検証・朴裕河 『帝国の慰安婦』 ②先行研究の無視
吉見義明の先行研究をまったく考慮していない朴裕河
2、研究論文を読んだフリをする
朴裕河が吉見の著作を読んでいない・・・またはまったく考慮していない証拠をもう一つあげておこう。
この吉見の著作には「制度運用の主体」という項目があり、そこで吉見は「慰安婦」制度運用の主体は軍なのか、軍に選抜された業者なのか、という問題をかなり事細かく論じている。
掲載しよう。
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<以下省略>
慰安所が、軍の計画の中で造られたことがよく分かる。
これについては、当ブログでもいくつかの一次史料を考察している。
http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64541872.html http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64468598.html http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64468613.html
第2に慰安所は軍の後方施設(兵站付属施設)として造られた。その法的な根拠として1937年9月29日に出された陸達第47号「野戦酒保規定改正」がある。http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html
朴裕河はこんなことを書いている。
「慰安所は、強姦対策などのために軍の後方施設(兵站付属施設)として造られた」「慰安所の創設、維持、運用、管理の主体が軍であり、業者が使われることがあっても副次的な役割であり、もし業者が犯罪(国外移送罪など)を犯していたら、それを防がなかった軍には重大な責任がある。」
岡村寧次大将資料はなぜ無視しているのだろうか?
さらに朴裕河はこう書く。
性病防止などが慰安所を造った第一の理由に考えられているが、それはむしろ付随的な理由と考えられる。(p31)
あて推量というしかない
そこで「付随的でない理由は」というと
むしろ、戦闘の合間の駐屯期に軍専用に指定するなどして利用していた既存の売春施設の利用方式から一歩進んで、軍が主体的にその供給に出たものと考えるべきだ。十分に供給しかつ部隊内か近くに置くことで、より効率的に利用するシステム造りに乗り出したのである。(p31)
「より効率的に利用するシステム造りに乗り出した」とは、どのような事実から言えるのか、きちんと例示していただきたいもので。
朴裕河が先行研究をまったく考慮していない事実は、この文章だけでも十分に窺い知ることができる。
その中でも、
という指摘がなされている。
研究史の最初期に位置する千田夏光(1973)や森崎和江(1976)などに依拠しているが、1990年代以降に被害女性の証言・公文書の発掘等によって飛躍的に進んだ「慰安婦」制度に関する研究をはじめとする膨大な歴史研究の成果を軽視したものである。事実とフィクションを混同する手法は、朴氏が「文学研究者だから」では言い訳できないレベルである
という指摘がなされている。
(全敬称略)