河野談話を守る会のブログ2

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朝日新聞が飛びついた「朴裕河現象」を考える


最近HUFFINGTONが、朴裕河をお気に入りらしく、何度か記事にしている。


 に続いて、下の記事だ。

THE HUFFINGTON POST 日本語版2015年01月06日 


この質疑の中で朴裕河さんは、、

「構造的には敵対的共犯」
「売春差別への意識への自覚」
「同志的関係」
・・・・・などの意味がわかるような分からないような言葉を多発しているので記録しておくことにした。「売春差別への意識への自覚」とは一体何のことか? 前後にろくな説明もないこうした言葉はカルト言語に似ている。本人に聞いた人もいたが、答えようとしていなかった。

我々は通常、対話をするさいには、相手にできるだけ分かりやすい言葉で伝えることを心がける。それが対話の目的だからだ。自分が言いたいことが相手に伝わらなければ意味がない。

では、できるだけ相手に分からない言葉を使おうとするのはどういう時だろうか?

それは
①相手を煙に巻きたい時
②難しい用語を使用することで、自分の権威を拡大できると考える場合
③批判から逃れたい時

などだろう。

では朴裕河さんは、どれだろうか?

おそらくは③だろうと思う。
批判が耐えられなくなっているのだろう。
ツイッターフェイスブックをしている彼女はここ2年間、その著作をめぐってネトウヨや私たちの批判にさらされてきた。ネトウヨのしつこさは我々のよく知るところである。


そこで多少の批判を浴びたわけだ。 たとえばこういう奴である。

一部のネトウヨネトウヨで彼女の主張が気に入らないし、我々は我々で彼女の著作の理屈のデタラメさに辟易としている。調停者のつもりかも知れないが、まるで”こうもりさんのお話”を思い出す。蝙蝠さんは鳥でもなく獣でもないので、どちらからも仲間として見られない・・・という話である。

朝日新聞的には好みなのかもしれないが、いろんな欠点をもつ主張であると思う。


一方では彼女の著作を評価するネトウヨも多いわけだが、こうした批判ないしは非難に耐えられなくなっているのではないかと思う。

なぜ「批判から逃れたい時」説明のない言葉を多発するかというとそういう言葉なら、言い逃れが比較的簡単だからである。批判されても「いいえ、私はその言葉をそんな意味で使っていません。」という言い逃れができる。

政治家が「うーあー」しか言わなかったり、わけのわからない言い逃れをするのとよく似ている。

ツイッターで「同志的関係」の意味を問われた朴裕河さんはこう答えている。

「同志的関係」とは、「日本人として動員された」と言う意味です。

 やれやれ・・・これが何かを説明しているといいたいのか?そしてこれは昔小林よしのりが唱えていたようなことである。

「当時は、日本に併合されていた」から「同じ国」で、だから「同志なんだ」と言いたいのだろうか?

だから何だろう?

たとえ親しい関係にある兵士と慰安婦がいたとしても、それが慰安所制度を説明するものではないからである。

たとえば、アメリカの黒人奴隷の中に白人と親しい人がいたとしても、それは米国の奴隷制度の害悪を説明してもいないし、打ち消してもいないのである。


 



THE HUFFINGTON POST 日本語版2015年01月06日 

慰安婦問題から「日韓ともに売春差別への自覚を」 朴裕河教授に聞く


2014年は、慰安婦問題で日韓関係が再び大きく揺れた年だった。1990年代に外交問題に浮上した慰安婦問題は、20年以上たっても解決の兆しを見せず、日韓両国民の相互の感情は悪化している。2015年は日韓国交正常化50年。節目の年に、もつれた日韓の糸を解くことは可能なのだろうか。
朴裕河(パク・ユハ)世宗大学教授は、2013年に韓国で「帝国の慰安婦」を出版し、「連行された無垢な少女」だけでも「自発的な売春婦」だけでもない、多様な慰安婦の声に耳を傾けるべきだと訴えた。韓国の慰安婦支援団体から刑事告訴されてもいる。日本語版朝日新聞出版刊)が2014年11月に発売され、年末に来日した朴氏に聞いた。
朴裕河教授のブログから】
「戦闘を前に恐いと言って泣く軍人もいた。そういう時私は、必ず生きて帰ってと
慰めたりもした。そしてほんとうに生きて帰ると、嬉しく思って喜んだ。そういう人
たちの中にはなじみになる人も多かった。」(「帝国の慰安婦」p.80より、元慰安
婦の証言)

