河野談話を守る会のブログ2

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とんだハンナ・アーレントがあったもんだ!化けの皮がはがされて行く朴裕河



朝鮮人慰安婦」として声をあげた女性たちの声にひたすら耳をすませることでした。(『帝国の慰安婦p10)

ともっともらしい事を述べていた朴裕河が、当の「声をあげた女性たち」から「名誉棄損」で訴えられた。

もし朴裕河の述べている事が、本当に「思いの代弁」(p13)であるなら、どうしてそんな事が起こるのか?

声をあげた女性たち」にとっては、腹立たしい嘘でしかなかったので、名誉棄損を訴えられたのではなかったか。

表現はいつも自由ではない。●公益に反したり●他人の名誉を著しく害してはならないという制限があるのだ。

そしてどこの国の名誉棄損裁判も「真実性の証明」をかならず論点にするものである。もし朴裕河が書いたことが真実であるなら、何の問題もなかったであろう。しかし、朴裕河の109項目の答弁書はまったく意味をなさなかった。そこにあるのは真実ではなくただの詭弁だったからだ。

2月17日、ソウルの地方裁判所朴裕河世宗大学校教授に名誉棄損の仮処分をを決定した。訴えたのは皮肉にも9人の声をあげた女性たち」であった。審議は8カ月に及んだ。「朴教授などの接近・取材を遮断してほしい」という訴えは退けられたが、34カ所の「表現」に対して「事実ではない」と判断され、削除要求が通った。

これについて朴裕河フェイスブックにこう書いている。



명예훼손과 금서
<제국의 위안부>를 "금서"로 한 건 재판부가 아니다. 재판부는 34개항목이 명예훼손 우려가 있으니 일단 판매금지요청을 받아들여 둔다는 것이고 명예훼손이라고 최종결론이 난 것도 아니다. 그러나 국가의 명령으로 책의 일부를 삭제해야 할 이유를 찾을 수 없어 내가 "자주적으로" "금서"의 상태를 선택했을 뿐이다. 폭풍우가 휘몰아쳤던 한 주일이 끝나고,뒤늦게 비가 온다

<翻訳>
名誉毀損と禁書

<帝国の慰安婦>を "禁書」としたのは、裁判所ではない。裁判所は、34個のエントリが名誉毀損の懸念があるので、一度販売禁止要請を受け入れたのであり、名誉毀損と最終的な結論が出たわけでもない。しかし、国の命令で本の一部を削除する理由を見つけることができない私は「自主的に」「禁書」の状態を選択しただけだ。嵐が吹き荒れ打った週間が終わって、一歩遅れて雨が降る。

確かにまだ決着がついたわけではない。

ころでTHE HUFFING POST2014年08月14日 「慰安婦支援者に訴えられて」という記事がある。http://www.huffingtonpost.jp/park-yuha/korea-japan-nanum_b_5673760.html

この記事自体は随分昔から知っていた。朴裕河を訴えたのは「支援者」ではなく「ハルモニたち」だが、なぜか「支援者に訴えられた」ということにしたいらしい。
「この訴訟は、実質的にはナヌムの家の所長が中心になっている。」とろくな根拠もなく書いている。なんとか言い逃れしようとして、「所長」が訴えたことにしたがっているのだ。まるで橋下みたいな醜さである。 この裁判を自国の協力者である女衒を告発した事への反発と解釈する向きもあるようだが、「ハルモニたち」はそんなことを訴えてはいない。女衒が問題なのは昔から分かっていたが、それ以上に国家(大日本帝国)による犯罪があったと考えられているからだ。慰安所に関する先行研究をまったく無視し、被害者の全てを「(軍の)同志」とした虚偽は、糾弾されなければならない。ハンナ・アーレントに例えたりする人は「ハルモニたち」を女衒の代弁者に見立てている。失礼な話である。

しかし、問題はこの記事のコメント欄である。
こんなことが書かれている。

康 昌宗

朴裕河氏がFacebookに記された上記の説明は一方的だったので、下記のナヌムの家の所長の反論を朴氏のFacebook投稿に転載し、ナヌムの家に事前許可もなく、NHKの記者を連れて撮影しようとしたのは、誤りだったのなかったのかと質問のコメントを記しました。
すると朴氏は、私のコメントを削除し、ご本人のページに抗議すると、私の抗議も削除して私のアカウントをブロックされてコメントを受けつけなくしました。
ナヌムの家の所長の反論に誤りがあれば、具体的に指摘すればすむことなのに、正常な研究者とは思えないご対応をされるのか、とても不可解です。


「ナヌムの家」所長の反論を紹介いたします。

パク・ユハさん、正直に話しなさい。

パク・ユハさんが「ナヌムの家」と「日本軍"慰安婦"被害者」ハルモニを会おうとした時、基本的な訪問行動や原則を守りませんでした。

まず、電話をしましたね。そして初めてのことばが親切に電話を受けてくれて有難うと言いましたね。そして一度会いましょうと言いました。それで私が毎週月曜日と木曜日だけを除いて週末もナヌムの家にいると伝えましたね。

