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日韓協定で紛糾した歴史問題(1)

1957年12月。岸信介総理の時代に日本は「久保田発言と逆請求権主張」を撤回することで、日韓協定は次の段階に入ったのだが、まず紛糾した歴史問題を見てみよう。
 
1953年から12年間にわたって日韓基本条約成立までの交渉過程があった。その初期に日本側が交渉の中で主張していたのは、「日本にも対韓請求権がある」ということだった。日本側首席代表の久保田貫一郎・外務省参与はこう述べている。

久保田  「日本側としては、日本にも対韓請求権があるという主張を堅持している。 しかし譲歩して接近する余地はある。 あなた方には請求権があって、私たちにはないということは困る。」  http://blog.naver.com/cms1530/10003649286

         これは個人の請求権の話ではない。「国家として請求
         するよ」と言うことなのだろう。
 
これに対して、韓国の홍진기は、こう答えた。
 
홍진기  「韓国の国会では水原の虐殺事件、韓日合併条約直後の虐殺事件、または、36年間の統治の間治安維持法で投獄、死亡した点などに対する請求権を出さなければならない。 また、朝鮮米を世界市場より不当に安い値段で日本から持っていった。 その価格の返還を要求しろとの意見もある。 日本としてはこの程度で妥協した方が良いということではないのか。 私たちは日本がこのような請求権を出すとは思わなかった。 私たちは純法律的な請求権だけを出して、政治的色彩があるのは止めた。 それでも日本側が36年間の蓄積を回してくれと言うならば、韓国側としても36年間の被害を補償しろというしかない。 」

そこで久保田は  「韓国側で国会の意見があるといってそういう請求権を出すならば、日本としても朝鮮の鉄道や港湾を作って、農地を作って、大蔵省が当時多くの年は2千万円も出した。 これを回してほしいと主張して韓国側の請求権と相殺すれば良くないだろうか。」 と述べている。

ここで会談は紛糾している。

홍진기 「:あなたは、日本人がこなかったとすれば韓国人は寝るだけしていたという前提で話している。 日本人がこなかったなら、私たちはさらに発展していたかも知れない。」

久保田 「良くなったかも分らないが悪くなったかも分らない。 今から話すのは記録しないでいただきたい。 私見として話すが、私が外交史を研究したところ当時日本が行かなかったとすれば中国やロシアが植民地にしただろう」 

장경근 「千万円や2千万円の補助は韓国人のために出したことでなく日本人のために出したことなのでその金で警察署や刑務所を作った。 」

유태하 「久保田さん、そのような話をしはじめれば話にならないだろう。 日本側が昔のことは申し訳ないという気持ちで話す態度は無いのか」 

           これは安倍の得意の「未来志向」発言みたいな↓

久保田  「互いに将来のことを考えてしたい。 法律的な請求権問題で話を進めたい。 」

홍진기  「法律的といっても、当時日本人の財産が韓国人と同等な立場で蓄積されたと考えるのか。 」

久保田  「詳しいことをいうには限りがない。 ただし36年間ということは資本主義経済機構下で平等に扱われたのだ。 時代を考えることを望む。 」

홍진기  「何のためにカイロ宣言に'朝鮮人民の奴隷状態'という言葉が使われているということなのか。 」

久保田  「私見だがそれは戦争中の興奮した心理状態で作成されたことで、私は奴隷だと思わない。 」

홍진기  「日本が財産を増やしたことは投資や運営能力が良かったためだと考えるのか。 日本人が土地を買ったことは東洋拓殖株式会社などが総督府の政策で生きたことであって機会均等ではなかった。 」

        総督府において日本人が高級官僚を独占し、警察署長
        や道警務部長には朝鮮人を登用しないという不文律があった。
       小磯国昭『葛山鴻爪』p757)
       (『日本の植民地支配 肯定賛美論を検証する』p16)

         また、朝鮮人の給料は、日本人の半分が相場だった。
       (『日本の植民地支配 肯定賛美論を検証する』p16~19)
       (朝鮮人強制連行真相調査団『強制連行された朝鮮人の証言』p12、)
               (陳昌鉉著『海峡を渡るバイオリン』2002p69~72)

久保田 「日本のためにだけではない。 朝鮮の経済にも役に立っただろう。 」

 
              この発言の撤回を韓国側は求めたが、久保田が
              拒否することにより、交渉は決裂した。

10月15日に開いた第3次韓日会談財産請求権分科委員会第2回会合は、首席代表久保田貫一郎がこのように発言して韓国側から批判を受けたが、岡崎勝男外相は「当然のことを当然に話しただけだ。」と擁護した。

ビョン・ヨンテ外相は「韓国を侮辱する発言をおおっぴらにするのは彼ら日本人が韓国に対する侵略根性をまだ清算しなかったためだ。」と批判した。

韓国代表団は久保田発言が会談の基本精神を忘却し、妄言したとした。そして他の分科委員会出席を拒否すると同時に金溶植首席代表は10月20~21日第3,4次本会議で彼の発言を5項目で整理して釈明を要求した。

しかし久保田は「自身の発言を撤回する意志ない」と明らかにして3次会談は決裂してしまった。 

やがて、
1957年12月。岸信介総理の時代に日本は「久保田発言と逆請求権主張」を撤回した。こうして交渉は次の段階に入っていくのである。最終的に造られた日韓条約からすると、歴史問題での紛糾を避けた様子が分かる。そして日本政府は「賠償」という文言が一言も入っていない日韓協定で「賠償は終わった」とその後、詭弁を使うようになったのである。