河野談話を守る会のブログ2

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国民基金(アジア女性基金)の問題について



40数年に渡った冷戦が終わり、それまで人類規模の大きな闘いの中で密かに潜行していた日本の歴史観と戦争補償の問題が、やっと陽の当たるところに出て来た。
慰安婦問題が浮上してきた頃、総理大臣になった社会党の村山は元々、個人補償、国家補償推進派だったが、連立を組んだ自民党内部に蠢動する右派勢力の頑強な抵抗を受け、国会決議を阻まれると慰安婦問題では妥協を謀った。これが「国民基金」の設立だったのだ。つまり日本政府は政府がすべき法的な補償に替えて「国民基金」を設立したのである。
この欺瞞は、誰あろう被害者達によって、すぐに見抜かれてしまった。

「アイゴ、侮辱されたみたいだよ。自分達はお金を投げてやって愉快だろうが、アイゴ、侮辱されたんだよ。」(2006年のビデオ『消す事ができない歴史』)

と述べた金福童ハルモニの言葉に全てが集約されている。
日本政府が何かを誤魔化そうとしている事を、敏感な被害者達は感じていた。

姜徳景(カンドッキョンハルモニもこう述べる。
「賠償ですか?日本の国土を全てくれると言っても、胸はすっとしません・・・私の人生がどうして補償できるというのですか?」

国民基金に最後まで反対した金学順(キムハクスン)ハルモニは96年に他界されたが、今もご存命の姜日出(カンイルチュル)ハルモニは、「日本の政府は責任をちゃんと取らないで、国民のせいにしています。国民からお金を集めて・・・おかしな話です。・・・」
(「被害者の声にこたえ今こそ立法解決を」同時証言集会IN大阪2009)
と述べている。

右派論壇では、「慰安婦はお金をもらっていたただの売春婦」という捏造論説が宣伝され、それを受けて政治家達による妄言が相次いでいた。「謝罪する必要はない」とか言いながら「土下座外交はやめろ」「謝罪は済んだ」とか矛盾した事を述べていた右派論壇では、この「国民基金」をもって謝罪も補償も済んだとしたがる人も多いが、国民基金は、国が自己否定した上でなされたものではなかった。第一、橋本、小渕、森、小泉がサインした「総理の手紙」は全ての被害者に渡されたのではなく、お金を受け取った者にのみ渡されたのである。それはこのお金が「口封じのための慰謝料」という性質を持っていたからである。そしてその間に「河野談話」での約束を破って、全ての中学歴史教科書から「慰安婦」の記述がのきなみ消えて行った。
これが謝罪した姿だというのだろうか?
やがて安倍第一次政権では、「河野談話を継承する」と表明しながら、「狭義の強制連行は無かった」と閣議決定してしまった。この閣議決定バタビア裁判の記録を無視しているという点で欺瞞に過ぎないが、それ以上に「慰安婦問題」を否定したいという情念に凝り固まっていた。この時実質的には、「河野談話」も「国民基金」も破棄されたも同然であった。この外交を無視した安倍政権による閣議決定の負の効果は世界に波及し、危機感を持った米国をはじめ、アジア各国と欧州でも「慰安婦」決議がなされた。
解散にいたるまで国民基金は、韓国ではおよそ4分の1にあたる61人が受け取っただけであり、フィリピンや台湾にも同じ思想を持って受取りを拒否した人が多くいた。オランダの被害者は受け入れたが、そのオランダの決議は、「河野談話」さえ棄ててしまいそうな安倍政権に対して、日本が責任を明確にするように述べている。
結局、国民基金は被害者を無視して生まれたので、十分な成果がなかったと言えるし、むしろ問題を増やしている。お金の面でも不可解であり、基金に集まったおよそ54億円の内、被害者に渡されたのは約17億円にすぎず、残り37億円という巨額が人件費や交通費という名目でどこかに消えたのである。総額54億円もあれば、もうとっくに慰安婦問題が解決していてよさそうだが、税金と寄付金に群がる禿鷹でもいたのだろうか?37億円もどうやって使うのか?およそ庶民には理解しがたい話しである。