暴力団と慰安婦問題
戦時下の暴力団と軍部の関係
ただ単に、戦前のヤクザ者の中に、女性を食い物にして、遊郭を沈めては大金を稼ぐ女衒稼業がいたというだけではない。今日でもある事だが、戦前の飯場などの”口入れ”もヤクザ者の資金源の一つであり、当時口入れ屋は、公式に国家によって認められた稼業だった。
これが、戦時下になると軍の要求に従う形で、炭坑や建設現場、慰安所などにヤクザが監督として入る事もあったのである。
これによると「やくざと右翼の一体化が国家権力の肝いりで進められ」「(公称60万人の)大日本国粋会が造られた」という。
仕事の内容は
「兵站輸送などの協力」P64が求められ、「軍備強化に伴う仕事が、一部の親分のもとに「国策」として回ってくる時代に突入する。それは軍のための兵站輸送や、施設建設、軍夫などが主な業務だった」(『山口組概論』P65)
という。
軍の兵站部は慰安所の設営・運営を担当している。京都大学の近現代専門の歴史学者である永井和教授の発見した1937年9月29日制定の陸達第48号「野戦酒保規程改正」には「・・・野戦酒保ニ於テ前項ノ外必要ナル慰安施設ヲナスコトヲ得・・・」と書かれている。
(「日本軍の慰安所政策について」参照)
つまり、戦後社会の中でヤクザの親分が、プロレスやキックボクシングやK1、プライドなどの興業権を握り、取り仕切っていたように、戦時中は軍の慰問を取り仕切ったりしたし、慰安所の運営に関わっている者もいたというのだ。
ヤクザと強制連行の炭坑や建築現場、飯場
麻生争議での争議団の要求書をみると、最初に「暴力的行為ヲ以ッテ坑夫ヲ酷使虐待スル悪習ヲ絶対厳禁セラレタシ」と暴力の中止を第一要求にしている。
第一の要求で「暴力的行為を持って酷使虐待する悪習をやめてくれ」というのだから、相当殴られていたのだろう。
そしてこうした暴力に対して警察に訴えても無駄であり、歴史家山口公一によると「強制連行された人達は40%以上が逃亡した」と言う。(歴史教育研究会『日本と韓国の歴史共通教材をつくる視点』P304,P305、山口公一「大東亜共栄圏の中の植民地朝鮮」)
あまりに逃亡が多いので、炭坑側は逃げられないように暴力的監視を置くようになり、タコ部屋化を強化し、逃亡すると警察が連れ戻そうと追いかけた。(明石博隆, 松浦総三『昭和特高弾圧史7-朝鮮人に対する弾圧(中)』太平出版社、P238~P240「国民動員計画に依る移入朝鮮人労働者の主なる紛争議」)
つまり暴力団と警察が結託して、「強制連行」した人達を痛めつけたのである。
本来、こうした暴力行為を取り締まるべき警察が国策としての侵略戦争の中で、軍務を帯びた一機関となった結果、国策企業の暴力行為には目をつむり、これと共に強制労働の犯罪を助長したのであった。そしてこの事と慰安婦の徴集は深く結び合っているのである。
ここで思い出すのは、第五十九師団(済南駐屯)の伍長・榎本正代の証言である。