河野談話を守る会のブログ2

ヤフーブログ閉鎖のため移住しました

遠い過去から繋がる現代



コンビニの雑誌コーナーにはいつも阿然・呆然とさせられる。商業主義とは言え、こんなに質が低くなる原因は何なのだろうか?昔どこかの新聞で、「日本の男性が電車の中で、平気でヌード雑誌を広げていることが不思議である」という米国人のコメントを観た事があるが、いい大人まで少年マンガを広げていたり、ヌードグラビア付き雑誌を広げている様子を観ると、この国の将来を危うく感じる。
昔の人が春画を好んだ遺伝子が今も生きているのである。
そう言えば明治維新の頃、欧米から来日した人々も日本の様々な光景に違和感を述べていた。もちろんオリエンタルな風土に関するものもある。例えば、各地に存在していた男女混浴の温泉に驚いたりしている。

明治5年4月の『新聞雑誌』には、<裸体、肌脱ぎ、男女混浴、春画、性具、刺青ーいずれも厳禁>という東京府令が掲載されている。「裸体姿の往来」を禁じたりしているところを観るとそういう風習があった事が分かる。
裸で道を歩いていた人がいたようだ。

テレビや映画で、完全に時代考証をして当時を再現すると、今日の我々が見ても奇異に思うものがたくさんあるに違いない。ぜひ一度やってみたいものだ。
「性具」「春画」とわざわざ書いてあるのは、こういったものが人々の目の付きやすい路傍などで売られていたからだろう。

「金精明神」なんて言うのもある。これは「子宝の神」と評されることもあるが、実質「淫行の神」と言った方がぴったりする。至るところ、路傍や街角に「金精明神」と呼ばれる男根の姿があった。もちろん、これはインドから朝鮮半島まで幅広く存在したオリエントの淫靡な風習だが、東端に位置する日本ほど蔓延した国はなかったようだ。

イメージ 1


明治政府は、外国人の目を気にしてこの金精明神」を取り壊すようにたびたび布告を出している。

「金精大明神と号し木石を以て淫茎の形を造り、路傍などに立置など野蛮の風習慙愧の至り早々取り壊す可申云々」

これを受けて、金精明神」を江戸川に捨てたという記事が創刊されたばかりの『東京日日』新聞明治5年4月4日に掲載されている。

「・・・件の陽物は底に土の重みがある故に、皆水面に亀頭を顕し・・・」

とかなりシュールな光景を伝えている。

明治初期と言えば、天秤桶に子供を乗せて、「子供、要らんかー!」と言いながら歩く人売りがいた時代である。江戸時代がどんなに暗かったかが分かるというものだ。
それに比べれば、諸外国の目を気にしながら部分的には開明政策をとっていた明治維新は”光”があった。もちろん比較の問題に過ぎないが。それでも遊郭はさらに発展したのである。やがて維新の光が消え、矛盾が露呈する時代最悪の暗がりが日本を覆い尽くした。

明治時代に日本が「売淫国」として指摘されたのは、初期米国や中国、朝鮮、南洋の移民の多くに女郎屋や醜業婦が多かったからだとも言う。たしかにからゆきさんは業者によってあらゆるところに連れていかれた。その数は日本国内の公娼の数に匹敵するとも言う。
日本の光景でもっとも奇異に映ったのは、「遊郭」だった。人類の始まり以来、売春は存在していたのだが、ほとんどの国では隠れて営まれていた。少なくとも日本のように堂々と「売春」が営まれたりしていない。

毎日新聞』(明治32年)はこう述べている。

「世界各国至るところ貧民あらぬはなく、貧民あるところ、芸者、女郎の類あらぬはなけれど、日本の如く公然遊郭を造りて・・・・女郎を奴隷となし、これを買う客の少しもこれを恥じぬ国はあらじ・・・・・」

現代社会で、コンビニで売られているたくさんの雑誌にヌードが飾られ、それを電車で散見して恥じない人が多いのも、遺伝子のなせる業だろう。こういう雑誌が「慰安婦について」事実に反する歪んだ記事を書くのも道理かも知れない。