河野談話と朝日の相次ぐ検証で顕わになった秦郁彦の扇動的妄説
朝日の検証記事はネトウヨ以外にはなかなかの評判である。言ってる事はおおむね正しい。
もちろん心のねじ曲がった右派が”いちゃもん”をつけるのは、想定内である。彼らの信じてきた”神話”の多くが粉砕されており、今後使い道が多い。
私としては、1992年1月11日の朝日の記事について、秦郁彦の書いていた「見て来たような話しのデタラメさ」が指摘されている部分を興味深く読ませていただいた。
8/5●「軍関与示す資料」 本紙報道前に政府も存在把握
〈疑問〉朝日新聞が1992年1月11日朝刊1面で報じた「慰安所 軍関与示す資料」の記事について、慰安婦問題を政治問題化するために、宮沢喜一首相が訪韓する直前のタイミングを狙った「意図的な報道」などという指摘があります。
この記事は、防衛庁防衛研究所図書館所蔵の公文書に、旧日本軍が戦時中、慰安所の設置や慰安婦の募集を監督、統制していたことや、現地の部隊が慰安所を設置するよう命じたことを示す文書があったとの内容だった。
慰安婦問題は90年以来、国会で繰り返し質問された。政府は「全く状況がつかめない状況」と答弁し、関与を認めなかった。朝日新聞の報道後、加藤紘一官房長官は「かつての日本の軍が関係していたことは否定できない」と表明。5日後の1月16日、宮沢首相は訪韓し、盧泰愚(ノテウ)大統領との首脳会談で「反省、謝罪という言葉を8回使った」(韓国側発表)。
文書は吉見義明・中央大教授が91年12月下旬、防衛研究所図書館で存在を確認し、面識があった朝日新聞の東京社会部記者(57)に概要を連絡した。記者は年末の記事化も検討したが、文書が手元になく、取材が足らないとして見送った。吉見教授は年末年始の休み明けの92年1月6日、図書館で別の文書も見つけ、記者に伝えた。記者は翌7日に図書館を訪れて文書を直接確認し、撮影。関係者や専門家に取材し、11日の紙面で掲載した。
政府の河野談話の作成過程の検証報告書によると、記者が図書館を訪れたのと同じ92年1月7日、軍関与を示す文書の存在が政府に報告されている。政府は91年12月以降、韓国側から「慰安婦問題が首相訪韓時に懸案化しないよう、事前に措置を講じるのが望ましい」と伝達され、関係省庁による調査を始めていた。
現代史家の秦郁彦氏は著書「慰安婦と戦場の性」で、この報道が首相訪韓直前の「奇襲」「不意打ち」だったと指摘。「情報を入手し、発表まで2週間以上も寝かされていたと推定される」と記している。一部新聞も、この報道が発端となり日韓間の外交問題に発展したと報じた。
しかし、記事が掲載されたのは、記者が詳しい情報を入手してから5日後だ。「国が関与を認めない中、軍の関与を示す資料の発見はニュースだと思い、取材してすぐ記事にした」と話す。また、政府は報道の前から文書の存在を把握し、慰安婦問題が訪韓時の懸案となる可能性についても対応を始めていた。(中略)
■読者のみなさまへ
記事は記者が情報の詳細を知った5日後に掲載され、宮沢首相の訪韓時期を狙ったわけではありません。政府は報道の前から資料の存在の報告を受けていました。韓国側からは91年12月以降、慰安婦問題が首相訪韓時に懸案化しないよう事前に措置を講じるのが望ましいと伝えられ、政府は検討を始めていました。
これについて秦郁彦は著書『慰安婦と戦場の性』P11~PP14で、この報道が首相訪韓直前の「朝日新聞の奇襲」「不意打ち」「キャンペーン報道の意図」「劇的な演出だったらしい」「情報を入手し、発表まで2週間以上も寝かされていたと推定」と書いて史料の価値を減じる努力をしている。こうした扇動的な書き方をしたため、その後右派は「朝日のこの報道が発端となり日韓間の外交問題に発展した」→「全て朝日が元凶」と妄想を展開したのだが、「不意打ち」でも「劇的演出」でもなかった事が判明したわけだ。
