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遊郭業者 忘八の存娼運動



廃娼運動の歴史は日本の最も輝かしい社会運動史の一つである。徳川幕藩体制の中で、しみついたような公娼制度・・・・・この制度はマリア・ルーズ号事件の裁判の際にペルー側の弁護士ディッキンズが指摘したように、「日本国内には娼妓という奴隷が数万人も居る」という一種の奴隷制度であった・・・・・をやがては廃止へと追い込んだ直接の運動であった。それは「廃娼運動の恩人」と言われた救世軍のモルフィから始まり、微小勢力ではあったが良心的キリスト教徒の間で支持され、さらに世の中の良心と糾合することで19世紀の終わり頃から一つの流れを造り出したのである。

モルフィが廃娼運動」を始めた直接のきっかけは彼が英語を教えていた青年が、途中で挫折したのだが、その原因が遊郭通いにある事を知ったからである。当時日本では「男は女郎屋通いをしてはじめて一人前」というような風潮があり、明治維新以来はるかに増大した遊郭花街が各都市と温泉場にひしめいていた。日本は一大風俗大国化していたのである。これが青少年の気をそらせ、堕落の主要原因となっている事をモルフィは理解し、やがていくら働いても借金が減らない娼妓たちの悲惨な「性奴隷」境遇を知るに及んだので闘いが始まった。(『つぶての中で モルフィの廃娼運動 』ユリシーズ・グランド・モルフィ著 小川京子訳・解説 不二出版 1984.7)

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吉原遊郭

対して、儲けのためなら何でもやる集団であった忘八(遊郭業者)たちは、「人の茶碗に手を突っ込むな」と猛然と反対し、政界と警察に賄賂を送り日頃懇意にしているヤクザ者を雇って廃娼集会を襲撃させるなど朝飯前だった。彼らは女の生血を吸う吸血鬼であった。
モルフィは何度も暴漢に襲われながら、法廷で楼主と争い、ついに「前借金の有無に関わらず自分の意思で廃業できる」という判決を得たのである。もちろんこの判決で全ての決着がついたわけではなく一局面に過ぎなかったわけだが。

お江戸の娼妓達は「籠の鳥」などという生易しい境遇ではなく、廊主に対するわずかな反抗にも折檻、リンチが横行し、後の陸軍以上の暗い暴力体質が蔓延してたのだが、これを密室の中でそのまま引き継いだのが明治の遊郭だった。今日の東京都の副教材である『江戸から東京へ』では決して教えてくれない史実である。江戸の呼称が東京に変わろうがどうしようが、人々の人権意識にさほどの差がある訳ではなかったし、遊郭業者たちのヒトデナシ体質も変化はなかったのだ。神埼清によると吉原遊郭で女性の取り分が25%から40%に変わったのは、終戦前後(1945年ころ)で、昭和のはじめごろは一割だったという。その一割では結局借金でもしないと着ものも買えないので、廊主に借りるのだが、こうして借金が雪だるま式に増えるのである神埼清『売春』 現代史出版会、p30より)。


1880年「万国廃娼連合大会」が開かれた。全世界で廃娼運動が活性化しはじめていたのだ。どこの国でも売春は闇社会の資金源となっていたが、日本ほど隆盛を誇り、かつ政界や闇社会と強固に繋がっている国は存在しない。これに匹敵しうるのは、古代ローマで市民権を持っていた奴隷売春宿しかない。その闇をつついてついにそこに棲んでいたヘビを追い出したのが廃娼運動」だったのである。ゆえにそれは強力な闘いであった。

現在の右翼団体が企業にちょっかいを掛けたり、企業から金を出させるために慰安婦活動などをしているように、戦前右翼も同じような事をしていた。遊郭業者たちは、廃娼運動に対抗するために『愛娼誉誌』を明治時代に刊行した。そして廃娼運動を邪魔する事を目的とした「存娼会」を造ったのは右翼の壮士だった。(金一勉『遊女・からゆき・慰安婦の系譜』p265)
この存娼論は「遊郭は経済を潤す」とか「それは必要悪で、収入の少ない独身男性がセックスを処理するには必要だ」とかいうもので、これがそのまま「軍の慰安所必要論」にも使われたし、去年の5月頃、橋本市長が熱弁した「慰安所必要論」と酷似している。いつの世に中にも、この手の論者はいるらしい。その橋下が、時代が変わっても未だに遊郭の面影を色濃く残し、売春が盛んになされている飛田の「料理組合」の顧問弁護士を務めていたのは、よく知られた話しである。
顧問弁護士が「処理施設必要論」を述べるのは、必然かも知れないが。
しかし、今現在遊郭が無くなっても我々はまるで困っていないし、この先ソープランドが無くなってもその他の性産業が無くなっても、私は個人的には困る事が無いだろうと思う。
さて、現在私の手元には、遊郭側が巻き返しを狙う、昭和10年(1935)の『全国貸座敷総合会臨時大会記録』という存娼論の発刊記録が有る。この刊行物はいろんな意味で興味深いが、中野寅吉衆議院議員の「みなさん一歩も引くな」という電文も書かれている。この大会で「公娼は我が国体に立脚して、神の御威光の下に定められたる制度である。」と演説したのが小島光枝であった。http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64314083.html「日本婦人更生会長」という名は体を表さないことおびただしい肩書をもつ人物によると(廃娼は)「国家を毒するユダヤ思想」なのだそうだ。
ナチスの思想と共鳴していた人々であるという点でも現在の慰安婦否定論者側と良く似ていると言えるだろう。ハーゲンクロイツと旭日旗が共に振られていた過去を繰り返すように現在も両旗を振ろうとしている。