朝鮮人慰安婦と日本軍兵士は、双方とも、戦争のための国民動員という国家
システムの中で動かされた将棋の駒だった。(p.100より)
――「帝国の慰安婦」では、多くの元慰安婦の証言が取り上げられていますが、いずれも日韓で語られてきた「慰安婦像」とはだいぶ違います。キーワードとなるのが「同志的関係」という言葉、つまり戦地において、日本人として日本の戦争遂行を自発的に支えさせられたという指摘です。この本を巡り、韓国では元慰安婦の支援団体から「元慰安婦の名誉を毀損している」として刑事告訴されました。
ある元慰安婦は私に対し日本語で「慰安婦は兵隊をお世話する者」という表現を使っていました。慰安婦問題のいちばん難しいことは、その実態や年齢、動員形態や置かれた環境が戦地によっても、時代によっても多様で、必ずしも「20万人の少女が連行され売春を強要された」のような一言では捉えきれないこと。ところがこれが国家間の政治問題になり、一つの解決策を考えないといけない状況になりました。それ自体が矛盾で、その矛盾を受け止める、という姿勢が必要です。
「同志的関係」は、まずオランダなどとの違い、つまり「日本人」として動員されたという表面的な事実を指摘するための表現です。もう一つは、韓国で植民地時代に日本支配に協力した人がいたという、あまりにも公然の事実。誰もが知っているが、誰もが意識から排除していて、慰安婦問題でもそれを念頭に置くことが難しくなっています。私は別に慰安婦や業者が持つ協力性を糾弾したいわけではなく、「(日本支配に協力)させられた」というところにポイントを置いているのですが、韓国では「慰安婦は100%被害者」という認識が定着してしまっているので、受け入れられにくい状況です。
たとえば、韓国でBC級戦犯は長い間「親日派」と呼ばれ、生き残った人も長らく韓国に帰れなかった。それが「被害者」として認定されたのは2006年、まだ10年たちません。慰安婦も「軍人のそばにいた人」なので、そうした構図から考えられるべき存在です。もちろん、だからいって彼らの間にあった違いや位階が無視されていいわけではありません。
「(慰安所の)主人は韓国の人だった。ほとんど日本人みたいに見えたけど、軍
服を着てて、日本語が上手だった。初めは韓国人だとも知らなかったよ。そこの
女たちが「あの人が悪い人だよ。あの人の気に入るようにしないとだめ。でないと、
お金もくれないで働かせるばかりだよ」と言ってた。」(「帝国の慰安婦」p.102より 
慰安婦の証言)

