河野談話を守る会のブログ2

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熊谷奈緒子『慰安婦問題』についての感想



慰安婦」問題をめぐる報道を再検証する会 による読書感想会が開かれ、熊谷奈緒子さんの慰安婦問題』に辛辣な意見が続出している。

http://readingcw.blogspot.jp/2015/01/blog-post_27.html

自分の立場を「右でも左でもなく中立」ないしは「主観的でなく客観的」・・・などとしているのは、この熊谷さんだけではなく、朴裕河さんもそうだが、それ以前に1999年の秦郁彦氏の慰安婦と戦場の性』にも共通している。

慰安婦と戦場の性』は、極めて主観的な著作物だったが、「執筆にあたっては一切の情緒論や政策論を排した」「個人的な感慨や提言も加えなかった」「事実と虚心に向き合う」と<あとがき>に書いている。

http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64321092.html


私が思うに、こうした人たちに共通するのは、「自己愛」の強さだ。

フェイスブックネトウヨに取り囲まれ、”イイネ”賛美を受けることを好み、批判に嘘を返したり、すぐに切れて顔を真っ赤にする安部首相に関しては、”自己愛性人格障害の疑いがある”と「日刊現代」が心理学者のコメントを載せていた。http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/155254 (2014年11月27日 日刊ゲンダイ

「自己愛」によって歪んだ世界像ができあがっているのだろう。だから、創る妄想がすべて自己愛に満ちてしまうのだ。

桜井よしこさんが、福島瑞穂さん関係で話をねつ造した時に、そこにも強い自己愛妄想が述べられていた。
http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64317277.html

そのあたりに彼らの共通点がある。

熊谷さんの本に関しては、さらに

●日本軍「慰安婦」制度については、第一章で簡単に扱われているのに対し、他国の制度について細かく述べる第二章は長い。さらに、アジア女性基金に関する章が非常に長いという構成から、本書が何に力点をおいているかがよくわかる。

●いろいろな人たちによる言説を寄せ集めた構成になっており、一次資料に基づく独自の文献調査や聞き取り調査に基づいたものではない

秦郁彦の影響(朴裕河にも共通)

●事実関係で断定できないと思われることに関して、断定している(朴裕河にも共通)

●初歩的な間違い

ジェンダー視点を取り入れた?

●「自由意思」という言葉

●「さらなる研究」で誤摩化し


●どのような立場の人が読んでも都合よく解釈できてしまうように見える朴裕河にも共通)

大沼保昭に依拠して、アジア女性基金を高く評価し、支持する側にたった論考を展開朴裕河にも共通)

●支援者に臆したから主張できなかったという印象操作朴裕河にも共通)

●支援運動側に被害者らが従ったという誤解朴裕河にも共通)

●日本の右派の動きを過小評価している朴裕河にも共通)
歴史修正主義や右派の動きに関する言及、分析、批判はきわめて弱い。朴裕河にも共通)

●「国家の意思による強制連行の有無」に自然と集中した」(138)とする右派擁護

●韓国分析に一貫性がない

●在米日本人が中心の運動をあたかも「日系アメリカ人」の運動と誤解を招く表現で記述

●元「慰安婦」たちの証言はほとんど参照しないにもかかわらず「あとがき」において、著者は「私は常に慰安婦問題を、観念論に終わらせず、元慰安婦のエピソードのみにも終わらせないことを自らの課題とし続けてきた」(228)と秦みたいなことを述べる

北岡伸一に謝辞

オーラルヒストリーの重要性を指摘(153)しながら、その理念を実践していない

●先行研究の成果(特に永井和論文の成果)が無視されており、幅広く全体を見ていない。http://readingcw.blogspot.jp/2015/01/blog-post_31.html

などが指摘されている。


実は最近のネトウヨの中には、「自分は右にも左にも偏らない」と言い張る人がいる。(例えば twitter.com/kaminoishi )

そういうところにも共通点があるなと感じた。