河野談話を守る会のブログ2

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ウヨクの特徴はその捏造性である

  <館雅子の述べた嘘・デタラメについて>

「第一回アジア連帯会議」について、参加者の証言という事で、館雅子という人がある事ない事、様々に述べているようだ。
その嘘とデタラメを指摘しておこう。

「第一回アジア連帯会議」について報道した産経新聞


  1、チマ・チョゴリを着た4~5人の元慰安婦女性が」?

館雅子氏は産経新聞5/25紙上で



この会議に参加した舘は会場で迷い、ドアの開いていたある小さな部屋に足を踏み入れてしまった。そこでは、韓国の伝統衣装、チマ・チョゴリを着た4~5人の元慰安婦女性が1人ずつ立って、活動家とみられる日本人女性や韓国人女性の言葉を「オウム返し」に繰り返していた。
「元慰安婦に(シナリオ通りに)言わせるのは大変なのよね」
日本からの参加者がこう話すのを耳にしていた舘は、あの部屋で見たのは「元慰安婦女性たちの振り付けだ」と確信した。

 と述べており、その証拠として、産経新聞5月25日朝刊では写真が掲載されている。説明では「平成4年8月、ソウル市内で開かれた「挺身隊問題アジア連帯会議」で舞台に立つ元慰安婦女性ら」と書かれており、「館雅子氏提供」だと産経は説明している。

産経新聞5/25、朝刊に掲載された写真とその説明)↓



イメージ 4



この写真が本物なら、確かに白衣の民族衣装を着た女性たちが壇上に立っている。
しかしよく見ると、男性も白い衣装で壇上に立っており、「今問われる戦後補償」「第一回口頭弁論」と、日本語で垂れ幕に書かれている。明らかに日本で行われた「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求 裁判」の第一回口頭弁論の報告集会の写真である。

こうして「アジア連帯会議」とは無関係な写真を提示しながら「アジア連帯会議」の写真として公表し、館雅子氏の話ではチマ・チョゴリを着た4~5人の元慰安婦女性が1人ずつ立って、活動家とみられる日本人女性や韓国人女性の言葉を「オウム返し」に繰り返していた。事になっている。
しかし、この「第一回アジア連帯会議」に出席したハルモニで、チマチョゴリを着て参加した方は一人もいない

下がその写真である。



参加者提供:(垂れ幕にはアジア連帯会議と書かれている)

イメージ 5



参加者、左から 1、不明(取材記者か?) 2. 金学順(キム・ハクスン) 3. 文必琪(ムン・ピルギ) 4. (カン・ドッキョン5. 金順徳(キム・スンドク)6. 陳慶彭(チン・ギョンペン)7. 尹順萬(ユン・スンマン) 8. 李容女(イ・ヨンニョ) 9. 李容洙(イ・ヨンス)10. ハン・グギョム(現・挺対協共同代表)
(以上、敬称略)

どこにチマチョゴリを着た女性がいるのだろうか?

上記の産経記事の写真を誰が、どこで見つけて来たかは知らないが、おそらく、館雅子氏は「口頭弁論報告集会」の写真を見て、つじつまを合わせながら話をしているものと思われる。


   2、韓国語が堪能な日本人活動家とは?

ところで、「4~5人の元慰安婦女性が1人ずつ立って、活動家とみられる日本人女性や韓国人女性の言葉を「オウム返し」に繰り返していた。」と書いているが、ハルモニたちにセリフを教えてたという事は当然、その女性は韓国語が堪能だったという事であろう。
しかし、この第一回アジア連帯会議に参加した活動家の日本人女性で、韓国語が堪能な方はいなかった。

一体誰の事だろうか?

館氏の話が本当であるならば、館氏は高橋喜久枝、福島瑞穂松井やより各氏の声と名前を知っており、見分けがつくはずである。したがってこの「日本人女性」は、3氏ではないという事である。
そうすると「第一回アジア連帯会議」には、この3氏以外にも、ハルモニたちに韓国語でセリフを教え、被害者偽装を教え込んだ日本人女性が参加していた事になる。韓国語が堪能なはずのこの女性には、まったく心当たりが無いのでぜひ教えていただきたい。

館雅子氏は桜チャンネルの動画(後述)では「(元慰安婦は)2,30人いた女性の内、本物は2人しかいなかった」と述べている。すると残りの18名、ないしは28名は偽モノであり、被害者でもないのに被害者のフリをしている・・・と言う事である。
そんな被害者演技をさせるのは、なかなか大変だろう。
演劇をやった事のある人なら分かるように、セリフを覚えるのは難しい。素人が長いセリフを間違いなく覚えるには、少なくとも1カ月はかかるだろう。学生の一夜漬けじゃあるまいし、そんな事をわざわざ本番直前の控室で、ハルモニたちに教えるだろうか?

