慰安所を造ったエリート軍人たち
1、 慰安所を造ったエリート軍人たち
慰安所を造ったエリート軍人としては
この人が陸軍の慰安所を造った人です。
その部下の岡部直三郎も44年には北支那方面軍総司令官となり、陸軍大将という軍人としては最高位に昇っています。
この通牒を出した人です。
「古来軍隊ノ掠奪強姦行為ニ対スル反抗熾烈ナルカ特ニ強姦ニ対シテハ各地ノ住民一斉ニ立チ死ヲ以テ報復スルヲ常トシアリ・・・」というのは、要するに、蔓延している強姦が強烈な反日意識の原因となっていると述べているのです。
さらにその部下で実際に慰安所を造った永見俊徳中佐は後に、第55師団長になります。
31年「10月事件」で問題になったはずの長勇中佐も南京での慰安所設置をし、後に沖縄第32軍の参謀長となりました。
副官通帳を立案したのは兵務局兵務課
2、総理にして陸軍大臣(兼任)の東条英樹
内容は以下のようなものです。
こうした密電が陸軍大臣東条英樹など当時の閣僚の押印つきでやりとりされており、慰安所を造り、そこに女性を送り込むことについて、大日本帝国の施政最高責任者であった東条内閣の承認と命令があった事が分かります。
3、スマラン慰安所を造った責任者
インドネシアの収容所から(24名以上の)白人女性を連れだし慰安所に集め、輪姦したというスマラン事件。責任者の野崎清次少将は、南方軍幹部候補生隊隊長でしたが、日本軍によっては処刑されず、44年には旅団長、45年3月には中将、4月に第152師団長に出世しています。(吉見義明『日本軍「慰安婦」制度とは何か』P36)(野崎は48年のバタビア裁判106号で、懲役12年の判決を受けている。)
ところで、日本軍における中将という地位は、陸軍大臣になれるレベルです。しかし性犯罪の責任者だった訳です。
慰安所造りには、当時のエリート軍人がのきなみ関わっていたのです。これは関与というよりも、「女性を集め、軍人の下半身の欲望の相手をさせることに」首謀者として関わり、命令しているのだと言えるでしょう。徴集時の「欺罔」「詐欺」「略取」(これらは犯罪である)に関わっていた場合さえ有り、責任が無いなどとは到底言えないのです。