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「慰安婦は高額の報酬を得ていた」という俗説の嘘を完全粉砕する掘和生教授の論文



慰安婦は報酬を得ていたただの売春婦である」という右翼政治家の妄言を受けて、右派が発展させて来た論説に「慰安婦高額報酬説」がある。これを有名にしたのは、今やデマの宝庫として指摘されている小林よしのりゴーマニズム宣言である。

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← 『新・ゴーマニズム宣言3』 p69

慰安婦は普通の兵士より数倍もの報酬を得ていた。どこが性奴隷なんだ?」という理屈だが、これに対して歴史学者やブロガーによって反論がなされて来た。


1999年の従軍慰安婦をめぐる30の嘘と真実』川田文子氏は「慰安婦たちが廊主に多額の生活費を払っていた」ため「生活困難に陥っていた」ことや「貯金をしても敗戦と同時に紙屑同然になっていたこと」を指摘している。また吉見義明教授は、2010年の『日本軍「慰安婦」制度とは何か』p46~51で総山孝雄の「北スマトラではインフレ」の結果、「ラーメン一杯が将校の一カ月分の給料ぐらい」という回想を記述している。さらにビルマなどの占領地にハイパーインフレが襲った様子を日本銀行の統計を示しながら「1944年6月のビルマの750円は、東京の24円程度の価値だ」と具体的に書いている。

こうした指摘に対して、右派論壇ではまったく反論できないでいる。最近、出ずっぱりの秦郁彦も右派慰安婦論の主唱者である西岡力も一度も反論したことがない。十分な資料に基づいたこうした論説に反論できるわけがないが、彼らはネトウヨがよくやるように「反論は無かったことにして無視する」というやり方をしている。西岡力などは、「論争には私たちが勝った」(『よくわかる慰安婦問題』p4、p5、p135、p192、p193)と繰り返しているが、卑劣なネトウヨがよくやる「勝ってなくても論争に勝ったフリ戦法」はこんなところから生まれたのだろう。

ネットの中では、吉見教授の著作よりも少し早く、インフレの指摘がなされてきた。scopedog氏の「誰かの妄想ブログ」の反論はその端初だっただろう。

そして最近、この方面における決定版というべき専門家の論文が公表されている。京都大学経済学研究科の堀和生教授東アジアの歴史認識の壁』という論文である。http://www.kr-jp.net/ronbun/msc_ron/hori-1502.html

堀和生は近現代経済史の専門家であり、安秉直ソウル大名誉教授の発見した『日本軍慰安所 管理人の日記』共同研究者でもある。教授による「将軍以上の高収入」とか、「陸軍大臣よりも、総理大臣よりも、高収入であった慰安婦のリッチな生活」いう俗説は、まるで根拠の無いデタラメであるという。

慰安婦の貯金と送金】
日々書かれたこの日記には、慰安婦慰安所従業員・経営者の貯金、預金、送金の話が頻繁に出てくる。この件に関して、経済史研究者として若干コメントしておく必要を感じる。というのは、慰安婦の経済的地位について、「将軍以上のより高収入」とか、「陸軍大臣よりも、総理大臣よりも、高収入であった慰安婦のリッチな生活」いう俗説が流布されているからである。
この日記には慰安婦や従業員が野戦郵便局(軍隊酒保内部に設けられた軍専用の郵便局で、郵便、貯金、軍事郵便為替を業務とする)で貯金や送金をする話がよく出てくる。金額は200~600円が多いが、1,000円を越える例もある。慰安婦達が受け取った金を貯蓄や送金をしていたことは疑いがない。野戦郵便局の対象が軍人と軍属のみで民間人は使えないので、慰安婦慰安所従業員は軍属待遇であったことを確認できる。

 
    <日本占領時代の南方(東南アジア地域)
     における通貨決済システム>

日本は「石油、鉄鉱石、ボーキサイト、ゴム、スズ、米穀等の代価が払えないので独自システムを構築し、1941年11月の「南方経済対策要綱」を出した。1942年6月には、南方総軍軍政部総監部「本邦向送金取締規則」を定め、これによって、極端な片貿易によって生じるハイパーインフレが日本内地のインフレを誘発しないメカニズムが造られていく。占領地からの資金流入の封殺措置として、送金額の制限圧縮、強制現地預金制度などfが行われた。