もし、そういう事をやるのなら、少なくとも2,3週間前にはセリフ分担を決め、何度かリハーサルを行っていなければならないし、それでもトチる事を覚悟しなければならない。

さらに言えば、もし当日、被害者偽装セリフを教えていたシーンを本当に館氏が目撃していたのなら、そのセリフは大会本番のどこで、どのように発せられたのであろうか?
そのような記述はまったくないのだが、当然教えられたセリフを大会の中のどこかで言ってたという事なのだろうから、ぜひそれは誰がどのように述べていたか、示していただきたいものだ。




   3、会場は?

次に会場についてだが、第1回アジア連帯会議は「クリスチャンアカデミーハウス」で行われた。(情報提供:参加者)

週刊新潮7月3日号で、館雅子氏は



「私は92年8月にソウルのYMCA会館で開かれた「アジア連帯会議」に出席しましたが・・・」


と述べているが、これもデタラメである。



   4、 台湾の報告者?

産経新聞』の記事に戻るが、館雅子氏は



私たちは韓国の女性と違って、優しくて従順なので日本の兵隊さんにかわいがってもらい、遠足にも一緒にいきました。だから韓国の強い姿勢とは違う」
台湾代表がこう主張し、韓国側が要求する個人補償を求めない考えを表明すると、激しいヤジが飛んだ。声を荒らげて怒る人、議長席に詰め寄る人などで会場は騒然となった。

 
と述べている。

調査したところ
このようなヤジが飛ぶような事件を誰も記憶していないばかりか、台湾の報告者はMEILING CHEN氏(婦女救援基金会)であり、『台湾「慰安婦」に関する初の報告書』という題名の報告で




「・・・・台湾女性のほとんどが物質的補償を望んでいる。しかし、補償を望んでいるとはいえ、期待してはいない。もしも、日本政府が韓国の「慰安婦」に補償するなら、台湾の女性たちも補償されなければならない。彼女たちは、他の「慰安婦」たちと同じ処遇を受けることを願っている」



という内容が盛り込まれている。このような文脈の話のどこに


「兵隊さんにかわいがってもらい、だから韓国の強い姿勢とは違う」



・・・などと述べる余地があるのか?


この「アジア連帯会議」は、日本軍による性暴力被害者の会合であり、被害者や支援者でもない人が、わざわざ安くもない交通費を払って、日本軍を擁護するために参加する事など最初から考えられない。議員をしていた館氏なら興味半分で参加するかも知れないが、被害者のほとんどが、裕福ではないのだ。被害者たちは、第一に「日本軍のアジアでの蛮行、性暴力を語りたい」第二に「破壊された人生は元に戻らないが、補償を受けたい」という<アジア連帯会議>がその発足の当初からもっていた目的に共鳴し、参加しているのである。
「この人は被害者だ」と各国で認定されて、初めて参加しているのであって、「兵隊さんにかわいがってもらった」「韓国の強い姿勢ではない」と認識しているような人がいたなら、そのような人がどうして参加するだろうか?

まるで話しのつじつまが合わないのである。
館氏の主張では、台湾から参加した被害者が、日本の補償を求める韓国の被害者女性に反発して上記のような発言をしたというが、この発言はつまり「(韓国と違って)補償を求めない」という事だろう。しかしその後も「アジア連帯会議」に毎回台湾の被害者たちが参加し、補償を求める裁判も起こしている。ハルモニやアマが互いに反目するような事件は無かった事が明らかである。
ゆえに当たり前の事だが、参加者の中で館が述べているような話しを誰かがしたと記憶している人間は一人もいない。また台湾側の記録にも残っていない。

この証言をしたという参加者は誰なのか?
館雅子氏は、キチンと言明すべきである。



5、 インドに住むタイ人女性?の怪



続いて、インドに住むタイ人女性が「日本軍さえたたけばいいのか。インドに来た英国兵はもっと悪いことをしたのに」と泣きながら訴えると、日本語の怒鳴り声が会場に響いた。「黙りなさい。余計なことをいうな!」

