河野談話を守る会のブログ2

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館雅子氏が22年前に書いた<亜細亜連帯会議参加記録>

            館雅子が92年に書いた<好意的参加記>と今年の<悪意に満ちた証言>
            の「乖離」が意味しているものは何か?


さて、ここで問題をおさらいしておこう。

① まず、産経新聞が5月25日の記事で「歴史戦」と銘打って 第2部 慰安婦問題の原点(5)「日本だけが悪」 周到な演出…平成4年「アジア連帯会議」という記事を掲載した。この記事は「高橋喜久江さん」や「アジア連帯会議」を中傷している。

② この記事が問題なのは、ただ館雅子氏の証言のみによって、様々な誤情報が書かれていることである。

③ そこで「第12回アジア連帯会議実行委員会」と「日本軍「慰安婦」問題解決全国行動」が合同で、産経新聞に「抗議+訂正要求書」を送った。

④ これに対して産経新聞から、9月18日に指摘された5点の内2点は認めるが他は「館雅子氏本人に確認して事実だ」という返事が来た。
そして産経新聞は19日に訂正文を掲載した。

⑤ しかし、その証言の信ぴょう性が問われているのに、本人に確認しただけだった、というのはいかなる姿勢だろうか?
例えば、

インドに住むタイ人女性が「日本軍さえたたけばいいのか。インドに来た英国兵はもっと悪いことをしたのに」と泣きながら訴えると、日本語の怒鳴り声が会場に響いた。
 「黙りなさい。余計なことをいうな!」
 舘はこのときの様子を「日本だけが悪いというストーリーを作り上げていた」と述懐する。


産経新聞は書いているが、これに対して「抗議・訂正要求書」では、「インド在住のタイ人は参加していない」「発言内容も違う」と当時に記録を基に述べている。
にもかかわらず、産経はこれを完全に無視し,<返答書>では「本人(館)に確認した」としている。

「館雅子氏がこう言ったから」と産経は言うのだが、その館氏の証言の信憑性が問われているのだから、当然他の人の証言なり当時の記録なりを照合する必要があるはずだが、そのような努力をしていない。

客観的に見ても館雅子氏の証言は多くの疑問点と誤謬が含まれている。

その信憑性について、さらにメスを入れてみよう。



          22年も前の大会の細部まで「記憶している」
        と言い張る館雅子氏の不思議な記憶能力?

人間の記憶というものは日々薄れて行くものである。たいていの人は一週間もすればどうでもいい事は忘れているし、記憶しておこうと努力しても、漏斗から水が漏れるように記憶は薄れ、断片的となり、やがて完全に他の記憶と溶け込んでしまう。
知っているはずの記憶もいくぶん変形すると心理学者は述べている。
年齢を経れば、さらにその傾向は強まる。都合の悪い事は忘れてしまう人もいる。子供の頃は、写真のような記憶力を持っていた私も40才すぎた辺りから物忘れが激しくなり、年ごとにそれは加速している。

自分が主催者でさえなく、ただ出席した大会の記憶なんて特に忘れてしまっている。5年も経てば、誰がどんな話をしたかなんてまるで思い出せない。かろうじて思い出せるのは、メモや日記にその大会の<参加記>を自分で書いている場合である。そのメモを読み返すとその記憶を呼び覚ます事ができる。

しかし、すでに70歳を超えても、22年の前の事を「記憶している」と主張している人がいる。

「よけいな事を言うな。」と怒鳴った人物が誰かをジャーナリストの館雅子は記憶している。
産経新聞5/25)
のだそうだ。

超人である。同じ大会に出席し、主催者サイドだった高橋喜久江さんに聞いたのだが、片鱗も覚えていなかったのに。

しかしその割には、館氏は「日本軍『慰安婦』問題行動ネットワーク」の名前は間違えるし、参加した直後に書いた<参加記>の存在さえ忘れているようだ。この<参加記>には前回の記事で述べた「亜細亜連帯会議」の正しい写真が掲載されているにも関わらず、間違って 「戦後補償・第一回口頭弁論」 の写真を出して来ているからである。


館雅子氏提供の産経(5月25日)の間違い写真
イメージ 2


もし館氏が自分の書いた<参加記>の存在を覚えていたなら、こんな間違った写真を出すわけがないのだ。
産経自身もこの写真の間違いを認めている。










 館雅子の書いた参加記録

1992年、「亜細亜連帯会議」に出席した館雅子氏は、帰国して<参加記>を「婦人有権者同盟」の機関紙に発表している。

クリックすると大きくなる。↓ (1992年の参加記録)
(館雅子氏は自分でもこうした<参加記>を書いていた事を忘れていたらしい。なぜならこの22年前の<参加記>には、「亜細亜会議」の正しい写真がちゃんと使われているからである)↓


イメージ 1


<内容>

韓国からのお二人の証言者である盧清子(ノ・チョンジャ)さんや金福童(キム・ボクトン)さんの話をそのまま掲載した後で、

どんな国でも過ちを犯すことは避けられないだろうが、日本が歴史的事実から逃げるか、向き合うか、戦後の冷戦構造の・・・戦後補償をなおざりにしたツケが今回ってきたのである。


・・と自分の結論を書いている。

どこにも、「亜細亜連帯会議」を非難、批判したりする様子は無い。それどころか、かなり好意的であり、むしろ感銘を受けた様子が分かる。

「1992年11月号」となっているので、第一回の亜細亜連帯会議に出席した年に発表された訳だ。

つまりはホッカホカの情報なのである。




      


        今年になってあわてて造ったらしい促成栽培証言との矛盾

それ以来、館氏は「亜細亜連帯会議」についてまったく何も書いていない。少なくとも調査した限り、どこにも存在していない。

ところが、22年も経て、急に↓のように語りはじめた。

もし、2014年になって言い始めた次のような話し が真実であるならば、「第一回亜細亜連帯会議」について上のような好意的な記事を書くわけがない。

「元慰安婦女性たちの振り付け」現場に「足を踏み入れたり」した後、証言しようとした被害者に「よけいな事は言うな!」と怒鳴ったりするような現場を見ておいて、<参加記>には何も書かず、「戦後補償をなおざりにしたツケが今回ってきたのである」などと書くのだろうか?

あるいは福島瑞穂がマイクの音声を切ったり、「それやめてー」とかいう醜態を見た後で、その事はまるで書かないで、「戦後補償をなおざりにしたツケが今回ってきたのである」と書いたわけだ。

あり得ない話である。


(産経新聞5月25日)


週刊新潮7/3)





















この会議に参加した舘は会場で迷い、ドアの開いていたある小さな部屋に足を踏み入れてしまった。そこでは、韓国の伝統衣装、チマ・チョゴリを着た4~5人の元慰安婦女性が1人ずつ立って、活動家とみられる日本人女性や韓国人女性の言葉を「オウム返し」に繰り返していた。
「元慰安婦に(シナリオ通りに)言わせるのは大変なのよね」
日本からの参加者がこう話すのを耳にしていた舘は、あの部屋で見たのは「元慰安婦女性たちの振り付けだ」と確信した。

 


 産経は早いとこ、謝罪し、全文訂正した方がよくないか?