・・・このようなハイパーインフレが日本内地・朝鮮に波及しないようにするには、先述のように資金移動を完全に遮断する必要がある。
1942年6月南方総軍軍政部総監部「本邦向送金取締規則」では、「南方占領地域に在りては軍政部の許可を得くるに非らざれば本邦(内地、朝鮮……)への送金を為すことを得ず。」として、南方と日本との貿易以外の資金移動を厳格に遮断する制度を設けた。しかし、この占領地通貨システムにはいくつも問題点があった。その一つは、この資金移動を管理するのは軍政当局であったが、資金移動に関わる主体も軍なのであった。軍の財政は臨時軍事費特別会計であり、一律円によって処理される。物資調達のみでなく将兵の給与も円で支払われる。ところが、支払われる円は南方現地では使えない。朝鮮・台湾・満州では問題にならないが、ハイパーインフレが起こっている地域では、様々な不都合が出てくる。まず、現地物資を調達するために、帳簿上の日本円を、急激に価値が下落している現地通貨(軍票・南発券)に換えねばならない。一方で、現地軍当局は現地の運営は現地通貨(軍票・南発券)を使っておこなう。他方で、日本が南方から資金移動を制限するといっても、軍将兵・軍属が日本内地の留守家族に送金したいという要求を抑えることはできない。1945年8月時点に南方に展開した日本軍将兵は83万人、満州を除く中国では122.4万人という膨大なものになった(旧厚生省援護局調)。このハイパーインフレ地域から、日本への資金移動を制限管理するのが軍であり、送金という資金移動を求めるのも軍人・軍関係者であった。制度上の送金制限額はしだいに圧縮されたが、許認可が軍当局であれば実際には軍関係者の送金は止められない。1943年以後占領地域から日本への労務利益金、政府海外受取(主に郵便預金)が急速に増えていった。その内実はつまびらかではないが、軍上層部も関わった合法・非合法の送金も相当に含まれていたと想像される。許可する主体が送金するのならば、当事者の規制はあまり意味を持たない。将兵の給与額自体は変化がないのであるが、乱発された軍票を、為替レートが導入されていないので、1軍票単位(ビルマはルピー・シンガポールは海峡ドル)は日本1円という原則を利用して、大もうけしようとする軍関係者もでてくることは必然である。こうしてインフレが日本に流入する道が開かれた。
この事態に直面した大蔵官僚は、これらインフレ資金の内地流入を防ぐべく知恵を尽くしてさまざまな制度を設けて対応した。占領地からの資金流入の封殺措置として、送金額の制限圧縮、強制現地預金制度、送金額に一定比率の負担を課する調整金徴収制度、預金凍結措置等が次々と導入された。最後の預金凍結とは、送金分を外貨表示内地特別措置預金と内地特別預金に分割し、そのうえ内地特別預金でも月々の引き出し額を厳しく規制するものであった。1945年5月華中華南の事例でいえば、送金者は送金額の69倍を現地通貨現地預金とさせられ、内地預金として受け取れるのは外貨表示地預金のわずか1/69にすぎなかった。南方地域についても、内地(朝鮮を含む)に送金しようとする資金については、一部は外貨表示内地特別預金として凍結され、残りを内地特別措置預金としてその引き出しを管理する措置が実施された。このように日本に流入した資金を封鎖することで、資金の「浮動化」の阻止がはかられた。(東京銀行編『横浜正金銀行全史』第5巻(上) 1983年 第7部。柴田善雅『占領地通貨金融政策の展開』日本経済評論社 1999年 第15章)。ただし、この日本流入資金のさまざまな規正措置は、地域ごと時期ごとに頻繁に変更されており、現在その制度運営のすべてをあとづけることはできない。このように占領地域から日本への送金には様々な規制があり、預金凍結措置によってその引き出しには厳しい制限が加えられていたことだけは確かである。
このような日本占領地におけるハイパーインフレの実態、内地送金の規制、日本円との交換制限等の問題は、多くの旧軍人や引き揚げ者が実際に体験しており、終戦直後には広く知られていたことであった。また、学問的には1970年代に原朗氏(原朗『日本戦時経済研究』東京大学出版会 2013年、第3章。論文の初出は1976年)によってそのメカニズムが明らかにされ、近年は柴田善雅氏や山本有造氏の精緻な研究(柴田善雅 前掲書、山本有造『「大東亜共栄圏」経済史研究』名古屋大学出版会、 2011年 第Ⅱ部)によって、両地域間の物価乖離の中で固定相場を維持した運用の実態が解明されてきている。ところが、そのような研究成果による知見は、南方の従軍慰安婦問題を考えるときには活かされていない。

なかなか壮大な経済ドラマである。結果として皇軍はアジアのあらゆる地域の経済を破壊してしまったのだが、それが日本内地は影響を受けないようにした極めて自己中心な思想の下になされたことが分かる。

「このような日本占領地におけるハイパーインフレの実態、内地送金の規制、日本円との交換制限等の問題は、多くの旧軍人や引き揚げ者が実際に体験しており、終戦直後には広く知られていた」・・・のである。

(つづく)