河野談話を守る会のブログ2

ヤフーブログ閉鎖のため移住しました

慰安婦の徴集が「軍の命令であった」と記録する公文書


慰安婦の徴集が「軍の命令であった」と記録する公文書


http://www.awf.or.jp/pdf/0051_5.pdf p4「時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件」
          ↓ 画像をクリックして<拡大>を押す
イメージ 1

(財団法人女性のためのアジア平和国民基金編 『政府調査 「従軍慰安婦」関係資料集成 1 警察庁関係公表資料 外務省関係公表資料』龍渓書舎 1997年3月20日 27-46頁)





この資料には「軍の命令で」募集がなされた事が書かれている。








1937年の南京大虐殺の頃から、慰安婦の大量動員が始まった。様々な場所で多数の慰安所が作られたことは、すでに言及している通りである。

そこで軍が業者に対して、「女性を集める」ように依頼・命令をした。

「時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件」を解説しよう。
事件はこんな風に始まった・・・・

1938(昭和13)年1月6日、田辺町において挙動不審の男性三名を巡査が注意したところ
「文里派出所巡査ニ対シ疑ハシキモノニ非ス軍部ヨリノ命令ニテ上海皇軍慰安所ニ送ル酌婦募集ニ来リタルモノニシテ三千名ノ要求ニ対シ七十名ハ昭和十三年一月三日陸軍御用船ニテ長崎港ヨリ憲兵護衛ノ上送致済ナリト称シ立出タリ」
   (前掲28頁「時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件」)

つまり、警察官に尋問された業者は「怪しい者じゃないよ、軍の命令でやってることだ。3000名を集めなきゃならんが、70名はすでに送りました。」・・・などと供述したという話である。



      三名のうちの金沢□□□□の供述によれば、会社重役の小西□□、貸席業の中野□
     □・藤村□□□の三名が陸軍御用商人と共に、東京で荒木貞夫頭山満の両名と上海
     で慰安所を年内に作るため三千名の女性を日本から上海に送らなければならないことな
     どを会談。また既に七十名は送致済みで、その際大阪の九条警察署と長崎県外事課で
     便宜を受けたことなどを自供した。 
         (前掲「時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件」)

不審に思った田辺警察署は九条警察署と長崎県外事課へ照会を出す。

「こいつら、こんなことを言うとりますが、軍が命令したというのは本当ですか?」と「問い合わせ」をした訳だ。

                                画像をクリックして<拡大>を押す
イメージ 2
                                              「時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件」)


 これに対して長崎県外事課からの返信によれば、「便宜供与してくれ」という。その説明によると、すでに1937(昭和12)年12月21日に在上海日本総領事館警察より長崎県水上警察署長へ「慰安所を造るから便宜をよろしく」(「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」という依頼が来ており、それによれば、


          「本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関
          ニ於テ考究中ノ処頃日来当館陸軍武官室、憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線
          各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ」
            (前掲36頁皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」)


という。
在上海日本総領事館警察と憲兵隊と武官室(いわゆる特務機関)との間で、中国各地に「軍慰安所(事実上ノ貸座敷)」を設置し、役割を分担することを決定したというのである。


                                               画像をクリックして<拡大>を押す
イメージ 3
                              「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」

そして

「右要領ニ依リ施設ヲ急キ居ル処既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度
  (前掲38頁皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」)

                                        画像をクリックして<拡大>を押す
イメージ 4
                             「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」


として、女性集めのため周旋業者が日本国内や朝鮮で活動を行っており、その業者に対しては便宜供与をはかってもらいたい、と述べている。

ここで注目すべきなのは、業者の一部がすでに朝鮮方面にも出かけていることをこの公文資料が語っていることである。

また、別途に問い合わせた
九条警察署からの返信には


「拝啓   唐突ノ儀御赦シ被下度候   


 陳者此度上海派遣軍慰安所従業酌婦募集方ニ関シ内務省ヨリ非公式ナガラ当府警察部長ヘ依頼ノ次第モ有之当府ニ於テハ相当
便宜ヲ与ヘ既ニ第一回ハ本月三日渡航セシメタル次第ニテ目下貴管下ヘモ募集者出張中ノ趣ナルカ左記ノ者ハ当署管内居住者ニシテ身元不正者ニ非サル者関係者ヨリ願出候ニ就キ之カ事実ニ相違ナキ点ノミ小職ニ於テ証明書致候間可然御取計願上候」
  (前掲45頁「時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件」)


とあり、内務省から「非公式ナガラ当府警察部長ヘ依頼ノ次第モ有之」として非公式ながら依頼があったことや「目下貴管下ヘモ募集者出張中ノ趣ナル」として和歌山県田辺警察署で取り調べを受けている者は軍から依頼・指示を受けた周旋業者であることが書かれてあった。


 これらの照会文を受けて田辺警察署は取り調べ中の三名を1月10日に釈放している。

            ネトウヨの嘘に騙されてはいけない

ネトウヨたちは、「警察は取り締まった」と言うが、警察はむしろ慰安婦を集める業者に対して1938年以降は便宜をはかり始めたのである。
少し遅れて朝鮮半島でも同様である。朝鮮半島では1941年以降は女衒を警察が逮捕する記事もまったくなくなってしまう。
総督府警察が女衒に便宜供与をするようになったからである。
つまりは警察は、女衒の慰安婦集めが軍の依頼・命令であることを理解したので、だんだん便宜をはかるようになって行ったのである。

(注*この内務省資料は河野談話の時には発見されていなかった)
注*右翼のボスである頭山満遊郭業者に会って、女性を送る相談をしていたことも忘れてはいけない。小林よしのりは書いていないが、頭山が大陸浪人のボスだったし、その大陸浪人たちが朝鮮半島で起こる様々な事件で「日本膨張主義の先兵」として働いていたのである。子分である内田良平が「日韓合邦」を推進し、韓国統監府嘱託となったことも考慮すべきである

さてこうした事件があったので「副官通牒」などが出されたのだが、それはここにすでに整理している。

世の中の善良な方たちは、右派論壇とネトウヨのおバカな意見には騙されないようにくれぐれもご注意いただきたい。