いが書かれている。
まず大師堂氏はP27で朝日新聞の記事の中の「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とか20万とか言われる。」という部分は「間違いである」としてこう書いている。

女子の挺身隊とは、勤労奉仕か、戦争末期に国民徴用令によって徴用されたもので、日本内地でも軍需工場や被服工場に動員されている。徴用対象は総動員法に基ずく総動員業務であり、総動員法2条や3条に列挙されている。国民徴用令による徴用である以上、正規の行政機関を通じて行われるものであり、従軍慰安婦が徴用の対象になりえない事は、前述の答弁からも明らかである。(P27)



もし朝日が「女子勤労挺身隊の名で」と書いていたら問題だが、そんな事は書いていない。「挺身隊の名で」と書いてもすでに見て来たようにそれ自体大きな問題もない。正確な表現とは言えないが挺身隊」を名目にしたり、お国のためにとしたり、軍への奉士を名目にして慰安婦にした例が実際にあるからである。

面白いのは、大師堂氏が韓国政府の「日帝下軍慰安婦実態調査中間報告」をちゃんと読んでいる点である(P27)(P42,43)。読めば分かる通り、韓国政府は1992年に調査発表した日帝下軍慰安婦実態調査中間報告』の中で、「勤労挺身隊と慰安婦」という項目をわざわざ設けて、「女子勤労挺身隊も国民学生勤労挺身隊も慰安婦とは基本的に関係無い」と両者が別のものである事をちゃんと報告しているのである。
それを読んでいるのだから、韓国の教科書や朝日の記事を読んでも「これは女子勤労挺身隊の事ではなく別の意味の”挺身隊”の名目で徴集されたのだな」と気づきそうなそうなものだが、先入観というものは怖いもので、「挺身隊」と見るとそれは「女子勤労挺身隊」の事だと思い込んでしまうのである。そこで「挺身隊と書くのは間違いだ」と文句をつける訳だが、勘違いしているのは自分達の方である。


かいつまんで書いて置こう。
1997年から使われる韓国の教科書には、「女性まで”挺身隊”という名でひいていかれ、日本軍の慰安婦として犠牲になった」と書かれていた。繰り返すがこの記述は正確なものではない。全ての慰安婦が「挺身隊」という名でひかれたわけではないので、もう少し説明が必要である。しかしまったくのデタラメというわけでもない。それはすでに書いてきた通りである。
しかし師堂氏は、韓国の教科書に記されている「女性まで”挺身隊”という名でひいていかれ、日本軍の慰安婦として犠牲になった」という記述の訂正させるように書いている(P98)。これは小山孝雄議員の主張、そのままである。



これについて、小山孝雄議員が、1997年3月12日の参議院予算委員会で、既述の勘違いをしながら、「韓国の教科書に抗議しろ」と政府に要求した。
以下、一部を抜粋しよう。



             小山孝雄議員の1997年の答弁


     参議院予算委員会 - 8号  平成09年03月12日



小山孝雄 お隣の韓国でも今年度、この三月から新学期が始まっているようでございますけれども、歴史教科書に、あそこは国定教科書でありますから一つであります、慰安婦の問題について記述が入ったと、こう聞いておりますが、外務省は手に入れていらっしゃいますか。

○政府委員(加藤良三君) 九七年三月から使用される韓国の中学校それから高校用の国定歴史教科書、いわゆる従軍慰安婦に関しまして、これは日本語の翻訳でございますけれども、次のような記述があると承知いたしております。
 まず、中学校の教科書でございますが、「女性までも挺身隊という名でひいていかれ、日本軍の慰、安婦として犠牲にもなった。」。次は高等学校の教科書でございますが、「女性たちまで挺身隊という名でひいていかれ、日本軍の慰安婦として犠牲にもなった。」。以上でございます。


小山孝雄 私が調べて皆様に配付したのと同じでございますけれども、ここではもうまさに挺身隊というのと慰安婦とイコールに受け取られるわけであります。外政審議室にお尋ねしますが、そういう制度でありましたか、調査した結果。


○政府委員(平林博君) 慰安婦と女子挺身隊とは全く異なるものでございます。女子挺身隊の方は日本の制度として存在しましたが、慰安婦というものは政府ないし軍の制度として存在したということでは、法令に基づく制度ということでございますが、ないのではないかと理解しております。
 韓国の教科書に今外務省から紹介しましたような記述がございまして、そういう記述にあったような例があるいは当時あったかもしれませんが、今申し上げましたように、女子挺身隊と慰安婦が混同され、これが一般化された形で読む人に受け取られるということがないようにというふうに考えたいと思います。


小山孝雄 今御答弁ありましたように全く別のものでありまして、こういったことが混同して韓国の少国民に教えられるということは、これは問題だと思います。外務大臣、この訂正方を申し入れいたしますか。

○政府委員(加藤良三君) 韓国との関係におきましては、今御指摘のような問題もあるわけでございますが、これを全体として未来志向の関係に持っていくという点をも踏まえまして、いろいろな分野において非常に緊密な対話というものが行われている状況にございます。そのような視点を踏まえて、御指摘の問題につきましても、我が方の考え方というものは韓国の方にも周知させるように努力しているつもりでございます。

小山孝雄 努力しているつもりって、この問題について訂正を申し入れしないんですか。

○政府委員(加藤良三君) 従軍慰安婦問題に関する我が国の調査結果とか認識というものについては韓国側に外交ルートを通じて通報してきているということでございまして、このような対話というものを今後も引き続き行ってまいりたいと考えております。

小山孝雄 外務省組織令第二十四条三項には何と書いてありますか。
 「外国の教育資料等における日本に関する事項の調査及び是正に関すること。」と、こう明記されております。間違いないですか。

○政府委員(加藤良三君) 今読み上げていただきましたところ、確認はできませんけれども、そのようなことかと存じます。

(以下略)




外務省組織令第二十四条三まで持ち出して、韓国に抗議しろと述べている小山議員だが、適当にはぐらかされている。
確かに「慰安婦と女子挺身隊とは全く異なるもの」なのだが、同時に「女子挺身隊と挺身隊」も言葉の意味が異なるのである。にも関わらずこの勘違いは誰にも訂正されないまま右派論壇にえんえんと続いている。豊田有恒が『韓国があぶない』を出したのは2005年の12月である。
右派論壇で頻繁に発言している、頼りの歴史家秦郁彦氏自体が大きな勘違いに生きているので、いつまで経っても修正されないでいるのである。次は問題の秦郁彦について言及しよう。