意図的でさえなく、政府は報道の前から文書の存在を把握し、検討していたのだと朝日は述べている。
ついでだから、少し付けくわえて解説しよう。
政府検証報告書『慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯~河野談話作成からアジア女性基金まで』~の<Ⅰ.河野談話の作成の経緯>の<1 宮澤総理訪韓に至るまでの日韓間のやりとり(~1992年1月) >に書かれている。
以下抜き出しておこう。
(1)既に同年 12 月の時点で,日本側における内々の検討においても,「できれば総理より,日本軍の関与を事実上是認し,反省と遺憾の意の表明を行って頂く方が適当」であり,また,「単に口頭の謝罪だけでは韓国世論が治まらない可能性」があるとして,慰安婦のための慰霊碑建立といった象徴的な措置をとることが選択肢に挙がっていた。(2)日本側は,1991 年 12 月に内閣外政審議室の調整の下,関係する可能性のある省庁において調査を開始した。1992 年 1 月 7 日には防衛研究所で軍の関与を示す文書が発見されたことが報告されている。その後,1 月 11 日にはこの文書について朝日新聞が報道したことを契機に,韓国国内における対日批判が過熱した。
つまり
A)朝日が報道する前から、日本政府は軍の関与史料の存在を把握しでいた。
B)この報道の前年の12月には、すでに単に口頭の謝罪だけでは韓国世論が治まらない可能性が指摘されていた。
「朝日のこの報道が発端となり日韓間の外交問題に発展した」のではなく、政府は発表前に史料を知っており(発表はなかったが)、さらに元々韓国世論が沸騰するのは予測されていたのである。朝日新聞の報道によって軍の関与は明白となり、世論が過熱したのは事実だろうが、決して「不意打ち」とは言えない。金学順さんが名乗り出て以来、元々火は燃え続けていたのである。それは人である限り、燃やし続けねばならない炎なのである。
秦郁彦は朝日が意図的なキャンペーンをした後「不意打ちを食った形であわてふためく当時の政府・・・」「慰安婦や慰安所についての基本的感覚に欠いていたので、反論はおろか、見当もつかないまま日韓呼応しての奇襲攻撃に屈してしまったと言えそうだ」などとその経過を表現しているが、こうした一つ一つの言葉が何ら実態を伴っていない。
これは、朝日に責任を押し付けるための一つのストーリーを造ってしまっている。まるで小説のようなものだろう。ストーリーは、「朝日の意図的な奇襲」→「劇的演出」→「韓国世論の沸騰」→「あわてる政府」→「対応ミス」→「慰安婦問題点火」→「河野談話」という流れになっている。こうして「慰安婦問題が始まったのだ」と言いたいらしい。以後右派論壇は、この捏造されたストーリーに添ってお話を造りあげて行くのだが、ストーリーの中でもう一つ重要な部分がある。それは吉見氏が発見・発表した史料をさも「常識的史料だ」と言わんばかりにその価値を下げすんでいる部分にも造り話が混入している事だ。
私はこの頃、他のテーマで防研図書館の通っていて、旧知の吉見氏から「発見」と「近く新聞に出る」話も聞いていたが、ニュースになるほどの材料かなあと疑問を持った記憶がある。その後一向に新聞に出ないので、どうしたのかなと思っていたところへ1月11日、くだんの大報道となったわけだ。
と秦郁彦は書いているが、これもまた何ら実体をもっていない。
確かに、顔ぐらいは知ってたかも知れないが、さほど親しくもなかった秦氏にもし会ったとしてもこんな事をわざわざ言う必要がどこにあるのだろうか?
秦郁彦ー造り話をしすぎである。
9月6日の読売の記事では クマラスワミ報告について、「『落第点』と言わざるを得ない内容だ」と上から目線の論評を加えている秦だが、こちらに言わせると「かれの著作である『慰安婦と戦場の性』自体が落第点と言わざるをえない内容」である。