河野談話を守る会のブログ2

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「自分は右でも左でもない」という妄想・・・



人間が自分自身を客観的にみるのはなかなか難しいものだ。

極めて主観的な本を書きながら、彼らの主観では「自分は右でも左でもない」「自分は客観的だ」?



        小林よしのり『新ゴーマニズム宣言第3巻



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p70






























恐ろしいほど偏っているが、「自分は右でも左でもない」という自己認識なのである。




             秦郁彦慰安婦と戦場の性』

「執筆に当たっては一切の情緒論や政策論を排した。個人的な感慨や提言も加えなかった。事実と虚心に向き合うにはそうするしかないと考えたからだ。」
秦郁彦慰安婦と戦場の性』p429~430あとがき)

これについてはすでに批判済み



        熊谷奈緒慰安婦問題』

慰安婦問題を、主観的かつ表層的、一面的に捉えることなく、客観的かつ多面的に理解することの必要性を訴えたい」
熊谷奈緒慰安婦問題』p22)

 
と述べ、自らの立場は客観的であると主張している。



また、この本の帯には

「特定の立場によらない、真の和解を目指してー冷静な議論のためにいま何が必要か?」


とも書かれている。

しかし、到底「客観的である」とは言えないだろう。