業者の責任はこれまでほとんど問われることがなかった。もちろん、慰安婦までが
軍隊化している慰安所の実態を、業者の責任にのみ帰するわけにもいかない。
(中略)<忠良なる臣民>化した結果として加害者となった人々の責任をどこま
で問えるかの問題でもあって、簡単に裁断できる問題ではない。(p.111-112より)
――本で書かれていた朝鮮人や日本人の「業者」も、重要な役割を果たした存在のはずなのに、名乗り出たのを見たことがありません。90年代は一定数が存命だったはずなので、もう少し記録や証言が残っていてもよかったと思うのですが。
私は以前の著書「和解のために」でも業者のことを書きました。今回、改めて業者について触れたのは、業者の存在に注目したり糾弾したりするためというより、「法的責任」ばかりが問われているので、それがまずどこに求められるかを説明するためでした。ところが日本でも、日本人業者には触れず、朝鮮人業者のことだけが大げさに受け止められている感じですね。
でも日本の軍人が告白するように、韓国の業者も名乗り出てくれればよかったと思う。慰安所管理人だった朝鮮人男性の日記が2013年に発刊されました。日記というより、管理業務報告に近く、個人的な心情などはあまり書かれていませんでした。彼は1910年生まれなので、もう生きていないでしょう。実は、植民地支配への協力者をどう受け止めるか、本人たちがどう発話するかという難しい問題でもあるのです。
安易には言えませんが、「私は親日派だった」という、過去の偉い人たちの涙の告白はあっても、一般人の協力者はあまり注目されたことがないから、名乗り出る必要がなかったということは言えます。ただ、業者にも何らかの言い分があると思うんです。いわば「国家のために」やったわけですから。これは国家の暴力というべきでしょう。命さえも捧げるのが当たり前だった時代ですから。本当に抵抗した人もいますが、そういう形の分裂を強いられたのが植民地の矛盾なのです。
――日本では逆に「慰安婦はすべて自発的な売春婦だった」と極論を言う人もいます。日本では強制連行の有無自体が大きな論点になっており、有無自体にこだわるあまり、そういうフィクションを作り上げざるをえなくなっている状況ではないかと思います。
それはあるでしょう。ただ、ある程度の事実を突き止めることは必要ですが、それ自体にこだわるべきではないでしょう。今後、政治家の決断で状況が大きく変わることもあるかもしれませんが、それだけではたぶんうまくいかない。20年以上、この問題の解決のための運動につぎ込まれたお金も大変な額と思います。何かを生み出してほしい。それは売春差別への意識への自覚だと思います。
いくらかの補償金を与えただけでは、元慰安婦の生活は多少安定するかもしれませんが、根本的な差別は変わらない。家族にそうした人がいることに堂々としていられる人も少ないのが実情です。そこが変わらない限り、彼女たちの「解放」も得られないのです。
「売春婦」と主張する人たちも、「無垢な少女が連行された」と主張する人たちも、構造的には敵対的共犯といえます。この20年、何があったのか、何を生み出したのか。いきなり政治的決断ではなく、時間をかけてここ20年間それぞれの場で何があったのかを振り返りながら、みんなで考えていくことが必要じゃないかと思います。そうでないとこれまでの葛藤ばかりの20年がもったいない。メディアの役割を大いに期待したい。
――日本で慰安婦問題は岐路に立っています。安倍政権の河野談話再検証や朝日新聞の記事取り消しで、否定派が勢いづく結果となっています。
韓国では「日本の右傾化」と言って済ませているけど、10年ほど前の漫画「嫌韓流」にすでに韓国への反感はありましたし、もっと遡れば90年代初頭から慰安婦問題への異議申し立てはありました。そこにうまく対応できていない結果と考えています。あの頃からきちんと受け止めて議論すればよかった。ヘイトスピーチの問題でもそうですが、根っからの人種差別主義者や朝鮮嫌いではない、情報に動かされている周囲の人たちには期待したいと思います。
――元慰安婦も高齢になり、存命の方も約50人。存命のうちに救済する枠組みをつくれればいいのですが、支援運動の人たちはどこかそういう人たちを置き去りにしているようにも見えます。
慰安婦問題に関わった人たちはみんな、よかれと思ってやってると思います。しかし結果としてこんなことになってしまい、韓国と日本がお互いのせいにしている。その結果、お互いへの悪感情まで広まってしまった。そうしたことへの自覚と責任意識は必要です。これまで関わってきた人は言うまでもなく、そうでなかった学者、メディア、一般市民が、何をすべきか考えはじめるべきです。これまでの運動に関わった以外の人たちが加われば、私は可能だと思います。たとえば韓国の場合、元慰安婦の支援運動で中心的な役割を果たしている「挺身隊問題対策協議会」(挺対協)自体が強いというより、ここが発している情報しかメディアと国民が知らないのが問題なのです。そうでない流れもわずかですが出始めています。
――慰安婦問題で合意を導き出すため、日韓両政府で、慰安婦問題を議論する有識者を加えた「協議体」の設立、そして慰安婦問題についての「国会決議」を提案していますね。
2015年の日韓国交正常化50年に向けて、何かやりたいという思いがあります。日韓の局長級協議で慰安婦問題が議題に上りましたが、密室でやっているでしょう。日韓歴史共同研究のように、日本なら吉見義明さんや秦郁彦さんのような、対立する意見の人を入れて、みんなで議論する空間が必要です。ただし、メディアや一般市民の「聞く人たち」も必要。それが合意を導く過程になれればいい。メディアも月一回、半年ぐらい特集すれば、ある程度の概略を伝えられるでしょう。
国会決議も、すぐには難しいと思います。まず1990年代のやり直し。そして世界の日本批判決議への批判的応答。さらにこれまでの「戦後日本」を支えてきた認識の作り直し。この3つの意味があります。1990年代は日本人の中にも一般的に謝罪の気持ちがあった。それを国民の代表である国会がもう一回、代表して行うことの必要性です。そしてアメリカや韓国など、各地で出ている日本批判の決議に応答して、言うべきことは言う。「帝国日本」を経た共同体の一つの落ち着く場所として、望みたいところです。
過去に首相や天皇による謝罪発言などはありました。私はアジア女性基金での日本政府の役割を評価しています。今度は国民(国会)が主体的に、過去に対してどう思っているのか、明確に表明すべきと考えます。
日韓関係とは、相対的なものです。韓国人から「あなたの意見は正しいと思うけど、今の日本があんな感じでは賛成できない」と言われることがよくあります。「あんな感じ」とは何かと尋ねると、正しかったり、正しくなかったり。日韓で戦争ということには今のところならないだろうけど、「韓国と断交せよ」という意見まで出てきて、国家のリーダーが影響を受けないとは限らない。いずれにしても、戦争であれ日常的葛藤であれ、そういう状態で被害を受けるのは国民です。今のうちにリセットしなければいけないと思います。
ここ10年、対立している両極端の人が流す情報、悪感情をかなりの人が共有し、深い溝ができてしまった。それと少し異なることを考える人は立つ瀬がない状況です。そうした状況を変えてこの中間部分を広げ、そこにいる人たちがしっかり自分自身で考えられる状況をつくることが大事です。