河野談話を守る会のブログ2

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西岡力の”勝った、勝ったと下駄の音”



西岡力『よくわかる慰安婦問題』の珍妙さの一つは、事実とは言えないような事を何度も何度も、繰り返していることである。

 
まあ、嘘を広めるにはこれぐらい何度も言わなければならないという事なのだろうね。洗脳法の初歩みたいなもので、影響を受ける人もいるかも知れない。



俺は「勝った」ぞー の繰り返し

国内における論争は私たちの勝利で終わったのだが(p4)


国内の論争ではこちらが勝っていたが(p5)


彼らにとって安倍政権は、国内の論争で負かされた相手(p5)

 

92年以降続いて来た、権力による強制連行があったかどうかという論争において、ついに私たちが勝ったのだ。(p135)


ここまでは断定形で書いているが、急に弱気になり、ここでは「勝ったと思う」に変化。↓


日本国内での論争ではまだ完全ではないとは言え、こちら側が勝ったと思う。(p193)

 いったい何をテーマとした論争に「西岡が勝った」のか?よく分からない。

さらに論争の期間もよく分からない。

論争の期間について西岡はp3の冒頭部分では


この論争は主として92年ごろから翌93年まで私を含む一部専門家の間で激しく続き (p3)
(この「私は専門家」も繰り返し述べているが、それは置いておいて)

 と書いている。92年から、93年までというと吉田清治証言の真偽を巡って、秦郁彦たちが問題点を書いていたが、それは結局、吉田清治という人の告白本の真実性が否定されただけである。

その頃、金学順さんをはじめたくさんの元慰安婦の方々が名乗り出たため、「慰安婦」問題は急激に盛り上がるようになった。つまり吉田が否定されようがどうしようが、まったく関係が無いようなものだったのである。

それで「勝った、勝った」とはおめでたいものだ。

ところがわけが分からないのは、彼らにとって安倍政権は、国内の論争で負かされた相手」(p5)とか「92年以降、日本で私たちが展開してきた論争の成果」(p192)と書いているからである。

安倍が議員に当選したのは1993年。慰安婦問題でデタラメな発言をはじめたのは、「若手議員の会」を造った97年ころからである。

という事は、97年からの論争で、何か「勝った」と言っているとみなさなければならないのだが、いったい誰とどんな論争で「勝った」のだろう?安倍と論争して誰が負けたのだろうか?

謎である。



さて西岡が繰り返している言葉がもういくつかある。

その一つは「意図的に」である。
これもまた相当に強調したいらしい。


事柄の本質に関係するキーセンに売られたという事実を意図的にカット(p42)

わかっていながら都合が悪いので意図的に書かなかったとしか言いようがない。(p43)

それで本人が「母親に40円でキーセンとして売られた」と言っているにも関わらず、それを意図的に記事から落としたのである。(p43)

彼らの意図的捏造により日韓関係が、そして最近では日米関係がいかに悪くなったか。その責任は重大だ。(p44)

こんなに繰り返して、植村隆記者と朝日新聞が「意図的」に記事を捏造したと主張し、今日引き起こされたような脅迫事件を誘導している。

しかしそれはまるでデタラメである。

恐ろしい人間がいたものだ。

デタラメを何度も、何度も繰り返し、嘘でも「本当」にしてしまおうという訳だ。