河野談話を守る会のブログ2

ヤフーブログ閉鎖のため移住しました

西岡力、朴裕河、熊谷奈緒子等の「性奴隷」否定言説の問題点(1)「マイ定義が酷過ぎる」という話




慰安婦慰安所)制度は性奴隷制度である。」という論説が、1990年代に登場した。ここで注意しなければならないのは、あくまで「慰安婦慰安所)制度は・・」であるという事である。例えばクマラスワミ報告はこう書いている。


                クリックして拡大を押す 
イメージ 1

            クマラスワミ報告 p2



慰安婦制度が「性奴隷制または奴隷類似制」であったか、どうかが論じられているのだ。
 
吉見義明教授もまた従軍慰安婦(1995年)や『日本軍慰安婦問題について』(2010年)の中で、

こうして「慰安婦」制度には、外見上の「保護」規定すらないので、文字通りの性奴隷制度というほかありません。
(『日本軍慰安婦問題について』p45)

*この『日本軍慰安婦問題について』の元文は、季刊戦争責任研究2009年夏号の「日本軍慰安婦問題について」である。
 

 と書いている。「制度」の問題を考えているのだと理解しうるはずである。
 
こうした論説の中では、「慰安婦とされた人々は、最低限の保護規定もない戦地の性奴隷制度の中に放り込まれた被害者である」という事になる。

吉見教授を例にあげると

 
従軍慰安婦とは、日本軍の管理下におかれ無権利状態の下、一定期間拘束され、将兵に性的奉仕をさせられた女性たちのことであり、「軍用性奴隷」というしかない境遇に追いつめられた人達である。(従軍慰安婦p11)

 

ということになる。
 
ところが、この「慰安婦制度は性奴隷制度であるか、否か?」という問いかけを「慰安婦は性奴隷か否か?」に変化されることにより「性奴隷」の意味を曲解する人々がいる。その代表が、西岡力朴裕河、熊谷奈緒子、などである。同じような間違いを犯しているので、彼らが全員こうした先行研究に目を通さないまま、後から書いた者が先に書いた者から影響を受けているのではないか、と推測できる。

理解力が乏しいのか?それとも故意に曲解するのかは知らないが、こうした曲解の上に、「性奴隷」という言葉の意味を勝手に解釈し、まるで異なる定義つけをしてから、否定するという不可解な事をしている。いわば「マイ定義否定論」である。自己中心否定論と呼んでもいいだろう。「奴隷の定義」自体を自分で勝手に造っているのだから、話がかみ合う訳がない。
 


 
      西岡力の『よくわかる慰安婦問題』で歪まされている性奴隷論
 
西岡力慰安婦関係の代表作と言えるのが『よくわかる慰安婦問題』(2007、西岡力草思社)である。この著作は右派の「慰安婦」論説の要約のようなものである。様々な歪んだ「慰安婦」論が自称「専門家」の西岡によって展開されているのだが、これについてはすでにいくつか論述している。http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/folder/1541148.html

1992年の文芸春秋』4月号では、慰安婦にさせられた人達のことを「強制売春の被害者」という位置づけも見られたが、15年を経たこの時節には、もはや「強制売春」という言葉自体が使われていない。西岡の頭の中には、慰安婦は「強制売春の被害者」ではなくなったのだろう。
 
この『よく分かる慰安婦問題』では「奴隷と性奴隷定義」をこう書いている。


 
奴隷とは、「主人の所有物」となり、金銭の報酬なしに働かされ、殴られても文句を言えない存在だ。『よく分かる慰安婦問題』p131)

 すでに書いているが、米国の奴隷の中には金銭報酬を得たものもいるのであって、「金銭の報酬」の有る、無しが「奴隷」を定義する決定的な要素ではあり得ない。無知をさらすだけの「マイ定義」はやめていただきたいものだ。



国際的に見れば、吉田清治のいうような軍人による暴力的連行があったならば、性奴隷だが、日本人慰安婦に比べて保護規定の適用が厳格でなかったなどの理由で性奴隷だったということなど考えられない。 『よく分かる慰安婦問題』p133)

 「国際的」に「連行時に暴力的であったか否かが、性奴隷か否かを決定せしめる」というなら、そのような国際的な基準があるかどうかを実例をもって提示すべきである。まったくのデタラメであり、国際的には「暴力的連行」がなくても「地位または状態」(1926年の奴隷制条約定義)によって、それは「奴隷制」の一種でああると認識される。

西岡力の「性奴隷」という言葉の解釈自体が歪に曲がっているのである。

 1926年の奴隷制条約における奴隷制slavery)の定義

所有権を伴ういづれかのまたは全ての権限が行使される者の地位または状態
Slavery is the status or condition of a person over whom any or allof the powers attaching to the right of ownership is exercised
(この定義はリンダ・チャペス、クマラスワミ、マクドーガルも使っており、いくつかの裁判でも使われている国際標準である)

 どこに「連行時に暴力的であったか否かが、性奴隷か否かを決定せしめる」と書いてあるのか?教えてほしいものだ。
何が「国際的に見れば・・・」だろうか?
知ったかぶりもいい加減にしろ!と言うしかない。

