西岡力、朴裕河、熊谷奈緒子等の「性奴隷」否定言説の問題点(1)「マイ定義が酷過ぎる」という話
「慰安婦(慰安所)制度は性奴隷制度である。」という論説が、1990年代に登場した。ここで注意しなければならないのは、あくまで「慰安婦(慰安所)制度は・・」であるという事である。例えばクマラスワミ報告はこう書いている。
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クマラスワミ報告 p2
吉見教授を例にあげると
ということになる。
ところが、この「慰安婦制度は性奴隷制度であるか、否か?」という問いかけを「慰安婦は性奴隷か否か?」に変化されることにより「性奴隷」の意味を曲解する人々がいる。その代表が、西岡力、朴裕河、熊谷奈緒子、などである。同じような間違いを犯しているので、彼らが全員こうした先行研究に目を通さないまま、後から書いた者が先に書いた者から影響を受けているのではないか、と推測できる。
理解力が乏しいのか?それとも故意に曲解するのかは知らないが、こうした曲解の上に、「性奴隷」という言葉の意味を勝手に解釈し、まるで異なる定義つけをしてから、否定するという不可解な事をしている。いわば「マイ定義否定論」である。自己中心否定論と呼んでもいいだろう。「奴隷の定義」自体を自分で勝手に造っているのだから、話がかみ合う訳がない。
西岡力の慰安婦関係の代表作と言えるのが『よくわかる慰安婦問題』(2007、西岡力、草思社)である。この著作は右派の「慰安婦」論説の要約のようなものである。様々な歪んだ「慰安婦」論が自称「専門家」の西岡によって展開されているのだが、これについてはすでにいくつか論述している。http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/folder/1541148.html
1992年の『文芸春秋』4月号では、慰安婦にさせられた人達のことを「強制売春の被害者」という位置づけも見られたが、15年を経たこの時節には、もはや「強制売春」という言葉自体が使われていない。西岡の頭の中には、慰安婦は「強制売春の被害者」ではなくなったのだろう。
奴隷とは、「主人の所有物」となり、金銭の報酬なしに働かされ、殴られても文句を言えない存在だ。(『よく分かる慰安婦問題』p131)
すでに書いているが、米国の奴隷の中には金銭報酬を得たものもいるのであって、「金銭の報酬」の有る、無しが「奴隷」を定義する決定的な要素ではあり得ない。無知をさらすだけの「マイ定義」はやめていただきたいものだ。
「国際的」に「連行時に暴力的であったか否かが、性奴隷か否かを決定せしめる」というなら、そのような国際的な基準があるかどうかを実例をもって提示すべきである。まったくのデタラメであり、国際的には「暴力的連行」がなくても「地位または状態」(1926年の奴隷制条約定義)によって、それは「奴隷制」の一種でああると認識される。
西岡力の「性奴隷」という言葉の解釈自体が歪に曲がっているのである。
どこに「連行時に暴力的であったか否かが、性奴隷か否かを決定せしめる」と書いてあるのか?教えてほしいものだ。
何が「国際的に見れば・・・」だろうか?
知ったかぶりもいい加減にしろ!と言うしかない。
このようにして歪なマイ定義、マイ解釈をしながら
という。
しかし、こういう事さえ調査しないらしい西岡は、吉見教授を虚偽に基づいて攻撃をしているのである。
さらに、
(強調はブログ主による)
それにしても「魔の手」という言葉は何だろうか?
明らかに研究者が使う言葉ではなく、大衆扇動家が使う言葉である。
何ら優れた考察の無い文章だが、この手の陰謀論的な被害妄想は、右派の病理を形造っている精神特質の一つなのだろう。昔の右派論壇は「ABCD包囲網」で追いつめられているから開戦するしかないと「鬼畜米英」への敵意をしきりに煽ったものだが、現在彼らは「国内外勢力による反日包囲網」が造られていると妄想し、憎悪と敵意を燃やしているのである。その手の記事は産経新聞がたくさん書いている。
話を戻すが、ここで西岡が、「慰安婦制度の問題」を論じていない事には注目すべきである。「制度を誰が造ったか」が我々には重要なのだが、その制度を造ったのが皇軍だという事は彼らが書きたくないことなのだろう。
正しい理解は
皇軍が「女性をなぐさみものにする」ために「慰安婦制度」を造って、業者に依頼・命令し女性を集めさせたのだが、その過程で就業詐欺を含む拉致事件が引き起こされた。さらに軍の後方施設である慰安所内では、内地の遊郭がそうであったようにあらゆる不法がまかり通ったのである。すると責任主体は誰になるのだろうか?
制度主体を考えるのに参考になる記事があったので掲載しておこう。
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(業者の犯罪の背後に軍がいる事が問題なのである。これについてはすでに論証しているhttp://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64933746.html)
西岡力たち右派論壇の歪曲した「性奴隷」論が後の朴裕河や熊谷奈緒子にも引き継がれているのは、彼女たちの位置づけが分かって面白い。朴や熊谷は自称「右でも、左でもない」「偏らない」「客観的な慰安婦論」だそうだが、客観的でもなければ偏っていないのでも無い。むしろ偏りすぎていて、気持ち悪いほどである。
2、朴裕河にとって「性奴隷」とは?
朴裕河の性奴隷認識は、以下のようになっている。上記の西岡論説と比較すれば、共通点をいくつか発見できるだろう。
ブログ記事じゃあるまいし、専門家が書いたわけでもないwikipediaの記事を引用するのはいかがなものかと思うが、ここですでに「慰安婦制度は性奴隷制度か否か」ではなく「慰安婦は性奴隷か否か」を論じ始めており、続けてこうなっている。