するとパク・ユハさんが時間の都合でソウルで会えないかと言いましたね。しかし私の時間の都合で会えませんでした。

また、ナヌムの家で私に初めて会った時、「ナヌムの家」や私に通報することなく日本のNHKを帯同しましたね。

そして、ハルモニに会う姿を撮影したいと言いました。
ハルモニたちに事前に同意を受けなければならないのにこれは何をしているんですか?と聞くと「ナヌムの家」は誰でも撮影できる所ではないのかと言いましたね。

そして、NHKの記者が私にパク・ユハさんが活動している姿を撮影したいと何度も言いました。私の記憶では「日本軍"慰安婦"被害者」ハルモニたちのために奉仕活動をしたこともないのに何を撮影するんですか?と聞き返しました。

ペ・チュニハルモニのトゥウル療養病院への入院の時、事前に連絡もなしに訪れ取材し、病院側から「保護者」でも家族でもない方だからと規制されましたね。

「ナヌムの家」は施設運営と入所者管理において京畿道クヮンジュ市庁から「社会福祉法上老人福祉施設」に該当するので定期的に指導監督を受けています。

また、施設の運営と入所者管理の透明性と民主性確保のために「運営委員会」を運営しています。

それから、今回の「告訴」の件に関しては提出した「訴状」を検討すればいいです。

朴裕河はちゃんと答えるべきではないのか?



ついでにこれも記録しておこう
慰安婦問題に取り組んできた研究者であるユン・ミョンスク(尹明淑)先生がインターネット新聞のインタビューで答えた記事を紹介します。慰安婦問題の核心についてのみなさんのご理解を深める助けになれたらと思います。

慰安婦ではなく慰安所の問題、明白な国家犯罪(http://goo.gl/cgVMKC

『プレシアン:朴教授は、日本軍と朝鮮人慰安婦が大変な状況の中で、互いに思いやり愛し合い、結婚を約束したりもしたという被害者の証言を著書に記している。同志的な関係でなければ、このほどまでの親密さを持つことは難しいということを遠回しに示したのでは? 

ユン・ミョンスク:個人の経験は、十人十色で人それぞれ多様でありうる。そのような個人の経験を同志の関係を証明するために利用したのは、申し訳ない話だが、朴教授は、人間に対する理解が足りないと考えざるを得ない。人はいかなる条件であっても、「生き残るために」なんとか慰めになるようなものを見出すしかないのではないか? 

被害者は、笑っても、良いことがあっても、思い出があってもならないと想定し、もしそれに反するような良いことがあったなら、必ずしも被害だけを受けたのではないと考えるのは極めて暴力的な発想だ。被害者なら四六時中憂鬱な人生を送らなければならないのか?人はどんな理由を付けてでもなんとか生きて行かなければならない理由を探しながら生きているものだ。その中で結婚を約束しようが愛しあおうが、様々な人間模様があってしかるべきだろう。文学を研究している方が、このような人間の姿を理解しないで、被害者の人生には「不幸」があるのみと機械的に考えることがどうして可能かむしろ問い直したい。 




Kihou (mopetto2012)

日本では、ニューライトばかりでなく、ネット右翼まで歓声をあげて出版の時を待っています。日本の右傾化に拍車がかかりますね。

朴先生のご専門は「文学」ですよね。門外漢の「歴史」に踏み込んでは思わず知らずに誤謬を犯してしまうと思います。歴史の「事実」の検証は科学として証明されるものですが、今般の新しい資料に目を通されていないのは明らかなようですね。
韓国の友人(学者)に尋ねますと、物議を醸しているとのことでした。日本の歴史修正主義者に利することを、何故?わざわざするのかと訝しがっていました。

ローマ法王フランシスコが、>「許し」を唱えましたが、それはキリスト教がいうところの許しですね。横滑りに自己保存をはかる邪なものは一切斥けて、苦悶しながらも許しなさい、絶対地の地平で絶対的な供犠を前にしながら(回帰なく留保なきもの)、「許す」ことを教えています。これは、キリストの行いから学ぶものであり、世俗の行いとは区別しなくてはならないと思います。

朴先生の『和解』にある赦しとは、優越者の寛容というものでしょう。当該ではないからハルモニたちの痛みがわが身に感じにくいのでしょう。たった一人のハルモニと深く交流したといっても、それが「慰安婦」全体を代弁することにはならないと思います。

日本国家は、一度国会決議によって謝罪しましたが、自民党は翌年には翻しました。信用がなりません。「ほんとう」の謝罪がないものを、何を誰を許せというのでしょうか?
2014年8月19日 14:16