このようにして歪なマイ定義、マイ解釈をしながら


慰安婦研究の権威とされ、海外から取材や問い合わせを頻繁に受けている吉見教授が、「『慰安婦』制度は公娼制度よりも悪質な性奴隷制度だ」などと語り続けているから、米議会が慰安婦を性奴隷とみなして、日本を一方的に糾弾するような、問題の多い決議案ができてしまうのだ。 『よく分かる慰安婦問題』p132~p133)

 という。

公娼制度は性奴隷制度」という見識は、すでに戦前から多く存在している。当時の(戦前の)人達にもこのような認識はあったし、戦前の読売新聞さえ書いている。

しかし、こういう事さえ調査しないらしい西岡は、吉見教授を虚偽に基づいて攻撃をしているのである。

さらに、

国内の反日勢力だけではなく、今度は国外の反日勢力のネットワークができつつある。つまり国内の反日勢力が国外の反日勢力と結んで、日本包囲網を造ろうとしているという事だ。とうとうその魔の手アメリカの議会にまで伸びてしまったということである。
『よく分かる慰安婦問題』p5)
(強調はブログ主による)

 と書いて、「反日」と位置付け、ウヨク勢力を扇動している。この西岡の言う「国内反日勢力」の中には、名誉棄損裁判を闘うことになった植村隆氏も入っている。『よく分かる慰安婦問題』p42~p46)

それにしても「魔の手」という言葉は何だろうか?
明らかに研究者が使う言葉ではなく、大衆扇動家が使う言葉である。

何ら優れた考察の無い文章だが、この手の陰謀論的な被害妄想は、右派の病理を形造っている精神特質の一つなのだろう。昔の右派論壇は「ABCD包囲網」で追いつめられているから開戦するしかないと「鬼畜米英」への敵意をしきりに煽ったものだが、現在彼らは「国内外勢力による反日包囲網」が造られていると妄想し、憎悪と敵意を燃やしているのである。その手の記事は産経新聞がたくさん書いている。

話を戻すが、ここで西岡が、「慰安婦制度の問題」を論じていない事には注目すべきである。「制度を誰が造ったか」が我々には重要なのだが、その制度を造ったのが皇軍だという事は彼らが書きたくないことなのだろう。

正しい理解は
皇軍が「女性をなぐさみものにする」ために「慰安婦制度」を造って、業者に依頼・命令し女性を集めさせたのだが、その過程で就業詐欺を含む拉致事件が引き起こされた。さらに軍の後方施設である慰安所内では、内地の遊郭がそうであったようにあらゆる不法がまかり通ったのである。すると責任主体は誰になるのだろうか?

制度主体を考えるのに参考になる記事があったので掲載しておこう。

     (クリックして拡大を押す) 
イメージ 2

(業者の犯罪の背後に軍がいる事が問題なのである。これについてはすでに論証しているhttp://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64933746.html

西岡力たち右派論壇の歪曲した「性奴隷」論が後の朴裕河や熊谷奈緒子にも引き継がれているのは、彼女たちの位置づけが分かって面白い。朴や熊谷は自称「右でも、左でもない」「偏らない」「客観的な慰安婦論」だそうだが、客観的でもなければ偏っていないのでも無い。むしろ偏りすぎていて、気持ち悪いほどである。
 
        2、朴裕河にとって「性奴隷」とは?
 
朴裕河の性奴隷認識は、以下のようになっている。上記の西岡論説と比較すれば、共通点をいくつか発見できるだろう。
 
まず朴裕河は韓国版のwikipediaを根拠に「奴隷」を定義つけし、「「奴隷」の辞書的意味が、「自由と権利を奪われ他人の所有の客体となるもの」と書いている『帝国の慰安婦p142~p143)。

ブログ記事じゃあるまいし、専門家が書いたわけでもないwikipediaの記事を引用するのはいかがなものかと思うが、ここですでに「慰安婦制度は性奴隷制度か否か」ではなく「慰安婦は性奴隷か否か」を論じ始めており、続けてこうなっている。

しかし、慰安婦=「性奴隷」が<監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された>という事を意味する限り、朝鮮人慰安婦は必ずしもそのような「奴隷」ではない。たとえそういう状況にいたとしても、それが初めから「慰安婦」に与えられた役割ではないからである。
『帝国の慰安婦p143)

 ここで朴は、
 
「性奴隷」が<監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された>を意味する

というのだが、一体だれが「性奴隷」を<監禁されて無償で性を搾取された>という意味にしたのだろうか?これこそマイ定義というものであり、朴裕河が研究者とは言えない理由でもある。西岡と同じく大衆扇動家でしかない。

膨大な先行研究の全てに目を通せとは言わないが、重要なものぐらいは目を通してから文章を書くことをお奨めしたい。そうすれば簡単なミスは犯さないからである。

このようなマイ定義にしてしまえば、どんな論説でも可能になってしまう。「帝国」という言葉自体を含め、朴裕河にはこうしたマイ定義言語が多すぎる。


   (つづく)