【読売新聞の「慰安婦」論説が統合失調症な理由】 読売はこの記事も取り消すのだろうか?「公娼制度は一種の奴隷制度にも類する」とか書いているが。
●読売新聞はこの記事も取り消すのだろうか?「公娼制度は一種の奴隷制度にも類する」とか書いているが。
つい先日の朝日新聞攻撃の中で読売新聞取材班は、秦郁彦説を取り入れて、「・・・・秦氏は慰安婦について、戦前日本に定着していた公娼制度の戦地版と位置づけるべきだ・・・」(2007、3・24「読売」)と書いていた(読売新聞取材班 『慰安婦問題世界の声、日本の声』p84)。
「集娼制度の内容は、一種の奴隷制度」なのである。
おやおや。
なるほど「見られている」ことを書いているだけだから、”自社の主張じゃない”という言い訳も可能だが、読売新聞取材班は、『慰安婦問題世界の声、日本の声』のp84で、「公娼として身売りされた女性たちは、親に支払われた前借金の返済がすむまでは、売春業者の管理下に置かれ、外出や廃業の自由がなかった。
慰安婦についてもこうした身売りのケースが少なくなかったようだ。」
とも書いている。
すると普通に論理を積み上げていけば、
「公娼制度は(外出や廃業の自由がない身売りで)一種の奴隷制度にも類する」+「慰安婦制度は戦前日本に定着していた公娼制度の戦地版」=「慰安婦制度は奴隷制度」
になってしかるべき。
もちろん、実際には慰安婦制度は単に「公娼制度の戦地版」ではなく、自発的な自由売春であることを(形だけだが)証明するシステムが継承されていないという意味で、より強力な強制的性格を伴う性奴隷制度だったといえるわけだが、たとえそういう事実を読売が認めなくても、自分たちが知っている事実を積み重ねていくだけで、「慰安婦制度は奴隷制度」であるという結論に到達しうるはずである。
それとも、つい先日海外版での「性奴隷」表記を取り消し、謝罪したように、この記事も取り消し、謝罪するのだろうか?
読売新聞取材班の主張は矛盾点が多すぎる。
おやおや。
なるほど「見られている」ことを書いているだけだから、”自社の主張じゃない”という言い訳も可能だが、読売新聞取材班は、『慰安婦問題世界の声、日本の声』のp84で、「公娼として身売りされた女性たちは、親に支払われた前借金の返済がすむまでは、売春業者の管理下に置かれ、外出や廃業の自由がなかった。
慰安婦についてもこうした身売りのケースが少なくなかったようだ。」
とも書いている。
すると普通に論理を積み上げていけば、
「公娼制度は(外出や廃業の自由がない身売りで)一種の奴隷制度にも類する」+「慰安婦制度は戦前日本に定着していた公娼制度の戦地版」=「慰安婦制度は奴隷制度」
になってしかるべき。
もちろん、実際には慰安婦制度は単に「公娼制度の戦地版」ではなく、自発的な自由売春であることを(形だけだが)証明するシステムが継承されていないという意味で、より強力な強制的性格を伴う性奴隷制度だったといえるわけだが、たとえそういう事実を読売が認めなくても、自分たちが知っている事実を積み重ねていくだけで、「慰安婦制度は奴隷制度」であるという結論に到達しうるはずである。
それとも、つい先日海外版での「性奴隷」表記を取り消し、謝罪したように、この記事も取り消し、謝罪するのだろうか?
読売新聞取材班の主張は矛盾点が多すぎる。
引用している秦郁彦説自体が矛盾しまくっているので、矛盾の多い論説になってしまうのである。
内務当局に於いては、いよいよ公娼制度廃止の方針を取ることになり、すでに大体の腹案も出来上がったということである。明治初年以来、各方面から叫ばれた廃娼運動も伝統(習慣)*1等の障壁に遮られて、解放甚だ困難と見られていたが、当局のこの一大決定によって、近く実現の運びに至るだろうと伝えられることは、まことに結構なことである。特にわが国の公娼制度は、甚だしく時代錯誤的なものであるばかりか、現に行われている集娼制度の内容は、一種の奴隷制度にも類すると見られているものである。社会的道徳的に見て、適当の機会に於いて之が全廃を計るべきはいうまでもないことであって、国家がこれを正業と認めて公許し居ること自体に甚だしき矛盾があるのである。数百年来伝承して今日に至ったこの制度を、急速に改めることの困難はいうまでもない話であるが、近来業者自体に於いて家業継続の非を悟り、自然衰退の傾向を辿りつつある際、この機運を利用してその絶滅に努力することは時期的に見ても当を得たものと思う。
(後略)
※漢字と仮名遣いは現代風に改めた。
「性奴隷」表記を取り消し、謝罪した以上、「公娼制度=奴隷制」でないことが前提である。すると80年前のこの記事も、またつい先日の朝日新聞攻撃報道のなかにも、取り消さなければならない記事が多いはずである。
どうするんだろうね~?読売は。