【強姦」から見た大東亜戦争史】”マワし”が辛かったという慰安婦たちの話 (前半)
1、「マワし」とは集団強姦の事である
「マワす」という言葉は集団強姦を意味する隠語である。
悪霊たちはこういう風に使う。
「あの女、マワしちまおうぜ」
2003年に発覚した組織的集団強姦「スーパーフリー」事件の主犯である和田被告は、第56回公判で、明大サークルでも行われているから、「スーフリでもマワしをやりましょうよ」と提案されたことを陳述している。
「マワす」
現代でも生きている言葉である。
ところで、この言葉どこから生まれたのだろうか?
「廻しといって5人でも10人でも客のあり次第に廻して相手させる。年いたらぬ者にむりな勤めをさせ、色欲強請な大人の相手をさせ、病気も構わずせめ遣う・・・」
「マワし」は「集団強姦システム」に他ならない。
どの国にも「売春婦」はいた。最近そんな理屈を述べていた人たちがいた。
しかし大抵の国の自由売春では、おおむね一日に一人と相場が決まっていた。もちろん現代でも犯罪組織ガラミで売春させる場合には”廻し”がされる事もあるだろうが、日本軍は犯罪組織ではないだろう。いや犯罪組織みたいなものだったかも知れない。司馬遼太郎は「日本軍は匪賊のようなもの・・」と述べていたが、強盗、強姦・殺戮・・・たいていの事はやっていたからである。
それはともかく、後で出てくるが、我が国でも沖縄の辻遊郭のジュリたちは、一日に一人の相手をするのが伝統であった。ところが本土では「マワし」が蔓延していた。古代ローマ帝国の奴隷売春宿じゃあるまいし、日本の遊郭では明治以降もこの「集団強姦」が続いていたのである。
2、詰めかける軍人
しかし、それでも「慰安所」よりはましだったのだ。
慰安所はさらにひどく軍人がつめかけ、こんな感じだったのだという。
「扉の外にはまだ20人ほどが順番を待っていた。これはもう輪姦に等しい」・・・なのである。
慰安所には、軍人が詰めかけ、しばしばごったがえした。
「・・・ずらりと兵たちが列をつくって、順番を待っている」のだ。
こうしてたくさんの相手をしなければならない事に順応しようとした女性もいただろうし、場合によっては稼ぎの少ない女性には、罰として「暴力」や「食事抜き」などの報復がなされたかもしれない。現代の風俗産業でも、女性のノルマを稼し、売上を上げようとするのは日本ではよくある事である。
3、これは決して楽しい事ではなかった。できれば逃げ出したかったのである。
総山孝雄氏の『南海のあけぼの』には、募集して集めた女性たちを縛って、強姦するシーンが出て来る。ここで集められた女性たちは、元々売春婦であり、「英軍時代には一晩に一人ぐらいを相手にして自分も楽しんでいたらしい」・・という。
自由売春ではおおむねそんな感じになるのだが、慰安所ではそういうわけにはいかない。後から後から、兵隊が押し寄せて来るからだ。
そこで、嫌がっても縛りつけて強姦している。
『南海のあけぼの』
一九四二年
「軍司令部の後方係りが、早速住民の間に慰安婦を募集した。すると、今まで英軍を相手にしていた女性が次々と応募し、あっという間に予定数を越えて係員を驚かせた・・・・・トラックで慰安所へ輸送される時にも、行き交う日本兵に車上から華やかに手を振って愛嬌を振りまいていた。
・・・・(略)・・・・・
ところが慰安所へ着いてみると、彼女らが想像もしていなかった激務が待ち受けていた。昨年の一二月初めに仏印を発ってより、三ヵ月近くも溜りに溜った日本軍の兵士が、一度にどっと押し寄せてきたからである。・・・(中略)・・・英軍時代には一晩に一人ぐらいを相手にして自分も楽しんでいたらしい女性たちは、すっかり予想が狂って悲鳴を上げてしまった。四、五人すますと、
「もうだめです。体が続かない」
と前を押さえしゃがみ込んでしまった。それで係りの兵が「今日はこれまで」と仕切ろうとしたら、待っていた兵士たちが騒然と猛り立ち、殴り殺されそうな情勢になってしまった。恐れをなした係りの兵は、止むを得ず女性の手足を寝台に縛り付け、
「さあどうぞ」と戸をあけた。
「女性の手足を寝台に縛り付け」てやっておきながら慰安婦制度が「強制売春ではない」という意見が成立するとは到底思えないが、それはともかくもともと「英軍を相手」をしていた女性たちでさえ、4,5人で悲鳴をあげているという事実を注視しなければならない。
その際に以下のようなことが起こったと述べている。
日本人元慰安婦もこう述べている。
その頃(注:ミンダナオ島のタバオにいた時)は、現役の若い兵隊さんばかりで一日7、8人が限度、楽じゃないけど体を悪くすることはありませんでした。半年ぐらい働いて、 去年の10月末にこのラボウルに来たんです。ここでは、大きな部隊(38師団<名古屋>)の専属になって、とても忙しかったんです。毎日朝から12、3人もの兵隊さんの相手をさせられてお金にはなりましたけど、辛いんですよ。それで、辛いというと、「最前線の女は、一日30人もの相手をするのに、お前たちはなんだ」と叱られるのです。でも30人なんてとても、せいぜい
7,8人が限度で、20人が一週間も続けば、体を悪くする、というのだ。
アンボン島の主計将校の眼から見ると海軍経理学校補修学生第十期文集刊行委員会企画編集『滄溟』 1983所収312Pー[坂部康正氏の手記]坂部康正氏は、海軍第25特別根拠地隊司令部付きの主計将校1945
日本の兵隊さんとチンタ(恋人)になるのは彼等も喜ぶが、不特定多数の兵隊さんと強制収用された処で、いくら金や物がもらえるからと言って男をとらせられるのは喜ぶ筈がない。クラブで泣き叫ぶインドネシアの若い女性の声を私も何度も聞いて暗い気持ちになったものだ。果たして敗戦後、この事がオランダ軍にばれて、現住民裁判が行われたが、この計画者は既にアンボンに居らず、それらの女性をひっぱった現地住民の警官達がやり玉に上って処罰された程度で終ってしまった。彼女達が知っているのはひっぱった警官だけで、この事件の真相は闇に沈んだ。
不特定多数の相手をさせられて泣き叫ぶ声がしていたというのだ。
嫌々ながら、やらされていたのである。あたりまえだ。たいていの女性にとっては10人も相手にするのはそれだけで苦しい事だったのだ。
(つづく)