 
という記述についてだが、インドから来た女性は一人もいない。

タイからはGOVIND KELKAR氏が参加しているが、もちろん、タイ在住。
報告はしていない。


『タイービルマ鉄道の労役勤労隊と慰安婦
というタイトルで研究を発表したのは、SOMKID MAHISSYA氏。
彼女は香港在住である。

彼女の報告文には、書かれているのは



日本による鉄道建設に捕虜(POW)やアジアの労働者が駆り出された、劣悪な環境で栄養失調に苦しみながら奴隷のような労働を強いられた、そしてこれに参加した女性たちの存在が見過ごされてきた。
慰安所は軍人が駐屯するタイービルマ鉄道に沿ってあまねく設置された。鉄道完工後、軍人たちは日本人女性、朝鮮人女性を「慰安婦」という名で使用する慰安所を、鉄道に沿ってつくり始め、彼らが運営もおこなった。



というような内容である。



「インドに来た英国兵はもっと悪いことをしたのに」
泣きながら訴えた。



というのは一体誰なのか?館雅子氏は、まず報告者の名前をはっきりさせるべきである。







こうしたでたらめを並べながら、高橋喜久江さんや福島瑞穂さんを「「河野談話」を出世の踏み台にした」とか、「頬かむり」「売国の履歴書」という言葉で名誉を棄損している事について、「産経新聞」や「新潮」はどう思っているのか?

イメージ 3




6、都合によって変化するお話

 産経新聞では、台湾やタイ人女性に対して、「余計なことを言うな」と高橋喜久江さんが怒鳴った事になっている。

(写真3)ー産経新聞5/25
イメージ 1

しかし、週刊新潮では、発言を遮りマイクや証明を切ったのは、福島瑞穂氏や松井やより氏になっている。

(写真4)ー週刊新潮7/3号
イメージ 2


どうやら、館氏の証言では編集部の都合に合わせて、怒鳴ったり、遮る人は変化するようである。






市川房枝は戦争中、戦争に協力し翼賛体制の中で大日本言論報国会理事に就任している。やがて敗戦後、公職追放されたが、何の反省もしなかったようだ。戦争責任をなおざりにした事が、こんなところにも影を落としている。

右翼勢力的には、「福島瑞穂反日だ」が「市川房枝反日ではない」婦人なのだろう。

その市川の弟子らしい館雅子氏は日本文化チャンネル桜 2013.7.23の動画https://www.youtube.com/watch?v=gdNtG_H_Fvwでは、右翼の「慰安婦」神話を長々と述べている。吉田清治がどうの、朝日がどうの、という彼らの信じる「慰安婦」神話である。他の内容には体験談もあるようだが、「慰安婦」問題になると突然体験談よりも教条的な話が増えている。そしてその教条に合わせてこんな話をしている。



従軍慰安婦の人に話をさせるということで、かつて従軍慰安婦だったと称する人ですね。を、そうね、30人ぐらい集めたのかしら。2,30人。それでその中の二人が口こもごもにね、自分たちは17歳の時に日本軍のトラックに連れて行かれて天津に行って、それでもう口では言えない苦労をしたという話を綿々とするわけ。それから舌を噛み切って死んだ人もいるとか、まぁいわゆるお涙頂戴の話を延々としたわけですね。それで、これ後で分かったんですけど、この二人だけが本物で、後の方はなんかそうじゃなかったようなんですね。

 ほう・・・初耳だな。
「2人だけが本物で、後の28人は偽モノだ」とどうして分かったのか?
後学のために教えていただきたい。

この「2,30人」は、韓国の被害者だけで「2、30人」なのだろうか?





戦後のマスコミに私がもの凄く言いたいのはね、4つのことを避けて通るか、聖域にしたり、色々してると思うんですけど、ええ、一つはね、まず婦人運動。それから二つ目は官公労組。えーそれから、自治自治労って言うの?それから各自治体の職員組合(?)。この辺がね、悪が一杯あるのに、そのことについては、知ってても一切報道しませんね。だから、あのぉ、出来たんだと思いますよ。

 

こんな事も述べているが、確かに市川房枝のように、軍に協力して何の大義もない侵略戦争のための言論弾圧に加担していた女権論者の悪を糾弾しないのは、マスコミの問題と言えるだろう。http://www.fujishuppan.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2011/11/genronhokoku.pdf