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軍人たちの慰安所(3)「騙された慰安婦たち」『我が太平洋戦記』松本正嘉『 遥かなる山河茫々と』畑谷好治




この資料も(右派以外の)「慰安婦」問題の研究者には、それなりによく知られている資料である。


『我が太平洋戦記』松本正嘉





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「日本人の悪質な業者に「皇軍慰問に行かないか」と誘われていくらかの現金を受領して契約書に捺印してしまった。現地に来て慰問の手段に驚いたが、すでに遅かった。生ける屍になったのだ。」・・・と書いている。

「生ける屍」とはなかなか強い表現の仕方である。
「1年中休みが無いからどのピーも痩せて、青白い顔をしていた」とも書いている。
この手の「酷使」も慰安婦問題では随所に出てくる話である。
すでに書いたように、台湾の被害者の中には、8か月後に初めて休日があったと語った方もいた。http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64942339.html

慰安所は、皇軍が必要として造ったのであり、慰安所を支配する規則も軍が造ったのである。ところが最低限の権利さえ保障していないので、酷い扱いをする業者も多くいたのである。そのために「慰安婦制度は性奴隷制度であった」と我々は考えている。現在の労働者は様々な保護規定によってその権利は守られているが、当時の日本には一般労働者でさえ、権利が大きく制限されていた。さらに召集兵は無権利状態に近かったし、慰安婦となればなおさらである。廊主に様々なタイプの強制・嫌がらせをされても、訴える事もできず、逃げ出す事もできない。このような状態を「奴隷状態」と言うのである。

慰安所内にも酷いことがたくさん起こったが、徴集の過程も酷かった。職業を偽って募集する就業詐欺は犯罪であって、軍人の中には、伊藤桂一長沢健一のように慰安婦たちが詐欺に遭って、連れて来られたことをよく知っている者たちもいた(『兵隊たちの陸軍』、『『戦旅の手帳』、漢口慰安所http://d.hatena.ne.jp/dj19/20121213/p1
 
憲兵伍長であった畑谷好治『 遥かなる山河茫々と』の中でこう書いている。


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この憲兵もある程度は、女性たちが「詐欺」に遭った事をつかんでいたのである。ただし、それをどうこうしようとはまるで考えていない。真相を究明しようとしておらず、それゆえにもちろん誰かを逮捕すべきだとも考えておらず、ただ漠然とやり過ごしてしまっている。

インドネシアの事例の中には、憲兵が女性の強制連行を実行する例があり、憲兵自らが犯罪者だった訳だが、
犯罪に対するこの無感覚は戦地における犯罪の温床を造り出したであろう。


副官通牒は、現地軍に対して「業者を選べ」と述べている。 http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64407622.htmlという事は戦地で軍の許可を得ていた「慰安所」の業者を軍が選定したと考えるしかない。すると軍の責任はどうなるだろうか?

  まず第一に、慰安所制度を造ったのは軍であった。
     第二に、規則を造ったのも軍であり、慰安所を取り締まっていた。
     第三に、軍が業者を選定し、女性を集めるように依頼・命令すると業者は「就業詐欺」などの手段で、女性を徴集した。
     第四に、詐欺の被害者であることを知っている者もいたが、女性を送り返した例がほとんど無い。
     第五に、占領地で軍の威力を背景に皇軍直接的に集めた慰安婦に関しては、多大なる責任があり、指導者の監督責任が免れない。
     第六に、軍の侵攻中、ないし討伐に際して、女性を強姦しそのまま拘留し慰安婦状態にした場合も、軍の直接的な責任であり、上層もまた監督責任がある。

  こうして考えると「軍(政府)の責任は無かった」という理屈がどれほど無意味なものかが分かるだろう。慰安婦問題は日本政府が責任を持って解決しなければならない問題なのである。