河野談話を守る会のブログ2

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えー、あの人昔はこんなまともな文章を書いてたんですか?


        あの人、こんなまともな文章を書いてたんですか?


下の文章だが、誰が書いたか、解るだろうか?

「繰り返すが、人身売買による強制売春であっても人権が著しく侵されいることには変わりはなく・・・・」

と書いている。

「強制売春」という言葉に注目である。

イメージ 1





























(P309)                       (P308)


掲載されたのは文芸春秋1992年4月号である。

書いたのは、西岡力だ。

えー?という声があがりそうだ。

実際に「慰安婦」問題で時たま会うNGOのご婦人に、このプリントコピーを見せると眼を丸くしてこう言った。

「あの、西岡さんて、こんなまともな文章を書いてたんですか?」

驚くのも無理は無い。

ここ10数年間で、西岡力が書いたものの中には、「人身売買による強制売春の被害者」などという表現で、慰安婦を現したものなど一つも無いからである。たいていは「吉田清治は嘘つきだ」「強制連行は無かった」の一点張りの主張をするだけである。

しかし、昔はもう少しましな「慰安婦」理解をしていたのである。

少し事情を説明しておこう。

1994,5年までは、産経新聞も読売新聞もその他の商業雑誌も、「反日」「国賊」などの戦前の用語が踊ることもなく、今よりかなりまともだった。先日伝えた『人権考』のように、産経新聞でさえ、まだ「歴史戦」を煽ろうという意図もなく、「慰安婦」にはむしろ、同情的な記事を書いていた。http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64706957.html

しかし、96年から97年に掛けて、右派論壇に何かが憑いたのである。


                  96,7年

96年ごろ、自由主義史観研究会をつくっていた藤岡信勝元朝総督府の役人だった大師堂経慰、それに長年教科書攻撃の先兵だった上杉千年、ジャーナリストの桜井よしこらが「強制連行」をしきりに攻撃していた。

河野談話に書かれているのは「強制」だったが、これを書かれてもいない「強制連行」に置き換えてから攻撃するという詭弁のやり方を誰が発明したのか?は知らないが、国会では、97年1月30日の片山虎之助議員質疑が最初だろう。http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/63640198.html

右翼団体である「日本を守る国民会議」(座長は当時;黛敏郎)は1996年、9月7日、『中学教科書から「従軍慰安婦の削除を求める全国民の声を盛り上げよう!』という提言を発表し全国キャラバンを始め、やがて日本会議」が造られる。同時期、産経新聞は歴史戦をあおりはじめ、やがて右派論壇が集まって『新しい歴史教科書をつくる会』が発足した。

明らかに、この時期、スイッチが一つ入ったのだが、そのスイッチの一つは「吉田清治は嘘」→「強制連行は無かった」→「だから河野談話は撤回せよ」というデタラメな理屈だったのである。

右派にこうした流れができると西岡力もその流れに乗り、静かにスライドし始めた。
98年の『闇に挑む』でも「強制売春」などという言葉はもう使っていない。それはそうだろう。

慰安婦人身売買による強制売春だった。
だけど吉田清治はウソで、強制連行は無かったので
河野談話の「強制」は間違いである」

とはどんな厚顔な人でも言えないからだ。

西岡力がどんな風に意見をスライドさせているか?今後、時間があれば調査してみよう。

それにしても西岡力は朝日攻撃の先鋒であり、「頬っかぶりした・・」とか何とか書いていたが、自分が昔の説をスライドさせてりゃ世話がない。